第一話:やる気ゼロの入学式
「あー、面倒くさい……」
俺、カイ・レイジーロードは、降り注ぐ祝福の陽光と、希望に満ちた新入生たちの熱気にあてられながら、心の中で特大のため息をついた。
壇上では、いかにも偉そうな学園長が長々とした祝辞を述べている。曰く、伝統、曰く、栄光、曰く、これからの若者たちが云々。どれもこれも、三千年生きている俺にとっては聞き飽きた単語の羅列でしかない。
俺の願いはただ一つ。
「平穏に、目立たず、静かに暮らすこと」
これに尽きる。 かつて俺は、〝沈黙の大魔術師〟なんて呼ばれていた。魔王が世界を闇に染めようとした時も、古代竜が大陸を滅ぼそうとした時も、面倒だと思いつつ、まあ、なんだかんだで解決してきた。英雄だの救世主だのと祭り上げられたが、そんなものはすぐに風化する。俺が望んだのは、名誉でも富でもなく、誰にも干渉されない静かな隠居生活だった。
そのために、俺は自らの魔力を完全に封印し、見た目も十代の若者のそれに固定した。そして、数ある選択肢の中から、この『王立魔術冒険者学園』への入学を選んだのだ。
なぜかって?簡単な話だ。 才能ある若者が集うこの場所で、「才能のない凡人」として振る舞えば、これ以上なく目立たない存在になれるからだ。誰からも期待されず、注目もされず、ただ空気のように三年間を過ごし、卒業後は辺境の村で静かに暮らす。完璧な人生設計だ。
「……以上で、学園長のお言葉を終わります。続いて、新入生の魔力適性検査に移ります!」
司会の教師が高らかに宣言すると、新入生たちの間に緊張と興奮が走った。ようやく退屈な式辞が終わったことだけは評価しよう。
広場の中央に、巨大な水晶球――魔力測定器が設置される。これに手を触れることで、その者の内に秘めた魔力量を測定し、FからSまでのランクで評価が下されるのだ。この結果によって、配属されるクラスも決まる。
「新入生総代、エリアーナ・フォン・ブレイヴァー!前へ!」
呼ばれた名前に、会場がどよめいた。艶やかな銀髪を風になびかせ、凛とした佇まいの少女が壇上へと歩み出る。ブレイヴァー公爵家が令嬢。剣術では既に騎士団長クラスと噂される天才だ。彼女ほどの令嬢が、なぜ騎士学園ではなく魔術学園に……と周囲が囁きあっている。
エリアーナが水晶にそっと手を触れる。すると、水晶は眩いばかりの光を放った。
「ブレイヴァー嬢、魔力ランクA!素晴らしい才能です!」
おおっ、と歓声が上がる。剣の天才でありながら、魔術の才能もAランク。まさに完璧超人。しかし、当のエリアーナはどこか不満げな表情で、小さく唇を噛んでいた。プライドが高いのだろう。
その後も、次々と新入生が測定を行っていく。Bランクで歓声が上がり、Cランクでまあまあと評価され、Dランク以下は少し気まずそうな顔で壇上を降りていく。
「次、カイ・レイジーロード!」
ようやく俺の番が来た。俺は「はーい」と気の抜けた返事をしながら、のろのろと壇上へ向かう。周囲の視線が突き刺さるが、どうせすぐに忘れられる。
俺は言われた通り、無造作に水晶に手を置いた。
…………シーン。
あれほど騒がしかった会場が、水を打ったように静まり返る。 それもそのはず。俺が触れた水晶は、うんともすんとも言わないのだ。色も変わらなければ、光もしない。ただの大きなガラス玉のようだ。
「……おかしいな。故障か?」
測定官の教師が水晶をコンコンと叩いたり、台座の裏を覗き込んだりしている。しかし、装置に異常はないらしい。もう一度、と促され、俺は再び手を置く。
結果は同じ。完全な〝無反応〟。
会場がざわつき始める。あれはなんだ、と。魔力がまったくないのか、と。 やがて、測定官は困惑した表情のまま、マイクを通して非情な宣告を下した。
「えー……カイ・レイジーロード君。魔力、ゼロ。……測定不能。ランクは……Fです」
その瞬間、堪えきれなかったようなクスクスという笑い声が、あちこちから聞こえてきた。前代未聞の魔力ゼロ。落ちこぼれ中の落ちこぼれ。歴史あるこの学園始まって以来の汚点。
だが、俺は内心でガッツポーズをしていた。 (完璧だ……!これ以上ない最高のスタートじゃないか!) 魔力ゼロ。これなら誰にも絡まれることはないだろう。俺の平穏な隠居生活は約束されたも同然だ。
そんな俺の心境など知る由もなく、周囲は憐れみや侮蔑の視線を向けてくる。俺はそれに気づかないフリをしてさっさと壇上を降り、式の終わりを待った。
式典の最後は、教官による魔術の実演だった。上級教官の一人が、訓練用のゴーレムを複数召喚し、それを自在に操るというパフォーマンスだ。 「皆もいずれは、これほどの魔術を扱えるようになる!勉学に励むように!」 教官が詠唱を始めると、地面に描かれた魔法陣が禍々しい赤黒い光を放ち始めた。
