17 人柄
トレイザール冒険者支援協会ケルバン支部。
「こちら、特別活動支援金百万ロントになります」
「ヒャ、ヒャクマン!?」
差し出された札束に真っ先に反応を示したのは、ソルだった。
ロビーに少女の素っ頓狂な声がこだます。
「おい、大声を出すな」
目立つ事を極力避けたい俺は、ソルを睨みつける。
すると、ソルは慌てて自らの口を手でふさぎ、繰り返し頷いた。
——特別活動支援金——
かつて魔王がこの世を支配していた時代。魔王、そして配下の魔族たちを討ち滅ぼすため、多くの冒険者が誕生した。
元々冒険者たちは、討伐した魔族に対する報酬やダンジョンなどで獲得した宝物を売ることで宿代や食費、旅費などの資金を得ていた。
初めは勇者の称号や名声を夢見て冒険者を始めた者も、収入の不安定さや、明日の命も知れぬ魔族との戦いに限界を感じ、リタイアする者も少なくはなかった。
そういった元冒険者たちの噂が広がり、今では”世界で最も勇敢な者たち″とも呼ばれる冒険者への成り手は減りつつあった。
わざわざ身を危険に晒してまで貧乏な冒険者稼業に身を投じようなんて、馬鹿のすることだ。
安全な城壁の外に出て魔族退治なんて自殺行為に等しい。
そんな空気が人々の間に流れ始めた。
冒険者の減少は同時に魔族への対抗力の衰退に繋がってしまう。
そこで各国は、拡大する魔族の侵攻と減り続ける冒険者の数への対策として、冒険者にその活動を支援するための補助金を出すことにしたのだ。
その名残が魔王——つまり俺が倒された後の世にも残り、現在では、冒険者に限らず、その対象は研究者や芸術家、騎士など多岐に渡り、研究費や旅費の支援を受けられるようになったという。
ただし支援を受けられるのはほんの極一部に限られる。
無利子で金をやるというのだから、誰彼構わず渡せる訳がないのは当然の話だ。
————そして、あの女神が一体どんな手を使ったのかは知らないが、俺はこの引換書一枚と水晶に手をかざしただけで、百万も手に入れてしまった訳だ。
どうやら、この支援金百万ロントは女神による俺へのささやかな支度金のようだが⋯⋯、随分と回りくどい手を使ってくれたものだな。
「では、こちらに受け取りのサインをお願いいたします」
羊皮紙に羽ペンを手渡される。
俺は手早くそれにサインすると、百万ロントを受け取った。
だが、これだけあればしばらくの生活に困ることはないだろう。
これで、あのデッキも買い取ることが出来る。
「先ほどの礼だ。受け取れ」
札束から数枚の金を抜き取りソルに手渡す。
「えぇっ!? こ、こんなに⋯⋯!? 流石に貰えませんよっ」
「構わない。素直に受け取っておけ」
ソルは、「それでも⋯⋯」と困惑し拒否していたが、俺が受け取らないと分かると最終的には「ではありがたく⋯⋯」と言って受け取った。
「うぅぅ、こ、こんなに財布が潤ってるのは初めてですっ。ありがとうございますヘルさん! 困ったことがあればいつでも言ってください! 私、何でもお手伝いしますよ!」
と、魔族の王相手にそんな口約束をしてくるソル。
「その言葉、覚えておこう」
◇
「いやぁ、まさかヘルさんが特別入行許可証を持っているなんて思いませんでしたよ! 実は凄い有名人だったりするんですか?」
協会を出て、俺たちはまた町を歩いていた。
すっかり機嫌の良くなったソルは今にも鼻歌を歌いそうな調子で俺についてくる。
「さあな」
「えーっ、教えて下さいよー!」
そう言って頬を膨らませるソルに、先ほど『HELLCLOUD』嫌いについて俺が追及した時に、頑なに口を閉ざしていた事を告げると、ソルは「それはそれ、これはこれですよ」と悪びれもなく言った。
全く都合の良い奴だ。
だが⋯⋯それは俺も同じか。
賑わう町の中を進みながらふと思った。
今の俺は、何も知らぬ赤子も同然だ。
