190 毒杯に眠る誓い
「皮肉なものです。ヴァルター殿が私たちに毒入りのオリヴィアンワインだと贈ってきたその日まで、あまりにいろんなことがありすぎて私たちは忘れておりました」
ロウはため息をついた。
バルザックは、苦しそうに笑みを浮かべた。
「ジュリアン様が私たちを信じなかっただけじゃない。私たちも、唯一の家臣だったはずなのに、大切な最初の約束を忘れていたのです。
ジュリアン様は女性を嫌っていた。女に狂った父王を、誰よりも軽蔑していましたからね。だが――結局は彼も、憎しみの感情で女に狂わされているといってもいいでしょう。その感情により、政治が歪んでいるのは確かでした」
バルザックとロウの肩、そしてジュリアンの亡骸には雪がパラパラと降ってきて冷たい風が吹いた。
夕暮れも早くなり、雪の積もる高さも1センチほどになってきた。
「あなた方は、私のワインを?」
ヴァルターが震えて聞く。
「その時が来たと我々は受け止めていました。この戦争ではもう、ジュリアン様には、誰に対しての信頼もこうありたいという理念も残っていなかった。ただ憎しみと命令だけがあったのです。
降伏勧告が来た時、降伏は時間の問題なのだと悟りました。そして、毒入りのワインを見た時に私たちは、やっと過去の友情を思い出したのです。」
「俺たちの、ジュリアンに対しての最後の信頼を果たす時がやってきたのだとーー」
ヴァルターは、オリヴィアンで悔しさの中で、毒を飲んだ夫妻を思い出せという意味で、オリヴィアンの毒入りワインを贈っただけだった。
だから、毒入りワインにそこまでの深い思い出があるなんて思いもしなかったのだ。
「ジュリアン様に降伏勧告を見せた時には当然、狂気に満ちた目で怒られました」
バルザックの目からは涙が流れ落ちていた。
ーーー
「ヴァルターめが!!小癪な!ガタガタ震えることしか出来ぬくせにこんなものをよこしやがって!降伏勧告を持ってきた使者の首を切って送り返せ」
ジュリアンは、王座の椅子に座り降伏勧告書を破り捨てた。そこには、自害を勧める文を入れ、毒入りのワインを贈っていたのだ。
「ジュリアン王、私たち二人はあなたの忠実な家臣です。そして、あなたの友だと、私たちは思っています。あなたから信頼に足りなくてもかまいません。でも、私たちは最後まであなたの友として生きたいのです。
先ほど、毒の入ったワインをヴァルター殿が勧告書と共に贈ってきました。私たちは思い出したのです。あなたが王についた日のことを」
バルザックは、そのワインを目の前に出した。
「あなたは私たちに言った
《もし何かの間違いで、俺が父のように女に狂って国を壊すならその時は、毒入りのワインを飲ませてくれ。そうしたら、私は自分が間違いを犯したのだと納得してそれを飲むから》と。
私たちは、このワインを今あなたにお渡しします。
そして、あなたが受け入れず飲まなかったとしても、私たち二人はその友情と、信頼の証明にこのワインを飲みます」
ロウは、執事を呼びグラスを3つ準備するように声をかけた。謁見室でグラス?と思ったようだが、グラスを持ってくる。
「ふん!何のことだ!お前たちが勝手に死ねばいい。俺は言ったはずだ。父のように女に狂ったらとな。俺は女に狂ってはいない」
ジュリアンは王座から二人を冷たく見下ろした。
だが、二人も毅然と返す。
「もちろん、飲まなくても構いません。あなたを信頼した友が二人いなくなるだけのことです。あなたは前王のようには女性に狂わなかった。でも、前王のせいで、女性に狂わされたのです。アンジェリカもリリスもあなたも、私たちも!」
ロウは涙を流しながら、床にひざまづいて、執事からグラスを受け取る。そしてそのグラスにワインを注ぐ。
ジュリアンは、その涙を見て、初めて視点があったかのようにバルザックとロウを眺めていた。
バルザックも涙した。
「あなたとの最後の信頼を果たします。」
そのワインをジュリアンにもっていく。
ジュリアンは目を見開き、少し考えるようなそぶりをした。
そして、そのグラスを受け取り思案している。
「乾杯でーーみんなで一斉に飲むのでいいか?」
ロウは泣きながら、ジュリアンに声をかけた。
バルザックもグラスに手を取る。
「ち、ちょっと二人とも待て」
初めてジュリアンに焦りがみえる。
二人の涙に、胸の奥に何か忘れていたような記憶が蘇る。
そして呆然とする。
そして静寂の無言の時がーー数分流れた。
「これは??オリヴィアンのワインか...ヴァルターめ、せめて妹がいたグリモワールのワインにしてくれたらよかったのに...約束、思い出した。王になった日だな。」
ジュリアンは皮肉げにため息を吐きながら微笑む。
「私は、お前たちにそんな顔をさせるほど間違いを犯したのだな。思い出したよ。そんなに遠くないのにな。約束は果たす。信頼は信頼で返さないとな。
だけどーーお前たちは死ぬな!
