134 刺繍入りの疑念
ヘルマンはフィレンタの街角で、いつもの――というには少し危ない仕事をしていた。
アルフレードから預かった指輪の受け取り、手書き新聞の頼み、情報の回収。
だが、胸の奥で常に小さな違和感が燻っている。
「ヘルマン、あなたのことを調べ回ってるヴァルトシュタイン訛りの人がいるって噂よ」
噂はこうして女たちの口から淀みなく広がる。
フィレンタのメイドたちは情報を持ち、政治すら揺らせる。観察されるだけでなく、こちらの動きも見抜かれる場所だ。
アンジェリカのせいで、一時、白い目で見られていたが、誤解を解きまわり、再びいろんな女性から情報収集中。
「男か?俺その手の趣味じゃないんだけどな。もしかして、君が気にするってことは、いい男だった?俺ヤキモチ妬いてしまうな」
いつものように、彼女の肩を抱き、嫉妬したような表情をしながら口づけを交わし、相手の特徴を聞き出す。
「やだ、一人じゃないし、同じ人でもないから心配したのよ。同じ男なら、誰か人妻に手を出したなってきくわよ」
女は膨れっ面でヘルマンの腕を組む。
「そんな人いない。君だけだよ。だけど、気になるな?君を巻き込みたくないんだ。」
そっと、腕を離し別れのキスをして、
「大丈夫か確認してまた来るよ。君も気をつけて。僕の本命なんだから」
といいながら、女の元を去り、思案する。
このパターンが今日だけで何件もある。
ヴァルトシュタイン訛りとなると厄介だな。
いよいよ俺が姫を連れて逃げたことが敵に渡ったか?
それとも、アンジェリカがらみか?
アンジェリカ、もしかしたらヴァルトシュタインに、アルフレードや姫のことを話したのか?
かつての住んでいた屋敷に行くと、高齢メイド宛に手紙が届いている。
だが...封筒に開けられた後があるな。
素手で拾うのは危険だ。
それだけアンジェリカも監視されてる対象ということか?
何か布はあるか...ごそごそポケットを探すと、アンジェリカの刺繍入りのハンカチが出てくる。
いや、これはまた次の時に使おう。
何か必要になるかもしれない。
ええと、他の布は...
「誰か布と袋をくれ」
俺は別の布と袋を一緒にきた海軍兵から受け取る。
その布で、封筒をとり袋に入れる。。
屋敷内に侵入の形跡はない。窓から外を見ると、遠くに視線を送る影が一人。
襲ってくる素振りはない。
ただ、俺の情報を得ようとしているだけかもしれない。
目配せして、海軍兵と屋敷を後にする。
追っては来るが、土地勘がないのか適当に撒けば着いて来れなくなる。
ヴァルトシュタインの支援都市から来た者――そう推測する。国境が曖昧な都市国家群では、交流がないはずでも人の往来は可能だ。
ヴィオラ姫やアルフレードと今後について相談する必要がある。俺は一旦、グリモワール中部へ戻ることにした。
ーーー
手紙の封を開けて、安全を確認する。
中身の検閲だけか?
改ざんや毒を仕込んだりということはなさそうだ。
刺繍も、手紙の内容から本人が送ったものだろう。
偶然Hを入れたのか?俺のため...の刺繍?
まさかな?
でも、器用だな。いろんな人から刺繍入りはよくもらうが、アンジェリカはプロ級だと思う。
今回は香水はかけてない。それだけ急いでいたのか?
肝心の手紙は...相変わらず腹が立つ。
俺がアンジェリカのことを憎んでいることを知っていてわざと挑発する文面を書く。何も恋人設定じゃなくてもいいだろ。アルフレードが女だったらこんな性格なのか?
ただ、前回より手紙は、ジュリアンの監視下にあって身動きとれないのが伝わってくる。
この変な文面から読み取れってか?
確かに分かるが...これは??
