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第十一話:退学届は受理されない

夜が明けた。俺の決意は、夜明けの光を受けて鋼のように固まっていた。 もう迷いはない。こんな騒がしいだけの学園生活は、俺が求めた平穏な隠居とは似ても似つかない代物だ。


俺は昨夜のうちにまとめた最低限の荷物をカバンに詰め、インクとペンを取り出すと、簡素な羊皮紙に『退学届』と書き記した。理由は「一身上の都合」。これ以上ないほどシンプルで、かつ誰にも文句を言わせない完璧な理由だ。


これを学園長に叩きつけ、俺はこの鳥籠から飛び立つ。そして、今度こそ誰にも知られていない辺境の村で、畑でも耕しながら静かに暮らすのだ。完璧な計画だ。


俺はカバンを背負い、退学届を懐にしまうと、最後の関門である自室のドアへと向かった。ドアの外からは、まだひそやかな話し声が聞こえる。昨夜の神学論争は、まだ続いているのだろうか。


意を決し、俺は勢いよくドアを開けた。 「おはようございます、カイ様!」 「おはようございます、師匠!」 「おはようございますの!」


ドアの前には、予想通り、三人の少女が勢揃いしていた。その手には、朝食の準備であろう銀食器や、温かい湯気が立つポットが抱えられている。どうやら、俺の部屋の前で夜を明かしたわけではないらしいが、その連携の速さは常軌を逸している。


だが、今日の俺は昨日までの俺とは違う。退学という明確な目的がある。 三人の挨拶を完全に無視し、俺は足早に廊下を歩き出した。


「あっ、カイ様!お待ちください!」 「師匠、どちらへ!?」 「朝食の準備ができておりますの!」


三人が慌てて後を追ってくる。そのただならぬ俺の様子に、何かを察したのだろう。 エリアーナが俺の前に回り込み、行く手を塞いだ。 「カイ様、そのお荷物は……?もしや、我々に何も告げず、新たな修行の旅に出られるおつもりですか!?」 彼女の瞳には、悲壮な覚悟の色が浮かんでいる。なぜそうなる。


リリアナも、心配そうな、しかし素直になれない表情で俺を睨みつける。 「ま、待ちなさい!もし行くというのなら、わたくしも……いえ、貴方が変なところで野垂れ死なないよう、監視役として同行して差し上げてもよろしくてよ!」


ミューに至っては、すでに瞳をうるませ、今にも泣き出しそうだ。 「し、師匠……!私たちを、見捨てないでください……!」


面倒だ。説明するのが、心底面倒くさい。 俺は、一言だけ、できるだけ感情を込めずに言った。 「……散歩だ」 「「「え?」」」 三人が、間の抜けた声を上げる。その一瞬の隙を突き、俺は彼女たちの横をすり抜け、全速力で駆け出した。目指すは、学園の管理棟、その最上階にある学園長室だ。


背後から追いかけてくる声を振り切り、俺は目的の部屋の前にたどり着いた。重厚な扉を、遠慮なく叩く。 「入れ」という厳かな声に応じ、俺は室内へと足を踏み入れた。


部屋の中では、この学園の長である白髭の老人が、書類の山を前に難しい顔をしていた。俺の姿を認めると、彼は怪訝そうに眉をひそめる。 「君は……Fクラスのカイ・レイジーロード君だったかな。私に何か用かね?」 魔力ゼロの生徒が、単身で学園長室を訪ねてくるなど、前代未聞なのだろう。


俺は、無言で懐から退学届を取り出し、彼の目の前のデスクに叩きつけた。 「一身上の都合により、本日付けで、この学園を退学させていただきたく」


学園長は、驚きに目を見開いた。彼は退学届とおぼしき羊皮紙と俺の顔を、何度も見比べ、やがて深いため息をついた。 「……事情は聞かせてもらえんかね。何か不満でもあったかな。例えば、昨日のダンジョンでの一件とか……」 彼の言葉には、どこか探るような響きがあった。昨日の報告書に、彼も何か不審な点を感じ取っているのかもしれない。


