19 魔族を追う少女
初めて、人間体となった自身の姿と対面した。
夜のような黒髪、紫色の瞳。恐らく人間の中でもなかなか端正な顔立ちをしているのではないだろうか。
そして程よく引き締まった身体。
なるほど⋯⋯。これが人間として転生した俺か。
だが⋯⋯やはり不思議なものだな。
鏡に映る、かつての自分とは全く異なる自分の姿に、他人を見ているような感覚に陥る。
これからはこの身体と付き合っていなかければならない訳だ。
日焼けというものを知らぬ真っ白な自分の細い指を広げ動かす。
「これからか⋯⋯」
転生一日目。
ソルやゲインを始め、今日一日でも様々な人間と出会い、多くの情報を得た。
中でも最も大きな収穫は路地裏で出会ったあの男が持っていたジリスの封印されたオリジナルカード。
内にこもる強い魔力。
心臓に、脳に訴えかけてくる叫びのような魔力の声。
その声は今でも俺を呼んでいる。
距離が遠のいたからか、薄く、僅かに感じる程度だが、確かにこれはジリスの魔力だ。
俺はもう一度鏡に映る自分の顔を見る。
自分ではないようなその男は、怒りと焦りと、そして自身が綯交ぜになったような、そんな不思議な表情を浮かべていた。
「お、上がりましたか?」
備え付けのタオルで簡単に水滴を払い風呂場を出る。
一足先にシャワーを浴びていたソルはちょうど髪を乾かし終えたところだったようだ。
「ふふふ、サッパリしてますね。悪役味も程良く流れてますよ!」
この女は一体俺を何だと思っているんだ⋯⋯と言いたいところだが、こいつら人間からすれば、魔王である俺は悪役そのものだったな。
俺が魔王の転生体であることなど、人間には知る由もないがな。
「何のことだ」
ベッドの端に腰かけると、身体が軽く沈んだ。
魔王城に住んでいた時とは質も大きさも全く異なる。
だが、これはこれで悪くないような気がした。
「ヘルさんは、旅の目的とかあるんですか⋯⋯?」
その反対側で同じくベッドに腰かけていたソルが唐突にそんなことを言い始めた。
気取られたか? と一瞬身構えるが、ソルの口ぶりからしてそういう訳ではなさそうだ。
今日一日この女と連れ添ったが、俺が魔王であることや『HELLCLOUD』を終わらせようとしている事を悟られるような行動や発言はしていない。
あれだけの情報で感づかれるようなことは流石にないだろう。
特にこの無駄に明るい抜けた女に限ってはな。
だが、今後の事を考え、ある程度『HELLCLOUD』を目的にしている事は伝えておいた方が都合が良いかもしれないな。
当のソルは『HELLCLOUD』に強い嫌悪感を抱いているようだが、俺の目的を達成するためにも『HELLCLOUD』の情報はどんな些細な事でも得ておきたい。
「『HELLCLOUD』に興味がある。そのために旅をしている」
「⋯⋯! ヘル、クラウド⋯⋯」
案の定ソルは唇を引き締め怒りを滲ませる。しかしそれを俺にぶつけるのは違うと考えているのか隠すように俯いた。
「貴様は『HELLCLOUD』が嫌いなのだったな。だが生憎俺の旅の目的は『HELLCLOUD』だ。これから行く先も既に決めている」
「行く先⋯⋯ですか?」
「エルヘイブだ。酒場にいた男から、そこに『HELLCLOUD』の専門店があると聞いた」
そこに行けばより多くの情報が得られるだろう。
オリジナルについても、あるいは⋯⋯。
「⋯⋯そうですか」
「貴様もわざわざ旅をしているからには何か理由があるんだろう。こちらは教えてやったんだ。答えないという選択肢はないぞ」
「むっ、そう言われると言おうとしてたことも言いたくなくなりますね」
頬を膨らませるソル。
だが次の瞬間にはまた俯きがちに目線を下げると、ポツリと話し始めた。
「⋯⋯ある魔族を追っているんです」
「魔族だと⋯⋯?」
それは聞き捨てならない話だな。
「⋯⋯と言っても、半分、諦めかけているんですけれどね。もう、とっくの昔に倒されてしまったかもしれないので」
