144 亡き母の願い、ふたりの再会
アルフレードは、エドガー王からグリモワール中部へ呼び出しを受けていた。
オリヴィアンにかかりきりだったため、お叱りを受けるかと思っていたが、意外にも王はにこやかだ。
「ガラス越しで、いつもセバスティアン様と対面されるんですよ。それが楽しみのようで」
アンナが苦笑している。
新緑の季節が過ぎ、夏になるころには、セバスティアンはつかまり立ちができるようになっていた。
窓辺にうつる人影に夢中になるので、日中は外が見える部屋に移ったらしい。
ガラス越しに貼りつくように笑うセバスティアンを、エドガー王はもちろん、兵たちも微笑ましく見守っている。
その愛想のよさから、屋敷中で人気者だという。
「ヴィオラ似だな。誰にでも愛される」
「何を言ってるんですか。アルフレード様も、天使が生まれたようだと皆に可愛がられてましたよ。アンジェリカ様にだけ愛想が悪かったんじゃないですか?」
「うーん、悪役顔だからかな?母上は?」
「一生懸命なんですけど、空回りして顔が怖くなるし、声も硬くて……赤ちゃんにかける声じゃなくて命令口調なんですもん」
二人でぷっと笑う。
けれど、アンナもかつて仕えた王妃が亡くなったことを聞き、衝撃を受けていた。
だが、ほぼ全ての使用人たちの間では、アルフレードへの厳しさや仕打ちもあり、「好かれた王妃とは言い難い」「自業自得だ」といった空気が漂っているという。
その話を聞いて、アルフレードは思った。
――アンジェリカの遺体の引き渡しは無理だろうか。
オリヴィアンでの話し合いをエドガー王にも打診していたが、意外にも答えは「構わない」だった。
「息子を殺した女だから複雑だが、息子のやらかしたことを考えても、理解はできる。
しかも、息子のその罪を被らせたままというのも気の毒だ。お前が引き取りたいというなら、目立たぬ墓地に埋葬してやればいい」
「できれば、オリヴィアンの港の近くに埋めてやりたいと思います。フィレンタで関わった海軍兵たちもいますし、俺とヴィオラ、セバスティアンも時々訪ねられますから」
俺は、海が見えるあのオリヴィアンの景色を思い浮かべた。
国民から嫌われ、夫とうまくいかなかったグリモワールに縛りつける必要はない。
そして、信じていたものに殺され、思い出してくれる人さえいない母国より、少しでも彼女を知る人のそばで眠らせてやりたかった。
「ところで、ヴァルターはどうしてますか?」
アルフレードはずっと、あの弟のことが気にかかっていた。
あいつは、俺の欲しいものをすべて持っていると思っていた。
だが、そうだろうか?
自分のやったことで、母を目の前で殺され――そして、母が父を殺したことにも巻き込まれている。
確かに軽率だった面はある。
学ぶ努力もすぐやめてしまう。
けれど、そうした環境を与えられていなかったのも事実だ。
グリモワールでは母の過干渉で城が中心の生活で、外で遊ぼうとしては問題を起こし、何度も連れ戻されていた。
もし外の世界との関わり方を教えられる人がいれば、きっと違っていたのだろう。
俺には、エドガー王やセバスティアン王やヘルマン提督がいた。
侍女たちに手を出しては問題を起こしていたのも同じだ。
女性に興味を持つ年頃でありながら、城以外の世界をほとんど知らなかった。
でも、俺は、リリス王妃やヴィオラたちと一緒に暮らしていたから、関わり方や距離感は、失敗したり怒られたりしながらも、時にはヴィオラと甘い経験もあって困ることはなかった。
だが、ヴァルターはいつも孤立していたのだ。
この歳になるが婚約者すらいなかった。
父フェリックス王が、ヴァルターに対して無関心だったらしい。
ヴァルターを気にする俺に、エドガーは腕を組んで唸る。
「自分のやらかした罪くらいは理解できるようになった。だが、自分の体に流れる血の責任というやつを、やっと理解し始めたところだな。
ここに来たばかりのような、ジュリアンのせいだ、アンジェリカのせいだと言い訳することもなくなった。……ただ、今は呆然としておる」
エドガー王は苦々しげに言った。
「ヴァルターは、思ったほど頭の悪い子ではない。ただ、根気が続かない。考えることをすぐ放棄しようとするんだ」
