7価値
「らっしゃーい!今日は魚が安いよっ、夕食に一品どうだい?」
「こっちは絹がお薦めだよ!見てご覧この艶やかな生地!手触りも一級品さ!」
町というのはこんな風になっているのか。
活力に満ちた男の声、自分の店の商品を紹介する女店主の姿。
香ばしい肉、刺激的な香辛料の香りがあちこちから漂ってくる。ここは匂いと声に溢れているな。
しかし生憎今の俺は無一文。人間の世界でいうならば一ロントも持っていない状態だ。
ぐーっと腹から間の抜けた音が聞こえた。それとほぼ同時に胃が気持ち悪く感じてくる。
これが空腹⋯⋯というやつだろうか。
全く人間は面倒な生き物だ。
苛立ちを覚え始めていた時、ゴンっと鈍い音が耳に届く。
「あぁっ!? 売れねーってのか?」
振り返ると同時にその場所から荒々しい男の声がした。
路地の方からだ。
「駄目ですよっ、いくら言われてもコレは渡せません!」
建物の影からそちらの方を覗いてみると、薄暗い路地の真ん中に二人の人間の男がいた。
壁に蹴りを入れて怒りを露わにしている男が最初の声の人物のようだ。
対して、その後に聞こえた声の主は、怒る男に怯え手に持った何かを隠すようにうずくまり、身をよじらせている。
見るからに気の弱そうな細身の若い男だ。
厳つい方の男が気の弱い男を脅し何かを奪い取ろうとしている構図。
脅迫する男は今にも男を殴り掛かりそうな勢いだ。
ふむ。あれはよくある喧嘩というやつか。奴らは知り合いではない。
特に割って入る必要性がないと判断し、俺は視線をそらし、引き続き町の探索に戻ろうと足を動かそうとした時だった。
移りかけた視界の端に、細身の男が隠し持っていた物がちらりと見えた。
長方形の手に収まるほどの大きさ、それはまさしくカードのような⋯⋯。
俺は方向転換しかけた足を戻し、路地の中へ入る。
「おいそこの人間。手に持っているソレは何だ」
突然現れた俺に二人の男は同時に俺の方を見た。
「何だてめぇ。今取り込み中なんでな、邪魔しねーでもらえるか?」
いつでも力づくの手段に出られる準備は出来ているという風に腕を鳴らしながら俺の方へ身体を向ける男。
屈強な身体。喧嘩慣れはしているようだが、所詮は人間。漂う魔力の気配も大したものではない。
この時代の平均値といったところか。
さっき町中で出会った人間たちとも大差はないな。
「俺が聞いているのは貴様ではない。おいそこでうずくまっている人間。質問に答えろ。その手に持っているのは何だ」
目をしばたたかせている男の手元を指さす。
そこでやっと質問の対象が自分の手にあるものに向けられていることを理解したようで、男はビクと身体を震わせると、口を開く。
「何だ⋯⋯って、カード⋯⋯ですけど⋯⋯?」
恐る恐る手に持つそれを持ち上げる男。男が俺に見せたのは裏の部分のようだ。灰色がかった半透明の板。まるで魔法陣のような複雑な装飾が施されている。
見間違えるはずがない。それに、カードということは⋯⋯
「もしや『HELLCLOUD』か?」
「そうですけど⋯⋯も、もしかして、あなたもこのカードを狙ってるんですかっ!?」
一歩踏み出した俺に盗られることを恐れてか、すぐに手を引っ込めまた身を縮こまらせる。
ついに見つけた。あれが『HELLCLOUD』⋯⋯!
我が同胞たちが封じ込められているカードだ。
俺は怯える男や制止の声をかけてくる男に構うことなく路地を進む。
「それを渡せ」
「やっぱり! 嫌ですよっ。この人にもさっきから断ってるんですからっ」
手を差し出す俺に男は強く拒絶感を露わにする。
「それは貴様ら人間が持っていいものではない。死にたくなければ今すぐに渡せ」
「ひぃっ」
今の俺がどのような顔をしているのかは分からない。だが、少なくともこの気の弱そうな男を怯えさせるには十分だったようだ。
しかし、蚊帳の外状態に放置されていたもう一人の男の方は黙ってはいない。
「おいあんた。そいつのカードは俺が先に目を付けたんだ。あんたこそ痛い目に会いたくなきゃさっさと失せろ」
ボキボキと指を鳴らしこちらを鋭く睨みつける男。
「ふん。人間風情が俺を痛めつける⋯⋯か。どの時代も力量差を見極められぬ小者はいるものだな。だがその中でも貴様は一級品だ。小者の中の小者という意味で、だがな」
「——!! ⋯⋯いい度胸してんじゃねぇか。ぶっ殺してやる!!」
血走った眼光が俺を捉え、鍛えられた大きな拳が顔面に向かい迷うことなく振り下ろされる。
少し煽るだけでこれか。全く、感情の制御まで出来ないとは。
「前言撤回だ。貴様は小者以下だな」
そして、小者以下の人間を相手にするつもりはない。
人間には手を出すなと女神の灸を添えらているというのもあるがな。
拳が眼前に迫り、俺は人差し指をその拳を迎える。
「<瞬間移動>」
透明な淡い光が指先に灯り、そして男の拳が指先に触れた瞬間、男の姿は蝋燭を吹き消したように消えた。
「えっ? あれっ」
怯えていた男は呆気に取られて、まるで魚のように口をパクパクとさせている。
「なるほど。魔力の消費はそれなりだな」
これではそう何度もテレポートのような魔力を食う魔法は使えないだろうな。
だが、不意打ちで使う分にはこれで十分だ。
さてと、邪魔者はいなくなった。
「貴様の取引相手は消した。だからそのカードを俺に譲れ」
俺はポカンと口を開けたままぼんやりとしていた男に向かい手を差し出す。
すると男はハッと我に返って首を振る。
「駄目です駄目です! さっきも言いましたけど、このカードは誰にも渡せません! いくらお金を積まれたって同じですっ」
そう言って頑なにカードを渡そうとしない。なぜそこまで拒否する?
「おい、同じことを何度も言わせるな。そのカードは元々俺のものだ。貴様にとってそのカードは自分の身を賭してまで守る価値があるのか?」
人間にとって『HELLCLOUD』はあくまでもゲームのはずだ。
脅され殴られそうになってまで頑なに拒否するほどの価値が、『HELLCLOUD』にあるのか、それとも⋯⋯。
「ありますよっ、このカードは祖父の形見なんです!『HELLCLOUD』が大好きだった祖父がやっとの思いで手に入れたオリジナルなんですから!」