そう言って、シーツを握りしめた。
布の擦れる音が静かな室内に響く。
俺の死後多くの魔族は水晶板により封印された。
しかし、全てではない。
ケルバン近郊の森林では魔族を一切見かけなかったので討伐されてしまったのかと思っていたが、他の場所には少なからず残っているということか。
強大な力を持つ魔族が生き残っていれば、オリジナルに封印された魔族達を解き放ち、再び世を治めることも夢ではないかもしれないな。
「その魔族のいる場所の手がかりはないのか? 冒険者時代を逃れた魔族なら、まだ生きている可能性もあるだろう」
魔族の寿命は人間よりも遙かに長い。
魔族との争いが激化したあの時代を生き残った魔族ならば、その後行われたという残党討伐からも逃れている可能性が高い。
となれば今もどこかで生きているはずだ。
「⋯⋯ありません。私は、兄を殺した魔族をこの目で見たわけではないのです。
なので、兄の死体や、付近にあった痕跡から得た僅かな情報を頼りに故郷から遠く離れたこの地までやってきました。⋯⋯ですが、限界がありました。トレイザールに辿り着く頃には私の体力も限界を迎えていたようです⋯⋯。残った力を振り絞って食料を求め何とかこの町へ。そこを商人の方に救われたのです」
魔族が人間を殺す際に使う手段は多種多様だ。
魔法、武器、牙や爪など自らの身体を使い人間を殺すこともある。
その魔族特有の魔法や殺し方などがない限り、死体を見ただけで一体どのような魔族に殺されたのか判断するのは困難を極めるだろう。
ソルは旅を始めて三年だと言っていた。
むしろ三年もの間その魔族を追い続けたことに素直に感心する。
人間が人間を探すのとはわけが違うのだ。
普通ならば、とっくに諦めていてもおかしくはない。
それほどまでに、ソルにとって兄という存在が大きかったのであろう。
俺が、同胞たちを救いたいと願うように、おそらくはこの女も、同じことを考えているのだ。
⋯⋯全く。人間となってしまったからか、こんな事を考えるなど⋯⋯。
魔王らしくもない。
「貴様は、その魔族を見つけてどうするつもりだ? 兄の復讐のため殺すか?」
仮に頷こうとも、責めるつもりはなかった。
俺だったらそうするだろう。
同胞を殺されたならば、その何倍もの苦しみを与え相手を殺す。
死よりも恐ろしい罰を与え、殺してくれと叫ぶまで⋯⋯いや、叫んでも俺はそいつを許しはしなかっただろう。
「殺す⋯⋯。そう、ですね。きっと初めはそのつもりだったんです。でも、今はそんな気も起こりません。何故でしょう。それだけ時間が経ったということなのでしょうか⋯⋯。あれだけ、怒りを感じていたはずなのに、いえ、今だって怒りはあります。許せないという気持ちもあります。それでも何故か今はもう⋯⋯」
違うな。
時間の経過で収まる程度の怒りならば、こいつは今ここにはいない。
故郷を捨ててまで、三年の時をかけ復讐の相手を追い求め続けた。
ただ一時の感情だけで出来ることではない。
シミのついた天井を眺め、俺は一つ息をついた。
「追い求めていれば、辿り着くやもしれん。死んでいるか、生きているのか、それを確かめるだけでも貴様の旅には価値があるのではないか?」
その旅路の先に、その魔族を探し出すことができたならば、それは俺にとっても利のある話だ。
水晶板から逃れたことを考えると、その魔族は俺の配下の者ではない。
だが、俺がこの世に再び転生し存在することを知れば『HELLCLOUD』の件に手を貸すかもしれない。
取れる手は取っておきたい。
「そう⋯⋯ですね。ヘルさんの言う通りですね」
胸のうちにある靄はまだ払拭したわけではなさそうだ。
だがソルは僅かに調子を取り戻し、
「やっぱり、ヘルさんは良い人なのかもしれません」
そう言って柔らかく笑みをこぼす。
良い人⋯⋯? この俺がか?
魔王として多くの人間をこの手で殺めてきた俺が、良い人⋯⋯。
どこか奇妙な感覚だった。




