14 船酔い王子、眼帯を投げ捨てる
アルフレードが一番苦手としたのは、海軍の訓練だった。
船に乗った途端、容赦なく襲ってくる船酔い。
揺れるたびに胃がひっくり返るし、大波が来るたびに心臓が止まりそうになる。
(……終わった。今度こそ転覆する)
柱にしがみつくのが精一杯。
他の水夫たちは平然と甲板を駆け回っている。
協力しあって、縄を引く。
それなのに、自分だけ動けない。ただの邪魔者だ
「このくらいは日常茶飯事だ! 軍人どころか漁師だって騒ぎゃしねえぞ!」
ベテランの水夫に一喝され、悔しさで視界がにじんだ。
(なんで……俺だけ……)
平気なふりすらできない。立ち上がることもできない。
そのとき――
「おっ! いい顔になってきたじゃねえか」
声をかけてきたのは海軍提督ヘルマンだった。
真っ青な顔を見て笑っているのかと思い、思わず睨み返す。
だがヘルマンは口元を歪めて笑い、言い放った。
「海は陸とは違う。ここじゃ肩書きなんざ関係ねえ。実力と仲間がすべてだ。……お前、綺麗すぎんだよ。そのツラがな」
そう言いながら、ヘルマンはアルフレードの眼帯を指で示した。
「その眼帯を外せ。傷なんて隠すな。むしろ勲章にできるくらい増やせ。海の男で傷のねえやつなんざ、まずいねえんだからな!」
眼帯を見てきた者たちの視線は、いつも「気味悪がる」か「物珍しさ」しかなかった。
だが、この男は――あえて「見せろ」と言った。
アルフレードは、なるようになれと眼帯を外し、床に投げつけた。
船が揺れ、眼帯はあっけなく海へと落ちていく。
その瞬間、不思議と顔に風を感じ、見えないはずの目に光が差したような気がした。
ヘルマンは満足げに頷く。
傷を見ても、表情ひとつ変えないのはこの人が初めてだった。
(……海の男は、スケールが違う)
「アルフレード、吐けるなら全部吐け! あと近くの人間の動きを見るな。今のお前には無理だ。その代わり、海を見ろ。この海原を、しっかり捕えろ」
言われるまま、船員の動きを追うのをやめて水平線を見た瞬間――少しだけ胸が楽になった。
まるで新鮮な空気が体に入ったように。
「アルフレード、なぜこの訓練を受けていると思う?」
「……自分が、海のことを何も知らないからです」
机上の学問も理屈も、この場では何の役にも立たない。それを認めるしかなかった。
「そうだ。だがな、少し違う。――この世界で、海を知り尽くしてる王はひとりもいねえ」
「そんな……海と接してる国の王なら……」
「不正解だ。セバスティアンだって船に乗ったことすらねえだろうさ」
衝撃の言葉に、アルフレードは思わず息を呑む。
その瞬間また大波が襲いかかり、彼は必死で柱にしがみついた。
一方ヘルマンは片手を添えるだけで微動だにせず、水夫へ的確な指示を飛ばしている。
「王族や貴族の嫡男はまず乗らねえ。命を落としたら国が傾くからな。だが――お前は違うだろう?」
初めてストレートにお前は価値がないと言われる。
その瞬間、アルフレードの背筋に冷たいものが走る。
もしここで死んでも「訓練中の事故」で片づけられるかもしれない――。
「安心しろ。そんな顔するな。
その気があれば、最初から海に落として魚の餌にしてる。……だが俺は、お前が眼帯を投げ捨てた姿が気に入った。だから教えてやる」
ヘルマンは鋭く笑った。
「海の男になるなら、船酔いを克服して仲間と動けばいい。だが――お前の役目はそこじゃねえ。この海を知れ!自分の駒と味方をどう扱うか。海そのものを味方につけられるか。それを学ぶのが、この訓練だ」
アルフレードはハッとする。
(……海を、味方につける)
この広大で荒れ狂う海を。
そして、この海の男たちを。
「オリヴィアンの良さを引き出せるかどうかはお前次第だ。わかるな?」
ニヤリと笑うヘルマンの顔を見て、アルフレードの胸に熱いものが込み上げた。