145 海の見える丘で、君を還す
オリヴィアンとヴァルトシュタインの国境で、お互いの兵の睨み合いは続く状況で、捕虜と遺体の引き渡しが行われた。
その受け渡しの場には、グリモワールからは宰相のローランが、オリヴィアンからはヘルマンが立っていた。
お互い一定の距離に防衛線を張り、縄で結ばれた捕虜が向こうの名簿で間違いなくヴァルトシュタイン兵かを確認していく。
グリモワールとオリヴィアン側は、荷馬車から外された桶3つの蓋を開く。
(棺でもないのか...)
桶は普通の兵や庶民に使われるものだ。
王族への扱いではない。
それどころか、セバスティアン王とリリス王妃の遺体は、土まみれになり、白骨化していた。
これは、罪人と同じようにそのまま検分した遺体を何も入れることなく土葬していたことを意味する。
そのまま持って来れないから庶民用の桶にいれただけだ。
(どこまでも馬鹿にしやがって...)
だが、その白骨化されつつある遺体が着ている泥まみれの衣服は、見覚えのある服で、オリヴィアン王家の印も裏地に入っている。
悔しさに涙を堪えながら、唇を噛み締め桶の蓋を締める。
ヘルマンはグリモワールの宰相にも頷いた。
次はグリモワールの宰相ローランが、アンジェリカの死体を確認する。だが、桶を開いた瞬間その手が止まる。
ヘルマンもアンジェリカの顔を知っていることから一緒に確認するが、思わず固まってしまう。
まだ、鼻につき、うっと吐き気がくるような腐臭と服すら着替えさせられることもなく、ジュリアンの指示によって切り刻まれた衣服の残りが肌に残っている。皮膚の色はかつての白い綺麗な肌ではなく、それなのに残酷なまでにアンジェリカ本人だと判別ができる状況だった。
土もついていないが、棺にも入れられない。殺されてそのままどこかに保管されていたのだろうか?
すぐ蓋を締めてくれ!!
ヘルマンは叫びたくなる。
死んでからも、あんなに気高かった彼女がなんでこんな目に遭わないといけない?
だが、ローランは、その遺体をじっと見て蓋を締める。
戦犯でもあり、王妃でもある。その本人であるかの確認をするのは当然の行為なのだが、耐えられない。
震える拳を握りしめて、爪が肌に食い込む。
ここでヴァルトシュタイン兵を殴り飛ばすこともできない。
こいつらではない。
ジュリアン王が許せない!!
だがそんな心の叫びとは関係なく捕虜と遺体の交換は、淡々進み、お互いの防衛線までもどり終了となった。
再びその国境をグリモワールの兵が強固な守備で固めていく。
「地下か冷えた場所で保管していたんだろうか?思ったよりアンジェリカの状態がそのままだな」
ローランは少し黙り込む。
ヘルマンはギョッとする。
まさかグリモワールでまた晒されるのか??