旅を続け、情報を得て、同胞たちを救う。
あの百万はそのための活動資金だ。
そして、この女に飯代を遙かに上回る金を渡したのもそのためだ。
人間としての生活に慣れるために、利用させてもらうための投資。
ソルに渡した金は、その目的も兼ねている。
まあこの女は、俺がそんな風に考えているとは微塵も思ってはいないだろうがな。
「しかし、随分とこの町は賑わっているのだな。やはり、魔族が討伐された影響か?」
「魔族との戦いで一番被害が大きかった町はこのケルバンです。他所の町からすれば、一見時代に取り残された古い町⋯⋯ですが、町の人々は皆温かくて、よそ者の私にも良くしてくださる良い町なんですよ」
各地を旅して回っていたソルは、町の城壁近くで空腹で動けなくなっていた。
そこを、偶々通りかかったこの町の商人に助けられ、食べ物を恵んでもらったそうだ。
それからというもの、困っている町の人間を見かけたら、必ず助けているのだという。
「恩返し⋯⋯のつもりなんです。いっぱい助けてもらったから、私はそれ以上に沢山の人を助けたい。だから、路地裏で恐喝していたヘルさんにも仕方なーく奢ってあげたんです」
「だから倍にして返しただろう。あと、恐喝していた訳ではない。あの男が訳の分からぬ理屈をごねていたから事実を言ってやっただけだ」
恩着せがましく言うソルに俺がそう返すと、また適当に「はいはい」と流した。
この女⋯⋯。やはり金を渡したのは間違いだったか?
さっそく後悔しかけた時、露店の方から声がかかった。
「ソルじゃないか! 今日は連れも一緒かい?」
エプロンを付け頭にバンダナを巻いた中年の男は魚屋を営んでいるようだ。
活きの良い新鮮な魚が店頭に並んでいた。
「ベイマンさん! そうなんです、町を案内していて」
どうやら知り合いのようで、ソルは元気に返していた。
「そうかそうか! じゃあ、お連れさんにもたっぷりこの町を楽しんでもらわないとだな!」
店主の朗らかな笑顔はソルだけでなく、隣の俺にまで向けられる。
しかしそれで終わりではなかった。
「おぉソルじゃないかっ! またうちの店に来てくれよー!」
「ソル、この間は手伝ってくれてありがとうねぇ」
「ソル! 今度うちにおいでよ、新作ができたから今度味見してもらいたいんだ」
町の行く先々で、ソルは声をかけられていた。
正義感に溢れ、直情的だと思っていたが、随分と人望に厚いようだな。
町民たちに次々と声を掛けられては、その度に元気に手を振り返している。
「随分と人気者だな」
「いえいえっ、でもとても良くしてもらってます。チップを弾んでくれたり、さっきのパン屋のおばさんみたいに、新作を食べさせてもらったり」
旅人は簡単な依頼を引き受けてその礼金を貰うことで日銭を稼ぐ。
その日暮らしの旅人にとって、それは何よりも嬉しいことなのだとソルは言った。
謙遜という訳ではなさそうだ。
これがもし偽りで、損得でものを考えるような人間だったならば、町の人間たちもわざわざ自分からソルに話しかける事はなかっただろう。
誰にでも分け隔てなく接する、裏表のない所が、奴らをそうさせているのだろうな。
「そういえば、ヘルさんは宿はお持ちですか?」
露店の並ぶ市場を過ぎたところで、ソルが言った。
その日暮らしの旅人が特定の拠点を持つことは少ない。
そのため、立ち寄った町で宿屋を探して取るのが一般的だ。
近辺に町が無い森林や山岳地帯、洞窟内であれば、寝袋や適当な布一枚で一晩を過ごすことも多い。
手伝いを条件に住み込みで働かせてもらったりする場合もあるようだ。
「いや、俺も旅人のようなものだからな。宿無しだ」
「でしたらオススメの場所があるんです! 案内しますよっ」
俺はソルの案内でそのオススメの宿とやらへ向かう事にした。




