99 冷たい風の告白
ヴィオラは、毎日一時間、再びヘルマンとフィレンタの街を歩くことにした。
「アルフレードは反対してたわね」
「そりゃそうだろ。敵がいるかもしれないし、セバスティアンのこともある。俺が夫でも家に閉じ込めておこうと思うよ」
ヘルマンは周囲を見回しながら、慎重に警護していた。
「そうね。それが一番なのはわかるのよ。私が王配だったら、きっとセバスティアンをとにかく守ろうと思ったでしょうね」
ヴィオラは頷く。
「でも、アルフレードはグリモワールの継承者よ」
ヘルマンもわかっていた。目を伏せる。
「ヘルマン、グリモワールの協力は必要なの。でも、今のオリヴィアンはヴァルトシュタインの属国。もしヴァルトシュタインから奪還できた結果に、グリモワールの属国になってしまったら、国民も家臣も兵も、誰もついてこないわ」
ヴィオラはヘルマンを見つめた。
「だけど……私は王の器があるかわからないの。グリモワールのフェリックス王のように器のない者が王になるのは、不幸だと思うのよ」
少し間を置いて、静かに続ける。
「私の知る“王”は父だけで、父みたいな王になりたいと思っていた。きっと、アルフレードは父みたいな王になるわ。だって、人の心や動きをちゃんと把握していて、リーダーシップもあるし、人のために尽くせる人だもの」
ヴィオラは小さく息をついた。
風が少し冷たくなってきている。
アルフレードは今、私とセバスティアンのために、エドガー王と移動や今後のことを詰めに行っている。
アルフレードはわたしが外に出ることには反対した。
でも、話を聞いて、彼はわたしの考えを尊重してくれた。
「自分がいない時はヘルマン提督と海軍兵の護衛付きだからね!」って。
アルフレードの本心は、すぐにグリモワールへ移りわたしとセバスティアンを守りたいらしい。
でも、自分のセバスティアンの発育を考えて最善の時を選ぼうとしている。
グリモワールの王位継承も本意ではなかった。
でも、オリヴィアンを守るために必要な決断だった。
アルフレードは、自分の意見だけでなく、周囲の意見を必ず取り入れる。
――これが王の器なのだろう。
ヘルマンはヴィオラの肩を軽く叩き、笑った。
「姫にも器はあるさ。小さい頃から努力してきた姿を、みんな知ってる。ただ、男の力には敵わないこともあるだろう。それでも、姫ができないところを俺たちが補えばいい。誰よりも一番でいる必要なんてない」
「そうね。だから、私も考えを変えようと思うの」
ヴィオラは頷き、ふっと笑う。
「アルフレードを目指すと、できない自分に落ち込みそうになるの。でも……アン夫人は、剣も船も乗れないし馬も乗らないのに、誰もそれを弱点だと思っていなかった。あの人には“説得力”があったわ。私、アン夫人みたいな女王になりたいの」
ヘルマンの目が見開かれる。
「それは……ダメだ」
彼は強く首を振った。
「どうして? ヘルマンが口説いてもダメだったから? でもすごい人だったじゃない? 物言いはきついけど、あなたもみんなも叱られても、納得させる雰囲気や言葉があった。私は彼女にお礼を言っても言い足りないくらい感謝してる。あの人がいなければ、セバスティアンは無事に産めていなかったでしょう。今だって残してもらった色んな部分で助けられているし、屋敷もピリッとしてて……ああいう感じになりたいの」
ヴィオラは拳を握り、笑った。
――アン夫人と一緒にフィレンタを歩けたら、きっといろんなことを教えてもらえただろうな。
もう帰ってこないのかしら。お礼だってまだ伝えていないのに。
「すまない、姫。だが、アン夫人のようにはならないでほしい」
ヘルマンの声は低く、真剣だった。
「彼女には統率者としての器はある。だが、人々を“支配”しているだけだ。人の心を掬い上げているわけじゃない」
「……あら? 思い通りにならなかった女には厳しいのね」
ヴィオラが冗談めかして笑っても、ヘルマンの表情は変わらなかった。
「そんなにトラウマなの?」
「ああ。会ったら間違いなく、俺は彼女を殺す。彼女を信用した自分が許せない」
ヴィオラは思わず息をのむ。
「ヘルマン……?」
低い声。いつもの彼ではなかった。
「殺すって、何かあったの?」
「姫、ショックを与えたくなくて言えなかった。でも、オリヴィアンの王になるなら、知っておいてほしい」
ヘルマンは拳を握りしめたまま、真剣な面持ちで言った。
「言ってちょうだい。私はここに観光に来ているわけじゃない。オリヴィアンを取り戻す機会を伺っているの。そしていつか王になるためにね。アン夫人に、何があったの?」
ヘルマンの拳の関節が白くなる。
彼は一度、遠くを見た。風に吹かれて目に入る屋根瓦が、鋭く光った。
「アン夫人――アンジェリカは、リリス王妃の姉で、アルフレードの母だ。そして、ヴァルトシュタインの第一王女、ジュリアン王の妹なんだ。
彼女がフェリックス王を殺したことがきっかけでグリモワールは攻め込まれ、オリヴィアンは侵略された。セバスティアン王とリリス王妃を殺したようなものだ。俺たちの宿敵だ」
言葉が落ちると、ヴィオラの背中を冷たい風が通り抜けた。
「……うそ、よね」
ヘルマンは答えず、ただ唇を噛んだ。目の奥に、納得と憎しみが混ざっていた。




