44 恐怖を超えて、旗のもとに
少し時期はさかのぼる。
アルフレードが旅立ってしまったオリヴィアンの国では、アルフレードを知っているものの誰もが、胸にぽっかりと穴が空いたような虚しさを抱えていた。
子供の頃とは違う。
かつては、剣術でも負けてもらって喜んでいた。
学術でも、1人変な質問をするやつだな。と思っていた。
だが、貴族の子息たちだって、大人になるにつれて、アルフレードは突出した才能と、大人も一目おくカリスマ性を持った手の届かないとんでもない存在であることがわかっていく。
武芸でも、学問でも、そして振る舞いの一つ一つでも。
爛れた片目を持つその容姿すら、最初は優越感だったのに。
いくつもの困難を乗り越えた勲章のようにすら見えてしまう。いや、そう見せていったのだろう。
ヴィオラ姫の守る時につける眼帯やはみ出す傷が、男女問わず魅力に映っていた。
誰もいない場所で、こっそり眼帯をつけてアルフレードの格好の真似をする。
だが、あんなに洗練された雰囲気に似ても似つかないと落ち込んでしまったものもいるぐらいだ。
グリモワールという大国ではこれが当たり前なのか?
洗練された気品。
「どうして、同じ人間でここまで差がつくんだろう」
そう思わずにはいられなかった。
――悔しい。
けれど、アルフレードはそんな感情すら抱かせない。
誰に対しても相手を自然に立ててくれる。
隣に立つだけで「ついていきたい」と思わせる不思議な男だった。
なのに、今。アルフレードはいない。
当たり前のようにヴィオラ姫の隣にいたのに、やっぱりアルフレードはいない。
噂では、二人はすでに結婚しているらしい。
オリヴィアンの貴族の親は、アルフレードが出立して「まだ王家に取り入る望みがある」と思う反面、すでに純潔は失われた姫をもらうために動くのは躊躇いがある。
同じ貴族子弟たちは皆、その気はない。
――あのアルフレードの献身を見てしまえば、誰も争う気なんて起きない。
むしろ、あの2人が支える国を一緒に支えたいと思っていた。
ーーー
騎士団でも海軍でも、アルフレードが常に先頭に立って鍛錬していた。それは長く続いた光景だったから、今はいないことが余計に胸がしめつけられる
(戦が始まれば……俺たちだって、ある日突然消えるんだ)
その事実は、軍人たちに重く胸にのしかかる。
ヴァルトシュタインの王が亡くなり、攻撃が迫るかもしれないと噂が流れた時国全体に冷たい風が吹き込んだ。
そして今、まさかの大国グリモワールが攻められ、グリモワールがやられたら自分たちだという危機感が迫る。
オリヴィアンはセバスティアン王のおかげで、長く争いがない時を過ごせていた。
だから、初めて戦争を我が事のように感じてしまうものもいたのだ。
正直、死ぬのが怖いーー
けれど――。
「リチャード副団長。もしヴァルトシュタインが直接攻めてきたら、騎士団はどこに陣を敷いたら動きやすいかしら?」
凍るような風が吹く練兵場に、凛とした声が響いた。
皆がはっと振り返る。
そこに立つヴィオラ姫の瞳は、揺らいでいなかった。
真っ直ぐに前を見据え、光を宿している。
まだ十七歳。しかも継承者とはいえ女の子である。
その子が逃げていない。
「ひ、姫……」
緊張に固まっていた団員たちが息を呑む。
「恐れるのは当然よ。だけど、どんな大国相手だからって奪われっぱなしなの?奪われる前提で動いたら負けるだけで終わるわ」
ヴィオラはふっと微笑む。
その表情は、震える背を押すような強さを秘めていた。
「騎士団は国の防波堤。この国で、この騎士団だけが、守りたいものを誰よりも多く守れるのよ」
彼女は大きな国旗を目の前で掲げた。
風を受け、布がぱんと音を立ててはためく。
「私はそんな騎士団が誇りだわ」
鮮やかな紅と金の紋章が、冬の陽を反射して練兵場を染め上げる。
「私たちがーーこの国を守るの!」
その瞬間、沈んでいた空気が一変した。
胸の奥に押し殺していた声が、堰を切ったように湧き上がる。
剣が鞘から鳴り、地を踏み鳴らす音が響いた。
(ヴィオラ姫は……本当に王になる)
騎士団の団員は拳を握りしめる。
私たちは、この国を守るのだ!!
恐怖が通り過ぎて、高揚感につながっていった。




