177 誰も抱きしめなかった少年
アンナは、アルフレードが去ったあとのヴァルターの様子を語った
「今日もヴァルター様に抱きつかれたんだけど」
「あなたもなの?アンジェリカ王妃に甘えたいのかしらね?でももう十歳よ」
最初はべたべたと侍女に甘えるレベルのように見えた。もしくは思春期の目覚めだろうかと。
だが、年齢問わず、それが高齢であろうと洗濯婦であろうとべたべた。アンナも抱きつかれたことがあった。
「そのように女性に抱きつくものではございません。」
そう諭すと、
「ごめんね。寂しかったんだ」
と悲しそうな顔で言う。
実際、友達もおらず、他の貴族との交流もない。
アルフレードのように定期的にエドガーのもとに向かうこともない。
剣術は嫌いだと逃げ回っており、必要時間以外はやらない。
弓や槍はやっていたが、一人で向かい合う練習が多くずっと無言で練習を続けていた。
座学は、歴史を少し学ぶぐらいだったがあまり関心はなさそうだった。
「母上の歴史は少し偏りがあるから」
そうヴァルターが話しているのを聞いたものもいたが、とにかく勉強からは逃げ回っていた。
一方で、貴族社会のマナーや宮廷舞踊、芸術品の目利きなどアンジェリカの関心のあるものを毎日学んでいた。だが、アルフレードがオリヴィアンに旅立って以来、エドガーとフェリックスの対立は悪化していた。
外出は本当になくなり、彼が学んだものが活かされることはおそらくなかっただろう。
アンナも、フェリックスがヴァルターと話していた姿は見たことがなかった。
侍女から抱きつかれて困る話を聞いたアンジェリカ王妃は、眉をひそめ、そんな男の子に刺繍を教えた。
「寂しくて暇なら刺繍でもなさい」
芸術の目利きやセンスもあり、プロ並みの腕前で周囲を驚かせる。
外部との接触がないヴァルターは、部屋にいる時は一人で刺繍をして過ごしていた。
ーーー
エドガーとアルフレードは呆気にとられる。
「刺繍!!」
この時代、女性の手習いとしては刺繍や絵画はあるが、男性はない。
「でもすごい腕前なんですよ。アンジェリカ王妃もその腕前には満足しておられました。あとはひたすら貴族の作法を教え込んでましたね。でも社交界にデビューしてませんから、披露されることもなかったと思いますけど」
「つまり、女性が受けるような教育が中心だったのか」
アルフレードが聞くと、アンナが頷いた。
「そうですね。フェリックス王がヴァルター様に教えられたことはなかったですから...ですから、困ったことが度々起こるのです」
アンナは眉をひそめた。
「その子供時代の抱きつき行為は、最後まで続いたのです。最後が十六歳です。そうなると、今度は侍女の方が狙うのですよ。だってアルフレード様がいなくなり、次期王になる予定の方ですもの」
「まさか、隠し子とかおらんだろうな」
エドガーが焦る。
「いませんよ。抱きついたり、相手をその気にさせるのに手を出さないからこそ悪く言われるのです」
「相手をその気にさせて恋愛でもしようとしたのか?」
「いえ、城の外に出る手引きをさせようとしたのです。」
「ああ...閉じ込められればそうなるよな」
アルフレードはため息をつく。その頃の自分は、人質で国内の移動はあまりしなかったものの、海軍で都市国家でいろんなものを見ていた頃だ。
「その行き先が問題なんです。」
「城下町や市場などではないのか?まさか娼館とか...」
「それがフェリックス様の別邸なんです。抜け出しては会いに行って、話を聞いてはフェリックス様を怒らせて城に連絡がくるんです」
「父上とヴァルターが!!!」
エドガーとアルフレードは思わず顔を見合わせる。
「フェリックス様は、子供と関わりたくなくて怒るし、アンジェリカ様はそのことに加えて、ヴァルター様に侍女が言い寄ったと怒って何人も侍女を首にするし、大変でした。それでも繰り返そうとするんですもの。侍女はみんな相手にしないというか逃げ回りますよ」
アンナはため息を付く。
アンジェリカは実父が侍女を愛人にしたことから、実母が殺されたと思っている。
しかも、不仲な夫のもとに行く、その手引きをする侍女は、みんなヴァルターと恋に落ちる一歩手前。
それは怒りの対象だっただろう。
「ああ、でも、今思えばアンジェリカ王妃が引き入れたヴァルトシュタインの侍女には絶対手引きをさせなかったんですよ。もしかしたら、誰が味方か見抜いていたのかしら?」
エドガーとアルフレードは目を見合わせる。
その後、アンジェリカ王妃の命により、侍女たちはヴァルターのそばに寄ることがなくなったのだった。




