第十二話:非公式な調査協力という名の面倒事
結局、俺の完璧な退学計画は、国家権力というあまりにも理不尽な壁の前に、あっさりと頓挫した。 学園長室のドアが、俺の返事を待たずに秘書によって開けられると、そこには案の定、三人の少女が涙目で待ち構えていた。俺が公爵と話している間に、どうやら彼女たちも事情を聞かされていたらしい。
「カイ様……!学園を辞めないと、お聞きしました!本当ですね!?」 エリアーナが、俺の腕に縋りつくようにして尋ねる。その力は、喜びと安堵で満ち溢れていた。 「……ああ」 俺は、力なく頷いた。もはや抵抗する気力もない。
「そ、そうよね!貴方がいなくなったら、わたくしが誰を監視すればいいっていうのよ!まあ、残るというのなら、仕方ないからこれからも見て差し上げますわ!」 リリアナは、顔を真っ赤にしながら、いつもの調子でそう言った。その声が、わずかに震えていることに気づかないふりをした。
「よ、よかったですぅ……!師匠……!」 ミューに至っては、感極まってその場で泣き崩れ、エリアーナに支えられている始末だ。
公爵は、その光景を満足げに眺めると、俺の肩をぽんと叩いた。 「では、カイ君。頼んだぞ。非公式な調査協力については、後ほど私の者から連絡させる。君の存在は、当面の間、最高機密として扱おう」 彼は学園長に何事か耳打ちすると、娘に優しい視線を一度だけ向け、颯爽と部屋を去っていった。嵐のような男だった。
こうして俺は、半ば強制的に、三人の少女たちに連行される形で自室へと戻された。 退学届は公爵の手に渡り、カバンに詰めた荷物は、ミューによって丁寧に元の場所に戻されてしまった。俺のささやかな反抗は、完全に鎮圧されたのだ。
それからの数日間は、地獄だった。 俺が学園に残ると決まったことで、三人の世話焼きは、さらにエスカレートした。 エリアーナは「カイ様の護衛は私の責務」と言い、授業中以外は常に俺の三歩後ろに控えている。リリアナは「貴方の食事に毒でも盛られては、わたくしの監視計画が台無しになる」という謎の理屈で、毒味役をかってでる。ミューは「師匠の身の回りを清潔に保つのも弟子の務め」と言って、俺の部屋を毎日ピカピカに磨き上げていく。
俺のプライバシーは、完全に失われた。 だが、奇妙なことに、学園内の他の生徒たちからの絡みは、ぴたりと止んだ。魔力ゼロの落ちこぼれを、公爵令嬢とエルフの王女、そして聖女候補が常に囲んで守っているのだ。そんな異常な集団に、わざわざちょっかいをかけようという命知らずは、この学園にはいなかった。 ある意味では、以前より平穏になったと言えるのかもしれない。だが、俺が望んでいた静けさとは、まったく質の違うものだった。
そんな奇妙な日常が続いていたある日の放課後。 公爵からの最初の『連絡』は、唐突にやってきた。 俺の部屋を訪れたのは、黒子のような地味な装束に身を包んだ、気配の薄い男だった。彼は公爵家の密偵らしく、俺に一枚の羊皮紙を渡すと、何も言わずに姿を消した。
羊皮紙に書かれていた内容は、簡潔だった。 『明日、ダンジョン異常の公式調査隊が組織される。君たち四名も、優秀な生徒代表として調査に参加せよ。表向きは、あくまで現場の再確認と安全確保のため。だが、君のその『目』で、我々では見つけられぬ『何か』を探してほしい』
「……やっぱり、こうなるのか」 俺は、心底うんざりしながら、その指令書をテーブルに置いた。 当然のように、俺の部屋でお茶会を開いていた三人が、その羊皮紙を覗き込んでくる。
「まあ!ダンジョンの再調査!カイ様、また我々の力が必要なのですね!」 エリアーナが、瞳を輝かせる。 「ふん。国の騎士団も、大したことありませんのね。結局、わたくしたちを頼るしかないようですわ」 リリアナが、得意げに扇子を広げる。 「ま、またあの場所へ……。でも、今度は師匠が一緒だから、怖くありません!」 ミューが、自分を奮い立たせるようにぎゅっと拳を握る。