「ん?」
俺は眉をひそめた。あの光は、ただのゴーレム召喚にしては少々、いや、かなり不穏だ。術式の制御が乱れている。
次の瞬間、俺の嫌な予感は的中した。 魔法陣から出現したのは、訓練用のおとなしい石人形ではなかった。全身から殺気をみなぎらせ、目が赤く輝く戦闘用のゴーレムだったのだ。しかも、五体も。
「なっ、馬鹿な!なぜ制御が効かんのだ!?」
教官の焦る声が響く。ゴーレムたちは召喚者の命令を無視し、最も魔力に満ちた存在――つまり、新入生たちの群れに向かって突進を始めた。
「きゃあああああ!」 「逃げろぉぉぉ!」
入学式は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。他の教官たちが慌てて防御障壁を展開するが、暴走したゴーレムたちの猛攻に、障壁はあっさりとヒビ割れていく。
(……面倒なことになった)
俺は心底うんざりした。関わりたくない。だが、目の前で生徒がミンチにでもなれば、後々の事情聴取や調査で、もっと面倒なことになるのは確実だ。そうなれば平穏な生活は夢のまた夢。
「……仕方ない」
俺は小さくため息をつき、決断した。 ――最小限の労力で、誰にも気づかれずに、この場を収める。
ちょうど一体のゴーレムが、先ほどの公爵令嬢、エリアーナに狙いを定めていた。彼女は恐怖に震えるどころか、腰に差していたレイピアを抜き、果敢に立ち向かおうとしている。無謀だが、その気概は大したものだ。
しかし、その背後で、別のゴーレムが振り上げた岩の拳が、気絶しているらしい小柄な女子生徒に振り下ろされようとしていた。
(さすがに、見過ごせないか)
俺は大きく伸びをするフリをして、両腕を上げる。そして、周囲の誰にも気づかれないよう、ごく自然な動作で、
パチンッ。
と、指を鳴らした。
音とも呼べないほどの、些細な音。 だが、それはこの世の理を書き換えるための〝鍵〟だった。 俺の指から放たれた不可視の魔力波が、空間を伝播し、暴走する全てのゴーレムの動力源である魔術核に到達する。そして、その構造式を根源から〝無〟へと書き換えた。
――刹那。
あれほど猛威を振るっていた五体のゴーレムが、ピタリと動きを止めた。その体から赤い光が霧散し、まるで風化した砂の城のように、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていったのだ。
後には、ただの石くれの山が残るだけだった。
一瞬の静寂の後、何が起きたのか理解できない生徒や教官たちの、安堵と混乱の入り混じった声が広場を満たした。 「な、なんだ?止まったぞ……?」 「暴走した魔力が尽きたのか?なんという幸運だ……!」
よしよし、誰も気づいていないな。これなら大丈夫だろう。 俺は満足し、混乱に乗じてそそくさとその場を立ち去ろうとした。
その時だった。
「――お待ちください!」
凛とした、しかしどこか切羽詰まった声が、俺の背中に突き刺さった。 振り返ると、そこに立っていたのは、銀髪の公爵令嬢エリアーナだった。彼女はレイピアを鞘に収め、真っ直ぐに俺だけを見つめている。その蒼い瞳には、信じられないものを見たという驚愕と、熱に浮かされたような強烈な光が宿っていた。
なぜだ?俺の行動に気づく者など、いるはずがない。
しかし、彼女はズンズンと俺の前まで歩み寄ってくると、息を呑み、そして、俺が最も恐れていた行動に出た。
彼女は、王族に誓いを立てる騎士のように、その場で深く膝を折り、頭を垂れたのだ。
「し、師匠っ!」 「…………は?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。ししょう?誰のことだ?
エリアーナは顔を上げ、潤んだ瞳で俺を仰ぎ見る。
「どうか、この私を弟子にしてください!先ほどの御業、確かにこの目に焼き付けました!詠唱も魔法陣もなしに、指を鳴らすだけであれほどのゴーレムを鎮めるなど……神話に謳われる〝無詠唱魔術〟!貴方様こそ、私が探し求めていた真の魔術師です!」
……最悪だ。 よりにもよって、一番目立つ、一番面倒くさそうな奴に見られていた。 しかも、なんだその勘違いは。俺はただ面倒事を片付けただけだというのに。
周囲の視線が、驚愕と好奇の色を帯びて俺と彼女に集中する。 魔力ゼロの落ちこぼれが、天才公爵令嬢に「師匠」と呼ばれている。これ以上ないほど、目立つシチュエーションだ。
俺が望んだ平穏な学園生活が、開始初日にしてガラガラと音を立てて崩れていくのが分かった。
俺は天を仰ぎ、心の中で本日何度目かになるため息をついた。
「……面倒なことになった」




