8世界でたった一つの
オリジナルだと⋯⋯?
俺は男の言葉に一瞬動きを止め、男が手に持つカードを見る。
女神は俺に、世界中に散らばる《魔術水晶板》のオリジナルを回収しろと言った。
『HELLCLOUD』は俺が放った《魔術水晶板》を改造し造られたゲームだ。
そして、複製したカードにはそれぞれオリジナルが存在する。それは俺が魔族達を封印した魔術水晶板そのものだ。
目の前の男が持つカードは確かに俺が解き放った《魔術水晶板》と酷似している。
しかし厚みやところどころの装飾は異なる部分がある。オリジナルもある程度改造されていると考えれば説明はつくが、これが本当にオリジナルなのだろうか。
確かめなければならない。
このカードの中に我が同胞が囚われているのならば、必ず、救い出さなければ。
「⋯⋯貴様は『HELLCLOUD』についてどれほど知っている」
伸ばした手を引き、俺は真っすぐに男を見据える。
俺が力づくの手段に出ることを辞めたことに気づいた男の方も縮込めていた身体を起こし、恐る恐ると言った様子で口を開く。
「ルールくらいなら一通り⋯⋯。でも実際にはプレイしたことないんです! あなた良い服着てるしどこかのお偉いさんなんですよねっ? だからこのことは秘密にして欲しいんです。カード⋯⋯はあげられないけど他の事だったら何でもします!」
怯えていたかと思えば今度は命乞いのような事を始める。
だが、不可解だな。男の発言を聞き俺は疑問を抱いた。
「秘密にしろとはどういう意味だ。ゲームをしたことがないのならそのカードを何のために所持している」
まさか、カードを悪用し、魔族を解放しようとしているのか。このカードは男曰くオリジナルだ。
オリジナルのカードに封印される魔族は必然的に複製ではなく本物。本物の魔族が解き放たれれば女神の懸念する未来が実現することになる。
この男の目的は何だ。答え次第によっては即刻この男を始末する必要がある。
今度はさっきの男のように空間からではなく、この世から消すために。
「どういう意味⋯⋯って、え、あなたこの町の貴族様じゃないんですか?」
「俺がいつ貴族だと言った」
要領を得ない男の発言にうんざりしつつもそう答えると、男は目を丸くさせ驚いた。
さっきの荷馬車の男といい、俺のこの恰好はそれほど貴族に見えるのか。
俺の記憶の中にある貴族は私腹を肥やし金と権威に物を言わせ欲にまみれた豚の印象が強い。
自分では何も出来ないくせに喚き散らし、いざ自分に命の危険があると分かれば金や権力など自分の持つ空っぽなもので惨めに命を乞いを始めるのだ。
そのような姿を幾度となく目にしていればばいかに貴族が卑しい存在かが分かる。
そしてそれらと一緒にされるのは気分の良いものではない。
「質問に答えろ」
苛立ちを露わにしながらもう一度問う。
すると、俺が貴族じゃないことが分かったことがそんなに安心だったのか、男はきょろきょろと一度視線を左右に動かすとまるで内緒話をするかのように声を潜めて話し始めた。
「この町の人じゃないなら知らないのかもしれませんが、この町——ケルバンでは『HELLCLOUD』が禁止されているんです」
「禁止⋯⋯?」
「そうです。あっ、でもカード自体を持つことは禁止されている訳じゃないので!あくまで禁止されているのはゲームプレイです」
男曰く、ケルバンは魔王統制化時代に魔族の侵攻により多大な被害を被った町の1つだった。
そのため、危険で恐ろしい魔族を召喚し戦わせるゲームである『HELLCLOUD』が禁止されているのだ。今では観光名所とされている町を取り囲む城壁も、魔族による被害とその戦いを忘れないという想いが込められてのものだ。
「なるほど。魔族への畏怖が強く残る故に『HELLCLOUD』が快く思われていないというわけか」
「その通りです」と男が肯定する。
「『HELLCLOUD』に対するこの町の見解は理解した。だが秘密にしろとはどういう了見だ。カードの所持自体は違法という訳でもないのだろう」
それはさっきこの男自身が言ったことだった。
「はい。カードの所持自体は禁止されてはいないんですけど。このオリジナルは、特別なので⋯⋯」
そう言うと男は再びカードを庇う様に背を向ける。
「特別⋯⋯?」
俺は手で隠されたそのカードに視線を向ける。
中から強い魔力の鼓動を感じる。だが魔道具の封印の力が働いているせいで誰の魔力なのかは区別できない。
人間の改造の効果もあるのかもしれないな。
だがそれでも感じる⋯⋯。封印されているのはそれなりに強い魔族だということは分かる。
胸騒ぎのような予感がする。ざわざわと逸る気持ちを抑え、俺は慎重に男に尋ねた。
「そのカードに封じられている魔族は誰だ?」
男はちらと俺の方を向くと迷うように視線を地面とカードに交互に動かす。
「見せるだけなら⋯⋯。でも絶対誰にも言わないでくださいよ?」
