164 同じ屋根の下、遠い心
セレンは、海軍拠点での炊事を担当したり、一緒に訓練に参加させてもらえる日が増えてきた。
だが、やはり肉体労働では足を引っ張ってしまう。
重い紐はびくともしないし、荷物も持ち上げられない。
唇を噛むと、
「やめたほうがいい。唇から血が出てる」
といつもの距離感でヴァルターが唇に触る。
もう慣れたし、本当に心配してくれるだけなので素直に頷く。
周囲も、ヴァルターが声をかけているのを見て、私が役に立ちたい気持ちを汲んでくれる。
「炊事が担当なんだから、みんなと同じ動きじゃなくて、緊急時にどう動いてほしいか、手助けしてほしいかを知って動いてくれ」
などを説明してくれる。セレンは怒鳴られて、邪険にされないことにほっとしていた。
「ヴァルターの彼女か」
「そりゃ、一時でも離れたくないよなあ」
「手伝ってやらんとな」
周りはからかうが、ヴァルターは言葉少なに頷くのみ。
付き合ってる設定とは言え、頷きだけの肯定は、変な言葉よりパワーがある。
真っ赤になるセレンに
「ヴァルターに飽きたら俺にしろ」
「こいつは、最初の頃は魚が跳ねただけでも大騒ぎしてたんだぞ」
「いや、ネズミみて叫んだこともあったな」
とわいわい賑やかに話してくれる水夫たちに心救われていた。
そのヴァルターは、からかわれても、一緒に炊事を手伝ってくれる。
特に、ナイフで野菜の皮剥きをするのは速いし上手い。
最初の頃、指を怪我したらその手当てをしてくれるのもヴァルターだった。
「俺も最初はできなかったけど、これは慣れだから心配ない」
あっという間にじゃがいもを剥いてしまう。
それを普通に雑談しながらするのだからすごい。
「うん、私は家ではやったことがなかったわ。恥ずかしい」
セレンも遅れながらも、皮をむいていく。
「がっつり料理を作る王家なんて聞いたことない。ヴィオラ女王も、アルフレード..王も、さすがにご飯を作ってた話は聞かないから当然なんじゃないか?」
「あなたって、口下手だし、距離感もおかしいし、ひ弱で臆病なところも多いけど、本当に優しいわよね。これが妻なら間違いなく引くて数多よ」
「うーん、褒めてるの?貶してるの?」
ヴァルターは、えーっといいながら不満そうだ。
「褒めてるわよ。多分、街で女の子たちに囲まれるのはそういう優しいところよって伝えたかったの」
そのくせ、誰とも本気で付き合わないから、争奪戦もおきるのだ。
自覚してもいいと思うのに...
今までの人生は、料理人から食事を作ってもらうのみ。
自分で作ったのはヘルマンの家に来てからである。
練習も兼ねて、船だけでなく、家でも料理人と一緒に食事を作らせてもらう。
そこで、料理人たちからレシピをもらって、船で振る舞ったり、自分が家で食べていた料理を伝えたりする。
ヴァルターは、家で料理人と一緒に作らせてもらえないか聞いた時に、「俺もやる」って一緒に参加して作ってくれるし、その日の困ったことなど話を聞いてくれる。
そして、作ったご飯の感想をお互いに言い合ったり、片付けをしたりするのだ。
ヴァルターとセレンの二人は、船だけでなく、家でももはや、付き合っている認定のような扱いを受けていた。
セレンは、そのことにくすぐったい気持ちもありながらも、ヴァルターが事情があって縁談もも受ける気はないという話を聞いて以来もやもやしていた。
「もし自分が縁組を結ぶのだとしたら、ヴァルターみたいな優しい人がいいなと思うけど...年寄りでもいいから、優しい人がいいわ。ヴァルターは、事情があって無理だっていってたわね...私がダメなのは行き遅れだからとか、剣を振り回すからじゃないのよね」
ーーーやっぱり、実のご両親のことかしら?
でも、立ち入れないわね。これだけは...
どんなに、一つ屋根の下家族のように暮らしていても、立ち入れないのは少し寂しかった。
だが、そんな日が続いた頃、ヴァルターが海軍から外れる話が流れてきた。
「ヴァルター、本当に騎士団に行くの?」
「うん、でも練習終わったら戻ってくるから。ご飯は一緒に作れないけど、帰ってきたら食べるから」
微笑んでいるけど、絶対ヴァルターの意思じゃないわ。
騎士が足りないのかしら?
攻め込まれた時に、多くの騎士団員が亡くなったって聞いたし...
「ヘルマンさん、どうして?海軍に所属している人はずっと海軍なのでは?」
ヘルマンも苦しそうに微笑んでいる。
「そうなんだがな。ヴァルトシュタインとの戦いが近くて、ヴァルターは騎士団で動くことになったんだ。セレンを戦場に連れていくことはないが、海軍もヴァレンティアと一緒にヴァルトシュタインの海軍を潰しに行く。」
「ヘルマンさんも!!わ、私の役割は...」
「さすがに戦場には連れていけないが、拠点の仕事はたくさんあるから心配はいらない。それに君はヴァルターの唯一の友達だ。戦場に行くまで、あいつの話し相手になってやってくれ、」
そう言われて、呆然とする。
一緒の屋根の下に暮らしていても、私たちはみんな他人なのだ。
縮まることのない関係に、セレンはショックを受けていた。