ヴァルターたちに父の愚行を伝えなかったら、父に狂わされた俺やアンジェリカやお前たちの苦しみは、誰にも伝わらないままだ。悔しすぎるじゃないか。」
ジュリアンは二人をぐっと見据えた。
国民は、元凶となったグスタフ王の政治が戻ることを希望している。
(皮肉なもんだ...)
ジュリアンは、王座から見える景色をじっとみて、グラスを持ったままその椅子から降りた。
「お前たちは、俺の代わりに――
グスタフとクレアが何をしたのか、最後に世に伝えてくれ。
クレアの手下どもは、もう潰した。
けれど、俺の後を継ぐのはヴァルターだろう?
あいつは……本当にアホだ。
また誰かに利用されかねない。
アンジェリカが命を懸けて連れ戻しに来て帰れたっていうのに、またここに来るなんて、まったく世話の焼ける奴だ。
アルフレードと……リリスの娘にも、よく言い聞かせてくれ。あいつが、二度と、誰かに利用されることのないようにな。」
「いや、俺たちも一緒にいく」
ジュリアンは、二人の横に一緒に座った。
「いや、俺には信頼できるものがいたんだという気持ちのまま逝かせてくれ。最後に、そう思える人間の元で逝けるのは悪くない。オリヴィアンワイン、生まれて初めて飲むんだよ。リリスの嫁いだ国のものなんて飲みたくないだろ」
ジュリアンは、そういい一気に喉に注いだ。
「意外といけ...グヴォッ...う...あ...」
「ジュリアン!!」
ジュリアンは、何かを掴むように空へ手を伸ばし――そのまま、静かに崩れ落ちた。
白い息がひとすじ、冬の空に消えた。
「ジュリアン!!!ジュリアン!!」
二人は泣きながら、友の体をさすり抱きついた。
ヴァルトシュタイン城には二人の泣き声が響き渡った
ーーー
「グスタフ王の愚行は、理解しています」
アルフレードの声が静かに響く。
「祖父であっても、祖母であっても、許されることではありません」
ヴィオラも頷いた。
「リリスには、あまりにも酷い運命でした。彼女は誰にも害をなすことはなかったのに。ジュリアンも本当はわかっていたのですよ」
二人は俯いた。
ヴァルターは二人に微笑んだ。
「俺は母やジュリアンが思うように頼りないけど……これからは一人ではなく三人で考えてこの国を支えるよ。これから、国を立て直すために、あなたたちの力を貸してほしい」
しかし、二人は首を振る。
穏やかな笑みを浮かべて。
「その言葉を聞けて、安心しました。私どもは国や騎士団をまとめるものとしてあまりに多くの被害を出しすぎました。役割はこれで終わりです。どうか、今度こそ平和な国を――」
そう言い残し、二人は顔を見合わせた後、静かに倒れる。
「奥歯に毒を……!」
騎士たちが駆け寄る。
しかし、もう息はなかった。
ジュリアンの遺体の傍らで、
最後まで彼を信じた友たちは、共に倒れ、永遠の眠りについた。
ヴァルターは、三人の亡骸を見つめた。
雪がまた静かに降り始める。
真っ白な結晶が、彼らの亡骸の肩と手を覆っていく。
「……ジュリアン。俺はもう血塗られるのはこれで終わりにするよ」
その声は雪に吸い込まれるように消えた。
ただ、亡骸の彼らの表情にはやっと解放されたものがみられたのだった。