三者三様の反応だが、誰もがこの調査に参加することに、乗り気であることは間違いなかった。 俺一人だけが、どんよりとした気分で、明日の面倒事を思って憂鬱になっていた。
翌日、俺たちは再び、あのダンジョンの入り口に立っていた。 今回は、マグナ教官だけでなく、騎士団から派遣された数名の重装備の騎士たちも同行しており、前回とは比較にならないほど物々しい雰囲気だ。
調査隊の隊長を務める騎士が、俺たち四人を見て、わずかに眉をひそめた。 「公爵閣下からのご推薦とはいえ、学生をこのような危険な調査に同行させるとは……」 不満げな声だったが、エリアーナが「我々は、先日この場でBランク級魔物と対峙し、生き残った者です。ここの地理と、異常発生時の状況については、誰よりも詳しいと自負しております」と毅然と言い放つと、彼はそれ以上何も言わなかった。
調査は、慎重に進められた。騎士たちが前衛を固め、教官たちが周囲を警戒する。俺たち学生は、その後方で、安全を確保された位置から現場の状況を確認するという名目だった。
やがて、一行は、奈落の兵隊蟻が出現した、あの場所にたどり着いた。 崩れた壁はそのままになっており、床には、あの魔物が変化した黒い砂が、まだうっすらと残っていた。騎士の一人が、その砂を専門の容器に採取していく。
「やはり、異常な魔力反応が残留しているな……。これは、通常の魔物のものとは全く違う……」 調査隊の魔術師が、険しい顔で分析を進めている。 だが、彼らが検知できるのは、あくまで結果として残った魔力の残滓だけだ。原因となった『何か』を見つけることはできないだろう。
俺は、やる気なく周囲を見回していた。公爵は俺の『目』に期待すると言っていたが、あいにく俺の目は、普通の人間と同じだ。ただ、俺は、この世界のあらゆる魔力の流れを、呼吸をするのと同じくらい自然に感じ取ることができる。
その『感覚』が、何かを捉えていた。 壁。天井。床。この空間全体に、ごく、ごく微細な、不自然な魔力の『染み』のようなものが、こびりついている。それは、あまりにも微弱で、高度な測定器を使っても検知できないレベルのものだ。例えるなら、真っ白な紙の上に落ちた、透明なインクの染み。普通の人には、決して見えない。
(……外部からの強制転移魔術の痕跡か)
俺は、すぐにその正体を看破した。 高度に隠蔽された、座標指定型の転移魔法。これほどの術式を、学園の結界を欺いて行える術者は、この国には存在しないはずだ。
面倒な連中が、裏で動いている。その事実だけは、はっきりと分かった。 俺は、それ以上の情報を探るのをやめた。これ以上首を突っ込むのは、面倒の沼に自ら飛び込むようなものだ。公爵への報告は、「特に何も見つからなかった」でいいだろう。
俺が、一人で結論を出して、この場を早く立ち去りたいと思っていた、その時だった。 俺の視線が、ある一点に集中していることに、エリアーナが気づいた。 「カイ様……?何か、お気づきに?」 彼女の声に、リリアナとミューも、俺がじっと見つめている壁の一角に視線を向けた。
そこには、もちろん、彼女たちの目には何も見えない。ただの石の壁だ。 だが、彼女たちの脳内では、またあの勘違いが始まっていた。
(カイ様には、我々凡人には見えない『何か』が見えているに違いない……!) (あの壁の向こうに、隠された通路でもあるというのかしら……?) (師匠は、事件の真相に、もう気づいていらっしゃるんだわ……!)
三人の視線が、期待と尊敬の色を帯びて、俺に突き刺さる。 その視線に、調査隊の隊長である騎士までもが気づき、訝しげに俺に問いかけた。 「……どうした、少年。何か見つけたのか?」
俺は、ゆっくりと首を横に振った。 「いや、なんでもない。ただの、壁の染みだ」
その言葉が、また新たな誤解を生むとは、この時の俺は、まだ知らなかった。 彼女たちの中では、俺の言った「壁の染み」という言葉が、事件の真相を解く、重要なキーワードとして、深く刻み込まれてしまったのだから。




