169 家族になりたい
ヴァルターは頭がこんがらがっていた。
いつもなら、こういうときは何も考えない。
考えたところで結果は変わらないし、むしろ悪化するだけだ。
――だけど、今回ばかりは考えないといけない。
だって、セレンが言ったのだ。
「よーく考えてね」と。
「セレン、俺と結婚したいって言ってなかった?」
なんで??
ヴァルターは顎に手を当て、唸りながら天井を見上げる。
しばらく考えた末に、ぽんっと手を打った。
「分かった!セレン!誰でもいいから結婚したかったんだ。ヴァレンティアには居場所がないって言ってたもんな。わかった、俺でよければ結婚するよ!」
その瞬間――パァンッ!
頬に乾いた一撃!
「……違ったらしい」
ヴァルターは頬を押さえながらよろめいた。
「ごめん!ごめんね!!俺、考えが浅かったみたい」
セレンから、とてつもない怒りを感じる。答えはわからないのに、それは分かる。腕を組み、目も三角に吊り上がってる。
「なんでだろう……?」
ヴァルターは困惑したように首を傾げる。眉もこれでもかとひそめてみる。
そして、また何かを閃いたように顔を上げた。
「そうか!セレン!俺の顔が好きとか??」
街に出ると、よく“顔がいい”と褒められる。それだ。
でも、俺より顔がいいやつはいそうなものだけど。まあ、いいか。
――パァンッ!
今度は逆側の頬に、鈍い音が響く。
セレン、力強すぎだよ。
「ヴァルター、私がそんなことで結婚したがる人間だと思ってたの?最低だわ」
セレンの目にうっすら涙が滲む。
ヴァルターは慌てて手をぶんぶん振った。
女の子と深く付き合うこともないのに、初めての女の子のしかも友達を泣かしてしまった。
どうしよう!!
「泣かないで、ごめんね、泣かないで」
オロオロしながら、そっと近づき、ぎゅっと抱きしめる。
だがセレンは、ふーっとため息をつく。
彼の胸を軽く押して、真っ直ぐ見つめ返した。
「この距離は近すぎよ。きちんと、まともな答えを返すまでダメよ」
「えーっ!俺と結婚したい理由??」
ヴァルターは頭を抱える。部屋の中をうろうろ歩き回る。
頭を振ってみる。ポカポカ殴ってみる。
その姿を少し面白そうにセレンは見ている。
普通、どんな時に結婚するんだろう。
今回は“仕方なく”ではない。セレンの意思なんだから。
――両頬平手打ちの次はどこだろう?
顎をグーパンチとか……?
「もしかして!もしかしてだけど……」
おそるおそるセレンの顔を覗き込む。
「あの……うぬぼれかもしれないけど、俺のこと……好きとか」
拳が飛んでくるか?来るのか?と身構える。
「本当に、うぬぼれね」
やっぱり。
でも、拳は飛んでこなかった。
セレンは、くすっと笑っている。
「でも、いいところついてるわ」
「つ、突いてるの!!」
「好きよ。でも、今すぐ結婚したいわっていうのではないわよ」
ヴァルターはぱっと顔を明るくした。
「それなら、俺も好き。ずっと一緒にいれたらいいなって思うんだ」
「はい、正解。それよ。ずっと一緒に、家族でいたいのよ。あなたと」
「えっ!!」
「えっ、ばかりね」
セレンが呆れ顔で笑う。これだから...と呟きながら。
「そんなに驚くことかしら? あなたの妻でいたい。家族でいたい。あなたの味方でいたいって」
ヴァルターは視線を彷徨わせた。
「俺と??妻って!家族って!!いや、それ、セレンに得がないよ」
俺は焦る。セレンは大切な俺の初めての友達なんだ。
俺と一緒にいたら辛い思いをたくさんさせてしまう。
俺は大切な人に、辛い思いをさせたくないんだ。
「家族って損得で選ぶものかしら? あなたの本当の家族は、損得どっち?」
「それは……損じゃないかな、多分……」
多分どころか、絶対損だ。
父は、兄と祖父を殺そうとしたし、母は父を殺したし、俺は母に名前を使われて戦争を引き起こした一人になってる。
「ならあなたにとって、一つぐらい得があってもいいと思わない?私の存在が得ならね。
私はあなたのそばにいたいの。あなたの家族でいたいの。あなたはどう?」
セレンはそう言って笑って話しながら俺に近づいてくる。
ヴァルターは、言葉を失って立ち尽くした。
その瞳の奥に、かすかな震えが宿る。
「どうって……考えたこともなかったよ。俺に近づいて碌なことはないと思うし。嫌な思いばかりするよ」
セレンは静かに首を振った。
「じゃあ、あなたが私を大切にしてよ。他の人が嫌なことをする以上に、私を家族だと思ってよ。
何度でも言うわ。私はあなたの家族になって味方になりたいの」
ヴァルターは深く息を吸い込んだ。
「……本当にいいの? みんなから反対されるよ。きっと」
「されないわよ。されても、負けないわよ。でも、この話、レオポルト王が乗り気なのよ。あなたのお兄さんもヴィオラ女王も、なんならヘルマンさんもね。あなたも知ってるでしょ」
沈黙がはしる。
ヴァルターは信じられないという顔をしてしばらく、呆然としていたが、大きく深呼吸する。
そして、セレンに歩み寄り、ヴァルターは膝をついた。
真っ直ぐにセレンを見上げる。
「セレン、俺は頼りないし、君を傷つけることばかりで言葉は足りないけど――俺の信頼する家族になってもらえますか?俺は、生涯、君だけを愛することを誓うよ」
セレンは小さく笑いながらも、少し頬を赤らめた。
「いいけど、生涯愛するって、今まだ愛してないでしょ?」
「損得なく、俺の唯一の味方でいてくれる女性を、愛さないわけがないよ。
すごく嬉しい。どう表現していいかわからないけど。君を大切にするよ」
セレンは、「合格よ」と言い、そっとその手を取った。
ヴァルターは、その手の甲に唇を寄せる。
セレンの手は剣の訓練で硬くなった手。指先には、小さな切り傷の跡。
努力の証が刻まれている。
それをヴァルターは愛おしそうに撫でた。
びくっとセレンが手を引こうとしたが、ヴァルターはそのまま立ち上がり、静かに抱きしめる。
今度は、セレンも殴ることも押し返すこともしなかった。
「ええと……キスは……まだ早い?」
念のため、ヴァルターは殴られる前に尋ねる。
「いちいち聞かないでよ! 恥ずかしいっ」
――ゴンッ
鈍い音が響く。
「痛い……」
けれど、そっと唇を寄せる。
セレンの頬が赤く染まり、目が静かに閉じられる。
ヴァルターは、彼女のふっくらとした唇にそっと触れた。
その瞬間、二人の空間がふっと止まった。
こうして、二人は――交際0日で、結婚を決めたのだった。




