108 王妃が残した乳母
「すごい豪邸すぎて……慣れない」
思わず口から出た言葉に、自分でも苦笑いした。
エドガー王の隠居先らしいけど、これはもう城じゃない?
壁も天井も、やたらピカピカしてる。
「下手したらオリヴィアンの王城より大きいんじゃないかしら?」
私は小声で呟く。
(アルフレード、初めてうちに来た時、狭すぎてとまどったんじゃないかしら?)
「グリモワールは長く内乱が続いていましたからね」
答えたのは、新しい乳母――アンナ。
「別宅とはいえ堅牢に作られています。侍女の素性も全員洗い直しました。ヴァルトシュタインの息がかかっている者はおりません」
そのきっぱりした口調に、私は思わず姿勢を正す。
アンナは、アルフレードの乳母でもあり、あのアンジェリカ王妃に鍛え上げられた人らしい。
アンジェリカに渡された羊皮紙にぎっしり書かれた育児書をみて、アンナは大笑いする
「懐かしいです。わたしもこうやって渡されて《この通りやってちょうだい》って言われたものです。でも、やってみると半分ぐらいしか思い通りにはいきません。」
ヴィオラも頷く。
「そうなんです。なかなか書かれているようにはいかなくて」
「やってはいけないことには、理由があります。理由があるものを抑えたら、ある程度はご自身の裁量でやってみてはいかがでしょうか?」
「裁量?」
「はい。たとえば、ヴィオラ様は、お体を鍛えておられるでしょう。鍛えてはいけない理由はないと思いますが、世の女性だと部屋に篭りきりになると思うのです。ですが、篭りきりになった母が良いとは限りません。理由があるなら鍛えることを控えた方が良いですが、ただ常識かどうかなら、ご自身がお決めになったらいいのです」
ーーーアンジェリカ王妃が誰よりも嫌っていて、誰よりも信頼していた侍女アンナだーーー
そうアンナを紹介するアルフレードもどうかと思うけど、話を聞くとなるほどと言う気がする。
育児も手を出しすぎないが、助けて欲しい時には助けてくれる。
ダメとは言わないが、いいとも言わない。意見を聞いたら答える。
侍女ってこういうものなのね。
「アンジェリカ王妃は、なんでもできるように見せておられただけで、雲泥でヴィオラ様の方がなんでも上手にこなされてます。わたしは緊張しておりましたが、普通の方が来てくださって本当に嬉しいです」
なかなかアンジェリカ王妃に毒舌だ。
剣を振り回している段階で普通ではないと思うし、セバスティアンの面倒は自分が中心にみたいというのもかなり変わっていると思うけど...
アンナからすれば、
「ストレスで、侍女に八つ当たりをすることもなく、久しぶりに穏やかに働けます。自分でやらないのに当たり散らすのが世の中一般的です」
と揺るぎない回答が返ってくる。
「たとえば、アンジェリカ王妃は努力家です。でも、一人でやるのは嫌なのです。刺繍をするとしたら、全員にひたすら刺繍を訓練させます。そして一番うまく作ったものには嫉妬します」
「....それは大変ね」
「ヴィオラ様は剣を嗜まれるとエドガー王から聞いた時には、全員剣の練習をした方がいいのではないかと思っていたぐらいです」
「...それはないわね」
なんとなく想像はできる。
かつてアン夫人は巻き込み型だった。
自分がやることに、周りはみんな巻き込まれる。
その巻き込みが、国を巻き込む大きな戦争にまで発展してしまったのだが。
「わたしも、みんなからどう思われるか不安だったからみんなに感謝してるわ。すでになくなってしまった国の王女がやってきて、剣を振り回すんですもの。
エドガー王やアルフレードには感謝しかないわ。」
今日は、エドガー王に初めてお会いする日だ。
しかも、わたしの希望を聞いて作った剣まで持ってきてくださるという。
セバスティアンはまだ幼いのでお会いしないと言われている。
かつてアルフレードがエドガー王に会った後、病に倒れたため、エドガー王自身もトラウマになっているそうだ。
「またお会いになってくれますよ。姫様の準備を進めましょう」
グリモワールに入ってから着用できるように、アルフレードはアンナに命じて服を数着準備してくれていた。
「アンジェリカのドレスを思い切って売ったお金で買ってある。全く心配しないで」
ヘルマンが他の都市国家で思い切ってアンジェリカ王妃の私物は売り捌き、それを元手にアンナがわたしに似合う必要なものを準備しているから、全く気にするなと言われるんだけど...
アルフレードもアンナも全くアンジェリカ王妃の持ち物に思い入れはないらしい。
むしろ、わたしが申し訳なくなるわ
エドガー王との初対面に合わせて、侍女の手でドレスアップされていく。
普段全く手入れしていなかったので恥ずかしくなる。
「ヴィオラ様!アンナは、乳母もできますが、侍女もできますわ。ご安心くださいませ。これからは、毎日磨き上げましょうね」
にっこり笑顔のアンナの後ろに、ふとアン夫人が見えた気がした。




