160 湖上の王城と二人の距離
ヴァレンティアの王城は、美しい湖の上に浮かぶ城だった。
日の光を受けて水面と城がキラキラ輝くその姿に、ヘルマンとヴァルターは思わず感嘆の声を漏らした。
「綺麗だな。これがヴァレンティアの城か」
「まるで芸術作品だな」
馬車が止まり、セレンが降りようとした瞬間——
ヴァルターが自然な動きで右腕を差し出した。
「どうぞ、セレン嬢」
え、と戸惑う彼女の手をやさしく支え、半歩先に立つ。
階段を上がるときは、今度は一歩下がって後ろから支える。
その所作は完璧だった。
……腐っても王子。
ヘルマンは呆然とした。
(お前、やればできるじゃないか! 本当に王子だったんだな!?)
そして、思い出す。アンジェリカの指導か!!
一方のセレンは、あまりの美しい所作に顔を真っ赤にしていた。
「あ、あのヴァルター……私、一応王族だけど、こういうの慣れてなくて……」
「大丈夫。君は普段どおりでいい。僕に合わせて」
柔らかな笑みを浮かべるその顔に、セレンの心臓が跳ねた。
なんだろう、安心するような……くすぐったいような。
周囲の使用人たちが、ひそひそと目を向けているのがわかる。
王城の中で、あれほど自然に女性をエスコートする姿など滅多に見ないのだろう。
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客間に通されると、すでにレオポルト王が座っていた。
「ヴァルター殿、ヘルマン殿。大変だったな。堅苦しいのはなしだ。セレンもよく頑張ってくれた。座ってくれ」
「ありがとうございます。お初にお目にかかります。オリヴィアン海軍提督、ヘルマンと申します。こちらは息子のヴァルターです。今回はセレン嬢のご協力に感謝しております」
レオポルト王はヴァルターに関心があるようだ。
先の戦争に関係しており、ヴァルトシュタインの内戦にも利用された馬鹿息子はどんな人間なのかーーそう思って当然かーーヴァルターはそう思う。
ヴァルターは、自分も挨拶をした後、セレンの椅子を引いて座らせる。
まるで「この女性は守るべき存在だ」と王に示すかのような仕草だった。
レオポルト王の目が細くなる。
「これは……二人は、親密な関係なのだろうか?」
その言葉に、セレンは目を丸くし、ヴァルターはわずかに眉を動かした。
どう答えるべきか、一瞬の間にいくつもの考えが巡る。
セレンを傷つけるような返答は避けるべきだ。
先ほども社交辞令で傷ついたと言っていた。
そして、自分に初めてできた友人で女性なのだ。
ヴァルターは小さく息を整え、頭を下げた。
「お尋ねの意味とは違うかもしれませんが……大切な女性です」
一瞬、空気が止まる。
セレンとヘルマンが同時にギョッとした。
(おい、リップサービスが過ぎるぞ!!)
「ち、違うの叔父様! 彼は友だちよ! 私の立場を気にして立ててくれてるだけ!」
慌てて否定するセレンに、レオポルト王は吹き出した。
「ははっ、いいじゃないか。そう言ってくれる者がいるのは幸せだ。……さて、報告を聞こう」
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話は和やかな場面から、ヴァルトシュタインの話にうつる。
「やっぱり北部は亡命者で溢れているか...しかし、男女が手を繋ぐのすらダメって、それは相当だな。」
「兵は風紀を乱さない目的で南部に集結してますから、北部を破って仕舞えば中部まではなんとかなるでしょう。ただ、中部は出稼ぎの鉱夫が集められてますので、武器を持たせたらそれなりの数になると思います。」
「一気に行かずに、北部と海軍だけ先に潰すかな。鉱夫たちが不満を中で爆発させてくれる方がありがたい。」
「海軍は前より弱体化してます。商船の数も減って、守る対象が減ってるのに、それでも海賊にやられるということは守りきれる戦力がないということです」
「元々あそこの海軍はそこまで大きくなくて、軍事目的よりは交易目的だったからね。オリヴィアンやヴァレンティアみたいにいつ攻められるかと思えば軍事面も強くなるんだろうけど。海を潰して北を潰せば、ますます国民も苦しくなるだろう。あとは、暴動が起きるところを中心に攻めるかな?」
ヘルマンは唸る。
「確かに、オリヴィアンとヴァレンティアの海軍が攻め込め ば短期で海軍は制圧できますが、肝心の港は南部だ。港の制圧は難しいでしょう」
しかも、王城と港は距離が近い。
港に何かあれば全ての兵を差し向けてでも港を守るだろう。
そこから上陸されて仕舞えば、向こうは打つ手がなくなるからだ。
「港は無理でも、南部を潰す時に海軍がない方が助かるな。うちの提督とも相談してみるよ。」
重苦しい軍議の空気の最後に、ヘルマンが静かに切り出した。
「……ところで、セレン嬢のことですが」
レオポルト王の眉がわずかに動く。
「オリヴィアンの海軍の炊事担当として働けないかと。本人も希望しておりますし、ヴァルターとも良い友人関係を築いております」
「ほう……妹の娘を他国の海軍に、か」
王は目を細め、しばらく考え込んだあと、口角を上げた。
「いいけど——セレンにスパイをさせるかもしれないよ?」
「そ、そんなこと……!」
セレンが硬直する。
その前に、ヴァルターがきっぱりと口を開いた。
「そんなことをすれば、彼女は国と私の友情の狭間で壊れます」
その言葉に、レオポルト王は目を伏せ、ため息をついた。
「……わかっているよ。セレンが追い詰められているのは私の責任だ。だが、もう二十二だ。王族の娘としては、嫁ぎ先が厳しくなる」
セレンはわかっていると頷いている。王族や貴族は、大体十四歳から十八歳ぐらいが適齢期。庶民でも、22歳のセレンは遅い部類に入ってくる。
「叔父様も知っているはずよ。私、海軍で行き場がなくて男の人のようになりたくて髪の毛を切ったの。頑張って剣の道を極めたけど、でも、結局、行き遅れちゃってみんなに迷惑ばかりかけてる。どうせ、この歳と髪で誰も欲しがる人なんていないわ。やり尽くしたら、それでも誰かそれでも欲しいという人と縁組して。ダメなら出家する」
ヘルマンとヴァルターの目が泳ぐ。
セレンにそこまでの判断をさせていいのだろうか。
いや、でも好きでもない相手と結婚してもつらいだけかも知れない。
レオポルト王はため息をついた。
「そこまで追い込ませてしまったわけだから、君の思うようにしてみたらいい。妹には、私から話をしてみるよ」
セレンは嬉しそうに笑顔になったが、それを見たヴァルターは、自分の過去をこれほど恨むことはなかった。