「分かった。だから早く答えろ」
念押しをしてくる男。それに俺は怒気を含めながらも了承する。
すると男はそっと手の中のカードを裏返し、俺に表を見せる。
薄く手のひら程のサイズのカードの表面には文字が書かれていた。
だがその中心にはカードに封印される魔族を示す絵のようなものが描かれていた。
勿論、それを見て分からぬはずがない。
「ジリス⋯⋯!」
艶やかな長い黒髪に、知的な切れ長の桃色の瞳。絵でありながらも彼女の特徴をよく表している。
「えっ、知ってるんですか?!このカード!」
目を丸くさせ食いついてくる男。
俺からすれば知っているも何もない。ジリスは俺の秘書だった女魔族だ。
そこで気づいたが、男が持つカードの一番上、絵の背景に被さるように表記されていた文字——恐らくはカード名にも彼女の名前が書かれていた。
《英明なる秘書官ジリス》
このカードはオリジナル。つまりこの中にジリス本体が封じられているということになる。
まさかこんなにも早く再会できるとは思わなかった。
カードとなって人間の手に渡っていたことは予定外ではあったが、秘書であり頭の切れるジリスがいるとなれば不透明な人間としての生活にも先が見えてくるだろう。
「《英明なる秘書官ジリス》! 昔世界を支配していた魔王の秘書だった魔族で、魔王軍の幹部。この世で一枚しかない凄いカードなのに!」
魔族はもとよりその者を除いて同じ個体は一体として存在しない。
同じ人間という種族で分類されていようとも、誰一人として同じ人間がいないように、魔族であり、ケルベロスやサラマンダーといった種族は何千体と存在していても、同じ魔族は存在しない。
そのため俺にはこの世で一枚しかないと興奮したように言う男の言葉は全くもって理解不能だった。
多くの封印水晶板が複製されていることを考えればそのような発言が出てくるのには分かるが、それでもやはり違和感は拭えない。
しかしなるほど。
この世で一枚しかないオリジナルカード。
だからこの男は頑なにカードを渡そうとしなかったのか。宝物であれ、種族であれ、数の稀少が価値を高めることに繋がるのは当然の摂理だ。
男曰く、このカードの価値は稀少さだけではないようだが、男の個人的事情など他人であり魔王であった俺には関係のない話。
我が同胞を救う。そのために俺は人間となってまで100年後のこの世に転生したのだ。
何としてでもこの男からカードを奪い取りジリスを解放する。
造作もない。この気弱な男からカード一枚を奪い取ることなど。
「最後通告だ。死にたくなければカードを俺に渡せ」
それは魔王であった頃ならば、常人であれば恐れをなして逃げ出すほどの圧力だっただろう。
だが先ほどの男一人に脅されて怯えているようなこの男ならば、今の俺でも簡単に委縮させることができる。
本当に命を取られかねない。そう頭に理解させるように男を正面から見据える。
人の命など取るに足らない。空虚な冷徹さと力の及ばぬ相手であることを芯から刻み付ける。
案の定男はブルブルと身体を震わせ俺から目を逸らした。
そうだ。恐れろ。そうすれば必然とカードを渡したくなる。
俺は手を差し伸べる。男がカードを渡せば命は取らない。
そう目で訴えかける。
だが⋯⋯
「駄目です⋯⋯! これは本当に大切なカードなんです! 世界に一つしかないだけじゃなくてっ、祖父が残した大切な思い出なんです!」
今までで一番強い拒絶だった。
力強い男の言葉が狭い路地に反響する。
思い出⋯⋯? 男は言っていた。このカードが祖父の形見であることを。
ギリギリと歯を食いしばる。
思い出など、己の命に比べれば大したものではない。天秤にかけるまでもない価値の差だ。
それを、自分が殺されるやもしれぬこの状況でそれでもなお貫くか。
「貴様は理解していない。貴様はそのカードを代わりの存在しないものだと言うが、それは俺も同じ。そのカードには命が宿っている! 他に何一つとして存在しない、この世でたった一つの価値が! そしてその命は俺が何よりも守るべき価値だ!」
柄にもなく声を荒げる。興奮により無意識に放出された魔力の波動で壁が軋む。
無性に腹が立ったのだ。胸の内から込み上げてくる怒りで自分自身がどうにかなってしまいそうだった。
男は怯えていた。目尻には涙が浮かんでいる。
しかしその目はその姿からは考えられないほど力強く、真っすぐに俺を捉えていた。カードを大事そうに胸に抱えながら男は俺を睨み返していた。
どんな火山地帯よりも熱く、どんな氷河よりも冷たい沈黙が続いた。
男は目を逸らそうとはしなかった。当然俺もそのつもりはない。
長い長い静寂だった。ひょっとすれば喧騒だったのかもしれない。
こだまする男の言葉が鬱陶しいほどに脳にこべりついている。
その時だった——
「ちょっと待ったーー!!」
どれだけの間続いたかも分からぬ沈黙は、その声に突如破られた。




