81 虚像と真実の間で
アルフレードの予想と反して、そういうセリフをヘルマンに吐いていたのは母アンジェリカだった。
「ヘラヘラして!誰の許可もらって私の手を握ってるのかしら?許せないわ!」
さりげなくヘルマンがアン夫人の手を握ろうとした瞬間、バンッと音がする勢いで手を振り払われ、同時に靴で足を踏みつけられて悶絶するヘルマンの姿がそこにあった。
「ヘルマン、あなたどうしてそんなに歩く種馬なの。大人しく仕事なさい!」
アン夫人が汚いものに触れたような顔をして、メイドに手を拭くものを持ってこさせる。
「ヘルマン、最低だわ。ここでお世話になってるのに、何をやってるの?あなたは、私を守るためにいるのよね」
(早くにヘルマンの女癖の悪さを見抜くべきだったわ)
私も、ヘルマンへの負い目はなくなり、自分は姫だと冷静になった。そしてアン夫人と同様に白い目を向ける。
ヘルマンがアン夫人を口説こうとしたのは一度や二度ではない。
今まで、ここまで落ちなかった誇り高き女性はいないらしく、俄然燃えるらしい。
(訳がわからない。今度追い出されたらどうするのよ。)
とはいえ、アン夫人の揺るがない隙のなさはすごいものがある。
「さすが、アン夫人。ヘルマンの流し目攻撃も、手触り攻撃もかわされてしまうなんて」
「同等だと思うから隙ができるのよ。格下だと思ったら、甘い言葉も、苛立ちに変わるわよ。つまり、安い女が多すぎるの。フィレンタには賢い女がいないってことよ」
息子さんが戦争に行って元気がないということだったが、ここに私がきてからはそういった雰囲気は見られない。
ゆっくり休めるようになり、お腹の子も安定期に入ってからは毎日赤ちゃんの動きも感じられるようになった。
出産の準備も整い、季節が夏になろうとしていた。
予定は秋なのであと少しで出産だ。
ヘルマン提督が賃金を稼ぐために傭兵業につこうとしたが、アン夫人から
「賃金は出すから、ヴィラのそばにいてあげなさい。」
といわれた。
ヘルマンは護衛としてこのお屋敷で働くことになった。
私としてはありがたいけど、なぜそこまでしてくれるのだろう?ヘルマンも疑問のようだ。
「ヘルマン、フィレンタはいいところよ。でも、安全な都市とは言い難いわ。あなたグリモワールにツテはないの?」
アン夫人から心配そうにこれからのことを聞かれる。
ヘルマンは、悩む。
ツテは最大級のところがある。
エドガー王だ。
問題はそこに無事にヴィオラの無事と子供が生まれることを伝える術がない。
迂闊にヴァルトシュタインの残兵の手に伝令が渡ったら...そう考えるとぞっとする。
そうヘルマンが悩むのが私にもわかるだけに、悩ましかった。
アルフレードに、近くまで来ていると知らせたい。
「グリモワールの南部は焦土になっているし、ヴァルトシュタインの残党がいるから安定しているとは言い難いわ。王都が安定して復興しないと、流行病や感染症も流行りやすいでしょうから、赤ちゃんを連れた移動はしたくないわね」
アン夫人の言葉に私も頷く。
ヴァルトシュタインから赤ちゃんは守らなければならない。
「だとしたら、グリモワールの中部ね。中部は戦場にはなってないということだし、大きい都市もあるから赤ちゃんも安心だと思うの。」
アン夫人からいろんな話を聞くが、まるでアルフレードのように機転がきくし、いろんな知識を持っている。
グリモワールの貴族女性というのはみんな、こんなにすごいのだろうか?
アルフレードが別の人とお付き合いしようとしなければいいけど
オリヴィアンという国はすでになくて、結婚したと言っても周りの国に伝えた訳じゃない。グリモワールにだけだ。
エドガー王が結婚のことを聞かなかったことにしてしまえば、グリモワールにはアルフレードにとってこんな知識があり、アドバイスができる女性が揃っているのだ。
そしてアン夫人は、そんな心のうちを拾うのも上手い。
「ヴィラ、何を考えてるのか知らないけど、どんなに落ち込んでも顔だけは自信のあるフリをしてなさい。
自信がなさそうにしている者には、必ず利用しようとする奴が寄ってくるわ。だから、顔だけは動揺せず俯瞰したような顔をしておくの」
アン夫人の言葉に頷く。
とにかく、見せ方が上手い。そして、見抜き方も上手い。
「あとは、しっかり知識をつけるの。中身がなくて自信だけあるなんて奴が一番利用されやすいわ。」
そういって、アン夫人は、はぁーっとため息をつく。
「どうしたんですか?」
「いえ、夫と次男がそんなタイプだったのよ。
次男は今からでもなんとかならないかと思ってね。」
アン夫人の寂しそうな横顔がみえる。
ヘルマンに見せている姿や私に色々教えてくれる自信しかない姿は、本当は虚像なのではないだろうか。
そして、アン夫人の寂しそうな姿は、誰かと重なる...
ああそうだ。かつてのアルフレードだ。
二人とも金髪でグリモワールの南部出身だから似てるのね。
私は妙に納得した




