137 涙を捨てて進む者たち
「冷酷に聞こえるかもしれないが、今がチャンスだ」
エドガー王はしばらくみんなの泣き声を聞いていたが、一人離れて、長椅子にもたれ、腕を組んだまま静かに言った。
彼の目は冷たく、遠く先を見据えている。
その声にアルフレードやヴィオラ、ヘルマンが顔を上げた。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、みんな呆然としている。
――これが王だ。感情と行動を、完全に切り離している
一見冷酷だ。
でも、感情で動いたらジュリアン王のように過ちを犯す。
「ヴァルトシュタインが内戦に入った。リリス王妃の実家はヴァルターを奪われ、今、王を代われる者がいない。普通ならジュリアン王が制圧するだろうが、彼に不満を持つ者も多い。どう転ぶかは分からん。ただ一つ言えるのは——今ならオリヴィアンに大軍を回す余力はない、ということだ」
ヴィオラは腕で目を擦りながら、呻くように声を絞り出した。
「──確かに。私、オリヴィアンに待ってくれている人たちがいるの。できることをしないといけない。このチャンスを無駄にしてはいけない」
本当は、今すぐ泣き崩れていたい。
だけど、状況が動く“今”を見逃すわけにはいかない。
ヴィオラの背筋がピンと伸びる。
アルフレードの目は真っ赤で、鼻先を震わせながらも声を振り絞る。
「俺も、オリヴィアンを自由にする。
すまない、俺――思っていたより母上のこと、納得できていなかったんだ。祖父上の後を継いで王になるって言ったけど、全然祖父上みたいに感情が切り離せてない。」
アルフレードは、血まみれの服の切れ端をじっと見つめたままだった。
「今この血まみれの服を見て──母上がどれだけ苦しかったかって、悔しいって気持ちが先に出た。本当は、母上と向き合いたかった。でももうできない。だから苦しいんだ。
そして、どこかで安心もしている。母が断首されるところを俺が見なくて済んだって、安堵している自分がいる」
言葉は涙で、今までアンジェリカのことで泣いたこともなかったのに、途切れる、
グリモワールを旅立って、オリヴィアンに行く日でさえ涙もこぼれなかったのにーーー
アルフレードは拳を握り締めた。
胸が震えて嗚咽がもれる。
「だけど、俺たちが結婚して、セバスティアンも産まれて、みんなに認知してもらって、ヴァルトシュタインは不満と共に内戦が起きている。これ以上、俺たちにチャンスはない」
振り切るようにその血に塗れた布をテーブルの上に戻した。
ヘルマンはそれでもまだ、呆然と俯いていた。
目の前の出来事が、身体の動きを止めてしまったようだ。
ついこの間、アンジェリカから刺繍入りのハンカチと手紙が送られてきたばかりだった。
ついこの間、彼女に恋慕している自分を認めたばかりだった。
あの手紙を俺に送らなければ、アンジェリカは助かったのか??
「俺は──あの時、もっと探し回るべきだった」
ヘルマンの声は低く、後悔が滲む。
「グリモワールの王城から俺とアルフレードが戻ったとき、アンジェリカはまだフィレンタの家を出たばかりだった。
あんなに目立つ容姿なのに、港で見たやつは誰もいない。変装してたんだと思う。
俺は探すのを早々に諦めてしまったんだ。
だけど、変装しても、会えていたら、俺は必ずあいつの変装なんて見破ってた。絶対あいつは、俺が追ってくることを知ってたんだ。俺の先を見てた。
諦めずに、俺がちゃんと最後まで探してたら...ヴァルトシュタインには行かせなかった。アンジェリカも死ななくて済んだのに。
俺はいつも出し抜かれてばかりで、最後まで敵わなかったんだ。一度でいい、あの天邪鬼を出し抜いてやれば、アンジェリカも姫もアルフレードも救われたのに。」
その言葉に、部屋にまた嗚咽が漏れる。
ヴィオラは歯を食いしばり、顔を強張らせる。
「なによ!みんな後悔ばかりで!!アンジェリカ王妃、絶対笑ってるわよ。『出し抜いてやった』って、後悔なんて弱者のすることよって笑ってるに決まってる!」
ヴィオラの声は震えている。
だがそれは単なる悲しみではなく、痛みと悔しさが混じったていた。
「後悔しないように、ヘルマン!!ジュリアン王は出し抜きましょう!アンジェリカ王妃はジュリアン王に出し抜かれて殺されたわ。だから私たちはジュリアン王を出し抜くの。
そうしたら、私たちはアンジェリカ王妃を出し抜いたようなものよ。」
一瞬、静寂になり、みんな、ヴィオラと共に泣き笑いする。
そこには、涙と決意と、今動かなければならないという強い覚悟が混ざっていた。
後悔は取り戻せない。もうアンジェリカとも会えない。
だけど、ジュリアン王から奪われたものを取り戻すことぐらいは出来る。
私たちは決意を固めていた。