◇◇◇
「ダメだ。これ以上はヘルマンをフィレンタに行かせるわけにはいかない」
アルフレードがアンジェリカからの手紙をみてキッパリと言う。
「そういったって俺は海軍だろう。オリヴィアンが戻ったらフィレンタに出入りしないと仕事にならない」
ヘルマンは顔を盛大に顰めた。
フィレンタはオリヴィアンの海軍が今でも寄港する。
これからアルフレードたちの結婚や子供の誕生を知らせるのに使いたいのにタイミングが悪い。
「状況が把握できるまで他の海軍兵やグリモワールの騎士団にも協力を依頼しましょう。だって元王妃と第二王子がらみだし、今回の戦争に関連してるんだから。」
ヴィオラも、俺と海軍兵だけで動くことを反対した。
確かに、グリモワールにとっても戦犯の二人だ。
というより、元王妃と第二王子なんだから、俺たち以上に接触したいはずだ。
「俺は元々フィレンタでは、偽名を使ってない。オリヴィアンの海軍提督として仕事で入ることもあるからな。姫なことがどこまでヴァルトシュタイン国にバレているか不安でならない」
「都市の噂では、ヘルマンの女がヴィオラだと勘違いされてたよな。プロポーズしたわけだから」
アルフレードが、棘のある声でいう。
ヴィオラが遊び人だと思われて今でもご立腹なのだ。
「それはアルフレードが訂正してまわったじゃない。色々な噂があるのよ。ヘルマンがオリヴィアンで身分違いの恋をした女性から産まれた娘が私ってこともあったし、ヘルマンとアン夫人の娘っていう設定もあったわよね」
ヴィオラが、困ったようにヘルマンを睨む
ヘルマンと慌てて手を振る。
「それは、アンジェリカがブリジットの家で、自分はお腹の子の祖母だって言ったからだよ。だって、俺が娘の父親だっていって、母方の実家から頼まれて娘を連れ出した設定なんだから、アンジェリカが腹の子の祖母なんて言ったら、二人の子がヴィオラになるだろ。当時はアルフレードの母親だなんて思いもしなかったんだからって...あれ??」
「あの時からもう知ってたのか!!」
ヴィオラとヘルマンは二人で叫ぶ。
アルフレードは二人を不思議そうに見る。
「会って二度目の時にはすでに、お腹の子はヴィオラ姫とアルフレードの子だって知ってるってどんな目や耳だよ」
「私にあんなに子育て以外にも教えてくれたのは、アルフレードの妻だと知っていたからね。エドガー王に通じるものがあったもの。やっぱり、フィレンタにいる間は、本当に味方だったのね」
ヴィオラは衝撃を受けたままだ。
アルフレードは唸っている。
「今回はどうだ?ヘルマンと一緒に暮らしたいと書いてるのは、都市国家で監視下に置かれず、グリモワールに行きたいってことだろう。」
手紙をヘルマンも見直してみる。
手紙は、急いで書いたのか?監視下に置かれているとわかって書いたのか?いつもより字の乱れもある。
「ヴァルターはリリス王妃の実家に囲われてて、それを連れ戻した日に船に乗る。だけど、アンジェリカとヴァルターはどのみちジュリアンの監視下に置かれる。自分は断首でいいからヴァルターを助けて。本当はグリモワールに帰りたい...でも、無理ならあきらめるってことだろ」
そう言いながら手紙をテーブルに戻す。
ふうっとため息をつくしかない。
「ヴァルトシュタインから到着する船がつく都市は限られるはずだ。日にちが書いてあるから、到着日も想定できるが。
監視下となると厄介だな。アンジェリカがわざわざ断首されてもグリモワールにヴァルターを戻したい理由ってなんだ?」
アルフレードはアンジェリカの気持ちがわからない。
都市国家で監視下から逃げても、グリモワールでヴァルターはどのみち監視下に置かれるのはわかっているはず。
なんで、わざわざ?
検閲がかかっているから、ジュリアンの指示とも思えないが?
「なんか俺も舐められたもんだな。殺したい相手なのに、助けてくれってか。アンジェリカの首が落とされるの見るのは楽しみだけどな」
ヘルマンの呟きを複雑そうにヴィオラは見つめる。
「ヘルマン、私は許せないとは思うの。でも、アンジェリカ王妃に今でも、話したいことや聞きたいことや教えて欲しいことはたくさんあるわ。」
ヴィオラにとって、アンジェリカは敵だったがやはり恩人なのだと感じていた。
「だって、許せないっていったら、みんな許せなくなるの。みんな過去に人の人生を変えるような傷つけ方をしまったの。私の父だってヴァレンティアの姫を傷つけたわ。母だって、妾の子でグスタフ王の娘かどうかもわからない。でも二人が結婚したから私は産まれたわ。だから、私自身も許せなくなる。
だからね、ヘルマンも全てを許さなくていいのよ。あのフィレンタの日々は嫌だった?アンジェリカは嫌いでも、アン夫人は好きでいていいと思うの」
「姫...」
ヘルマンは自分の気持ちが姫に見透かされている気がした。
王と王妃の敵だった。殺してやりたい。
だけど、俺たちの恩人で、難攻不落で、少し影があって、感情に不器用なところもある忘れられない女性だった。
事情も可哀想に思えてしまう。
理由をつけて刺繍のハンカチが捨てられないのも、俺のために作ってくれたんじゃないかと思う今回のハンカチに心惹かれているのも、彼女に惹かれた部分があるからだ。
「すまない。確かに強がっていた。ギロチンは見届けるけど、楽しみじゃない。」
ヘルマンは弱々しく微笑んだ。




