60 女王への第一歩
ヴァルトシュタインにオリヴィアンが侵略されるより少し前のことになる。
ヴィオラは、薄暗い空を見上げて反省していた。
――私は、この任務を甘く見ていた。
ヴァルトシュタインが攻めてくるというのに。
王位継承者である私が、王都から離れてどうするの?
そう思った。けれど現実は、雪の中をか弱い女性や子供たちと一緒に進まなければならない。
しかも、お腹が張って痛むこともあるから、自分の体も思うように動かない。
雪を踏み固めたり、深雪にはまって動けなくなった馬車を皆で押したり。
避難物資も抱えて逃げなければならない。
それだけで精一杯の私。
……お父様は口にしなかったけれど、私は足手まといだったのだわ。
悔しさで涙が滲む。
どれほど幼い頃から剣の練習や研鑽に費やしても、結局は男の体力に敵わない。
せめて勉学で、と努力してきたけれど。
それすら、いつもアルフレードが先を歩いていた。
王になったら、女だからと手加減なんてしてもらえない。
戦が始まった時は――お父様のように、皆に指示を出して守らなければならないのに。
……だから悔しくて。
ファーストキスや初夜の儀のときは、私が主導権を握ってしまった。
すべてが男性の決定で進むことが悔しかった。
ほんとは勝ち負けなんかじゃないのに。
ちょっとでもアルフレードの意表を突きたかっただけ。
――私は、馬鹿だわ。
周りを見れば、みんな寒さと不安で泣いている。
夫や親を王都に残してきた人も多い。
不安に決まっている。
だから私も、重いだのお腹が痛いだの、言ってはいられない。
雪で服は濡れ、子供たちは震えている。
「小さい子は、こっちに集まって」
ヴィオラは一つの荷台に子供たちをまとめ、自分のマントでぐるりと覆った。
お腹に入れていた温石も、渡してあげようとする。
だが、その手を突然、誰かが握った。
「ひゃっ……!? って、提督? どうしたんですか」
「お前は後方を守る重要な役だろう。凍えて倒れても、後ろじゃ気づかれんぞ!」
海軍提督ヘルマンが、自分のマントを外してヴィオラにかける。
「腹のはそのまま体に入れとけ! 力仕事は俺たちに任せろ!
前にも言ったはずだ。お前にしかできないことがある!」
矢継ぎ早の言葉に、ヴィオラの胸がさらに痛む。
今回は、海軍が避難を手伝っていた。
冬の海は荒れ、敵もヴァレンティアを越えての進軍は考えにくい。
だから彼らは雪の中、屈強な体で道を踏み固めていく。
その筋力は騎士団以上かもしれない。
当然、私よりずっと強い。
――だから、私がやるべきことは違う。
未来の女王にしかできないこと。
今ここにいる国民は、とても弱い。
不安で泣いている。
私のように力もない。
襲われれば、ひとたまりもない。
お母様は、なんと仰っていたか。
《女性と子供を安心させられるのは、あなたが一番適任なの。
屈強な男に囲まれるより、女の人がそばにいてくれる方が、みんな心強いのよ。
だから、あなたはあなたの役割を果たしなさい》
……そうだった。
王妃は、役割を果たせと言った。
だとしたら――。
私はヘルマン提督に頼み、兵から真っ白な馬を借りた。
ヴィオラは馬上で背筋を伸ばす。
けれど指先は冷たくて震えていた。
「歩ける子は……そう、近くの子と手をつないで!みんなで……一人じゃないわ!東の港町まで進むのよ!」
声が少し上ずったのを、自分でもわかる。
「兵士は……急ぐより、女性と子供の体力を見て! 休憩と焚き火を忘れないで!」
完全に王の演説には程遠い。
けれど、必死に声を張り上げるヴィオラの姿に、人々は顔を上げ始めていた。
――私は弱い。でも、それでもみんなを支えるのは私だ。
震える膝をぎゅっと締めながら、ヴィオラは前を見据えた。
その姿を、ヘルマンは静かに、満足そうに見守っていた。