背中から汗が垂れ、必死で宰相に伝える。
「この3人はみんな王族です。こんな扱いは...ないでしょう。その...アンジェリカ王妃はまだグリモワールで検分を受けるのでしょうか?アルフレードやヴァルターの気持ちを思うともうこれ以上の人目は...」
ヘルマンは嘘だと自分でわかっていた。
俺が見せたくないんだ。
あの、品があり、気高く、つんとしていて、でも言葉と裏腹に相手を思っていた彼女のまま逝かせてあげたかった。
年甲斐もなく、今夜は泣きながら眠ることになるだろう
「いや、このご遺体はアルフレード様の希望なので、検分はアルフレード様が行ってくれれば...それに埋葬はこちらの国ですると伺っているので」
本来であれば戦犯であり晒される可能性もあったが、未来の王であるアルフレードの実母であり、あまりアンジェリカの存在を表に出しすぎるのも良くないらしい。
また、今回のことは、グリモワールとしては、衣食住の費用もかかる捕虜の扱いに困っていたので、戦犯の遺体が欲しいのではなく、捕虜がいなくなるだけで助かるというのが本音だった。
ヘルマンはホッとする。
ヘルマンは、
「人目につかぬよう王と王妃の遺体を王城まで運べ」
と指示する。
今日は、ヴィオラもアルフレードも深く悲しむだろう。
このあと、王と王妃の二人の遺体は美しく清められ、桶ではなく棺に入れられて国民に弔われる。
そして多くの人たちの悲しみに触れるだろう。
君主がこんな扱いを受けたことが、ヘルマンも到底許せなかった。
報告のため王城へ向かうべきだった。
しかし、ヘルマンは兵たちに伝える。
「すまないが……アルフレード様が確認されるまでは、アンジェリカの遺体から離れるわけにはいかない」
もっともらしい理由をつけた。
本当は、誰より早くアンジェリカの遺体を人目から遠ざけ、綺麗にしてやりたかった。
「はやく綺麗な棺に入れ直してやりたい。彼女らしい姿で眠らせてあげたい」
そう呟くヘルマンは港の方向に、アンジェリカを乗せた荷馬車を急がせる。
結局、ギロチン刑を見届けてから、自分の思いに区切りをつけようとしていたのに、それを見ることはなくなった。
それによって思いは、行き場がなくなってしまった。
これからも自分と関わり、愛を囁くことになる女性は多いだろう。
それなのに、愛も囁けず、キス一つすらすることもなかった彼女を生涯わすれることはない。ずっと心の奥底で翻弄され続けるのだ。
◇◇◇
ヘルマンは、人払いをして、海軍の本部に準備させていた乳香や没薬を焚き、用意していた棺に香草を敷き詰め、自分の持っていた青と赤の色彩が美しいフィレンタの象徴的な布でアンジェリカを包み込んだ。
アルフレードとヴァルターに、少しでも気高く、美しい母の印象を残したかった。
ヴァルターはとくに、心の闇を多く抱えている。
だからこそ、これからヘルマンは、アルフレードとは違うアプローチで、時間をかけて寄り添うべきだと感じていた。
「本当に君は悪女だよ。」
ヘルマンはもう、肌の色も変わり人の形を保てなくなりつつあるアンジェリカに話しかける。
「せめて、君がアン夫人だった時にこの気持ちに気づけばよかった。鼻で笑われても、ふざけていると思われても伝えることはできたんだろうに、おかげで君が忘れられなくなったじゃないか。」
ヘルマンは一筋の涙を流し、棺を前に一人泣き崩れた。
「安心したらいい。ヴァルターが困った子供でも見捨てずに最後まで面倒を見るから。アルフレードは大丈夫だ。ヴィオラと、支え合ってセバスティアンを守るよ。きっとまだ君が知らない子もこれから誕生するかもな。
これからは、ずっとこの地で俺とみんなを見守ってくれ。
もしお互い生まれ変わったら、俺のところに来てくれたら幸せにするよ」
腐臭と香が入り混じる部屋の中で、ヘルマンはアンジェリカにしばらく寄り添った。
だが...ふと意識が飛んだような気がした。
「嫌よ!あんたみたいな歩く種馬なんて!女ったらしじゃないの!」
そう笑って、ツンと気高く去っていく幻のアンジェリカがいたようにヘルマンには見えた。
※※※
後日、セバスティアン王とリリス王妃と対面して、憔悴しきったヴィオラとアルフレードが、アンジェリカに会いに来た。
そして、ヘルマンと共にヴァルターもアンジェリカと対面した。そこでも、みんな共に激しく涙を流す。
「アン夫人!アン夫人!!」
「母上!」
「母上!ごめん、ごめんよ」
もう会えず、話せない。
どんなに泣いても叫んでも帰って来ない。
変わり果てた姿はみんなの心に大きな傷を残した。
かつて“アン夫人”と呼び慕った海軍兵たちも、全員が涙を流した。
彼女を慕う者は、確かにここにいる。
アンジェリカは、オリヴィアンの海が見える丘に葬られた。
小さな墓石が一つ。
だが、花は絶えることがなかった。
彼女を愛した者たちが、いなくなるその日まで。