俺は、首を横に振った。 「いえ、全ては私の都合です。お世話になりました」 これ以上、問答を続ける気はない。俺は踵を返し、部屋を出て行こうとした。


その時だった。 コン、コン、と、今度は丁寧なノックの音がした。 「学園長、ブレイヴァー公爵がお見えです」 秘書の言葉に、学園長は慌てたように立ち上がった。俺も、思わず足を止める。ブレイヴァー公爵。エリアーナの父親だ。なぜ、こんなところに。


俺の嫌な予感は、的中する。 ドアが開き、壮麗な礼装に身を包んだ、威厳のある中年男性が入ってきた。エリアーナによく似た、銀髪と蒼い瞳。彼こそが、この国の重鎮、ブレイヴァー公爵その人だった。


公爵は、学園長の挨拶に軽く頷くと、その鋭い視線を、室内にいた俺に向けた。 「君が、カイ・レイジーロード君か」 その声には、有無を言わせぬ圧があった。 「……いかにも」 「娘が、世話になっているようだ。昨日のダンジョンでの一件、聞いている。娘の命を救ってくれたこと、父として、心から礼を言う」 彼は、深々と頭を下げた。公爵という高位の貴族が、一介の学生(しかも落ちこぼれ)に頭を下げるなど、異例中の異例だ。学園長は、信じられないものを見るような顔で、その光景を眺めている。


「人違いです。俺は何もしていません」 「謙遜は結構。エリアーナから、全て聞いている。『神の御業』だったと」 あの女、親にまで何を吹き込んでいるんだ。


公爵は、本題に入った。 「単刀直入に言おう。君のその力を、この国のために貸してはくれんか」 「お断りします」 俺は、一秒もおかずに即答した。 俺の返答に、公爵は眉一つ動かさなかった。想定内だったのだろう。 「……昨日のダンジョンでの異常。あれは、単なる事故ではない可能性が高い」 彼は、衝撃的な事実を口にした。 「何者かが、外部から学園の管理システムに干渉し、意図的に高ランクの魔物を転送させた形跡がある。目的は不明だ。だが、これは、この学園、ひいてはこの国に対する、明確な敵対行為だ」


面倒な話になってきた。非常に、面倒な話だ。 「それは、騎士団や国の魔術師が対処すべき問題では?俺は、ただの学生です。しかも、今日で辞めますが」 俺は、デスクの上の退学届を指し示した。


公爵は、初めて少しだけ表情を曇らせた。 「君のような才能を、野に放っておくわけにはいかん。それに……もし君がこの学園を去れば、娘も、そしておそらくエルフの姫君も、君を追って学園を、いや、この国を出ていくだろう。それは、我が国にとって計り知れない損失だ」 それは、もはや脅しだった。俺一人の身勝手な行動が、国家間の問題にまで発展しかねない、と。


最悪だ。完全に、逃げ道を塞がれた。 俺が言葉に詰まっていると、さらなる追い打ちがかかる。 ドンドン!と、学園長室のドアが、乱暴に叩かれた。 「カイ様!いらっしゃるのでしょう!開けてください!」 「師匠!勝手なことは許しませんわ!」 「ひっく……し、師匠ぉ……!」 エリアーナ、リリアナ、そしてミュー。三人が、ついにここまで追いついてきたらしい。


学園長が呆然とする中、公爵は、まるで全てを計算していたかのように、俺に向かって静かに言った。 「見ての通りだ、カイ君。君はもう、ただの学生ではいられない。君の存在は、良くも悪くも、多くの者を惹きつけ、動かしてしまう」 彼は、俺の目の前の退学届を、そっと手に取った。 「この話は、一旦、私が預かろう。君には、しばらくこの学園に留まり、今回の事件の調査に、非公式ながら協力してほしい。それが、娘の命を救ってもらった、私からの、そしてこの国からの『お願い』だ」


それは、拒否権のない『お願い』だった。 外からは、ヒロインたちの涙声とドアを叩く音。目の前には、国家権力を背負った公爵の、有無を言わせぬ圧力。


俺は、観念した。 俺の完璧な退学計画は、開始からわずか一時間足らずで、木っ端微塵に打ち砕かれたのだ。


俺は、力なく肩を落とし、ぼそりと呟いた。 「……面倒くさい」 その言葉は、誰に聞かれるでもなく、豪華な学園長室の空気に、虚しく溶けていった。

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