「処分はどうされるおつもりですか?」
俺は恐る恐る聞く。
「とりあえず廃嫡は決定だ。そのあとが問題だな。利用されても困るから、幽閉するか出家させるか……」
エドガーも悩んでいる。
ヴァルターがやったことは、一つ一つは罪ではない。
父親に放置されて、母親に利用されてしまっただけだ。
とはいえ、持っている王家の血は重い。
「それなんですが、面倒を見たいと言ってる者がいます。オリヴィアンで預かり、できれば仕事もさせたいと」
「面倒を見たい奴? お前じゃなくてか?」
アルフレードは苦笑しながら頷いた。
「アンジェリカがずっと気にしていたヴァルターを、ちゃんと生きていける大人にしてやりたい――そう言っていました」
エドガー王は、目を丸くした。
―――
「久しぶりだな、ヴァルター」
戻ってきたときはまだふっくらしていたと聞いていたが、今は痩せ、頬がこけていた。
久々に見る弟の顔立ちは、自分とよく似ている。
「アルフレードか。久しぶりだな……こんな形で会うとは思わなかったよ」
弱々しい声が返ってくる。
「俺は、死刑か?」
「いや、その話もあって来た。お前、ジュリアン王からどんなことを聞かされていた?」
「ジュリアン王からは、母が殺された話と、後妻クレア王妃の恨み節だな。
“今はこうだけど本当はこうだった”“この領地はあの貴族が持っているけど、本当はこうあるべきだった”……そんな話ばかりだった。
勉強ってより、恨み言を聞かされてるようだったよ」
「母上が殺された後は?」
「父上と別居した後、母上はフィレンタでオリヴィアンの提督と不倫していた――そう言われた。
子供もいる、戦争中もその提督と娘と、お前をヴァルトシュタインに押しつけたまま、母上は幸せに暮らしてた、って。
でも、今度はお前も連れて、その男とまた一緒に暮らそうと言ってる、って……でも、それはジュリアンの嘘なんだろ?祖父上から聞いた」
ヴァルターは涙を流した。
「でも、仮に嘘だと知っていても、俺はきっとその男を殺してたと思う。
だって、逆らえなかった。母さんは、ジュリアンの手先に刺されて、目の前で血まみれになった。
クレア様も捕まった。
母上から『逃げて』って言われても逃げられなかった。
ジュリアン王に“その男を殺せば、クレア側についたことを許してやる”と言われて……その日に船に乗せられた。
ずっと見張りがついて、母が死んでからは何も考えられなくなった」
「今、その男が目の前にいたら殺すか? ジュリアン王のもとに戻るか?」
ヴァルターは首を横に振り、震えた。
「俺は“王”というものの怖さを知ったよ。
父上は遠い存在で、怖いというより関わりがない人だった。
でも、ジュリアン王は違う。
あの目、あの声、すべてが逆らえない。
誰が死のうと気にしないし、裏切りを決して許さない人だ。
母上は一度もジュリアン王を悪く言わなかったのに。
いつも“努力家で賢くて、決断力がある方”だって言ってたのに……」
泣き崩れる弟を見つめながら、アルフレードは息を整えた。
「その提督は、ジュリアンが思うような恋仲ではない。母上と一緒に、俺の子供を守ってくれていたんだ。
だが、その期間、母上がお前のことも気にかけていて、そのためにヴァルトシュタインへも向かっていた事を知っていた。
ヴァルトシュタインから提督宛に送られたジュリアン王が“ラブレター”だと勘違いした手紙は、“自分は死刑にしてもいいから、ヴァルターをグリモワールで保護してほしい”という内容だったんだ。」
アルフレードは言葉を区切り、静かに告げた。
「だから、その提督が言っている。母上が気にしていたお前を手元で鍛えたいと。
……言っておくが、海軍提督だから怖いし、きついし、殴るし、スケベだし、大変だぞ。
でも、ここで幽閉されるよりはずっといい。将来は、俺の手助けもしてくれないか。もう、俺たち父上も母上もいなくて、二人だけになったんだからさ、兄弟で支え合っていかないか?」
ヴァルターは唖然とした顔で見つめ、しばらくして、かすかに微笑んだ。
「……それしか道がないなら、頼むよ」
弱々しい声だったが、その瞳に、かすかな光が戻っていた。




