172 旗頭の王子、倒れる
少し前のヴァレンティアのことである。
セレンはヴァルターを守るためにヴァレンティアへ戻り、騎士団員となって鍛え直していた――
そんな矢先のことだった。
つい先日、セレンはレオポルト王と騎士団長である父・カインに、
「グリモワールの第二王子のヴァルターと結婚したい。そして、彼を守るためにヴァレンティアの騎士団に入りたい」
と打ち明けたばかりだった。
結婚まではともかく、なぜ騎士団??
カインがそう思うのも無理はない。
セレンがその理由を話した瞬間、二人とも黙り込んだ。
「……何? どんなに反対されても、私はやめないわよ。彼を守るって決めたの」
セレンがきっぱりと言い切る。
カインは苦笑しながらも、少しだけ目を細めた。
「いや、怒ってるわけじゃない。むしろ……本来のお前に戻ったようで嬉しい。ヴァルター殿と出会ってから、いい顔をしている」
「じゃあ、なんでそんな顔をするの?」
「気にしているのは別のことだ。ヴァルター殿が今度の戦で“旗頭”になる――今の話を聞くと、その話が問題なんだ」
その言葉に、セレンは息を呑んだ。
隣で聞いていたレオポルト王も、腕を組んで眉をひそめる。
「これからヴァルトシュタインの王になる男を、支える役割の両国の騎士たちが、支えるどころか、失脚を狙っている。
そんな状況で戦が成立するわけがないだろう。ただでさえ戦は疑心暗鬼になるものだよ。
ジュリアン王に利用されでもしたら、取り返しがつかん」
カインの指摘はもっともだった。
レオポルト王も口を開く。
「セレン。お前とヴァルター殿の結婚話はカインと相談しなさい。わたしは反対しないよ。むしろ先日のヴァルター殿の姿は不器用だが一生懸命なのは伝わった。ただ、彼が、戦の旗頭に向くかは切り離して考えるべきだ。」
セレンは頷いた。
「……だが、一度普段の彼を見ておきたいな」
「普段?ですか?」
「オリヴィアンやグリモワールの騎士団でどう扱われているか。アルフレード王やヴィオラ女王と、どんな関係なのか。
私はヴァレンティアを息子に譲ったあと、ヴァルトシュタインの補佐を頼まれている。ヴァルトシュタインが安泰なら、この国も安泰だからね。
だから、彼が“王としてふさわしい”か見極める必要があるんだ」
レオポルト王の声は穏やかだったが、その裏には深い懸念がにじんでいた。
「結婚の話もある。ちょうどいい、直接会って話してこよう」
――そのはずだった。
しかし数日後、結婚話をしに行ったはずの二人はーー
痩せこけ、全身傷だらけのヴァルターを連れて帰って来た。
「ヴァルター!? どうしたの!? あなた、どうしてこんな……!」
セレンは思わず悲鳴を上げた。
血と泥にまみれ、身体中内出血。息も絶え絶えの姿。
自分の知っているヴァルターじゃない。
そのくせ、顔は全く傷がなかった。
彼は、かすかに笑って言った。
「セレン……ごめんね。また、俺、迷惑かけちゃったみたい」
「何言ってるの……! お父様、一体何があったんですか!?」
誰にこんな酷いことを!!
セレンは、ヴァルターの手を握る。手もボロボロ。
プロポーズの時は、彼の方が綺麗な手だったのに...
「大丈夫よ。ここはもう安心だからね」
と声をかけ続ける。
侍従たちが駆け寄り、医師が呼ばれる。
ベッドに横たわるヴァルターの額には汗が滲み、
少し動くだけで痛みに呻いた。
「港にいる海軍のヘルマン殿を呼べ。大至急だ」
カインの指示に、誰もが息を呑む。
やがてヘルマンが駆けつけ、
その姿を見た瞬間、顔色を変えた。
「……なんてことだ」
ヘルマンは必死でヴァルターを励まし、セレンに伝える。
「オリヴィアンに行ってくるのでヴァルターを頼む」
その顔は、今にも誰かを殺しそうな勢いだった。
怒りを噛み殺したようにレオポルト王は言葉を絞り出した。
「ヴィオラ女王もアルフレード王も、人としては問題のない二人なんだが……王として問題があるのはむしろ、あの二人の方だ。最悪だったな」
そして大きなため息をついた。
「人間、想定外の事態でこそ本質が出る。
アルフレード王にとって大事なのは、民ではなく――ヴィオラ女王が責められないことであって、彼女に間違えがあっても正しいことではなく、彼女の意図に沿おうとした意識を持ってしまう。
そしてヴィオラ女王は、父の地盤を受け継いで、満足してしまっている。忠実な家臣も育てず、情だけで判断する。……あれでは、家臣の言いなりだよ。家臣からしたら可愛い姫のままなんだろう。あの二人の判断では、国が歪む」
その声には、王としての失望と怒りが混ざっていた。
「三国同盟で急に成長を果たし、搾取される側から、支配する側へまわった。
だが、強くなるほど、人は平等にあらねばならない。力を持つというのは、恐ろしく、難しい舵取りなんだよ」
レオポルト王の言葉に誰もが黙った。
ヴァルターの荒い息だけが、静かな部屋に響いていた。




