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16 無一文

「で、だ。今だけ特別価格、千ロントでこれを譲ってやる。どうだ、欲しくなっただろ?」


 自信満々にデッキケースを勧めてくる。

 だが俺はゲインの口から放たれたその値段に度肝を抜かすほど驚いた。

 

 な、何と言ったこの男⋯⋯!?


「千ロントだと!? ふざけているのか!?」


 もしかすれば聞き間違いという線もあるからな。

 もう一度尋ねてみるが、返ってくる答えは同じ、それどころか⋯⋯、

 

「ふざけてるって⋯⋯いや、これでも随分良心的価格なんだぜ? 店で買ったらそれこそ二千ロント近くする。あんた見かけによらず結構ケチだな!」


 何を言ってるんだとばかりに言うゲイン。 

 良心的だと⋯⋯? もしやこの男は俺を騙そうとしているのか⋯⋯?

 俺は魔族の王とはいえ、人間の金銭常識くらいは多少心得ている。


「おい貴様、俺を騙そうというつもりなら相応の覚悟をしろ。 千ロントもあれば ”純マナタイト” を三十個は買える。それぐらいのことを俺が知らないとでも思っていたのか?」

「⋯⋯三十個ってあんたいつの時代の人だよ!? 千ロントじゃ、そんな高級品一個だって買えやしねぇ」


 どうも話が食い違う。だが、この男が嘘をついている様には見えないのは事実だ。

 そこで流石に気づいた。

 これは恐らく物価高⋯⋯人間界の物の値段自体が上がっているのだ。

 その影響で一ロントの感覚すらも百年前と現代の人間たちとでは異なっているという事だ。


 クソッ、俺がかろうじて知っている常識までもこう否定されてしまっては、成す術がなくなる。

 やはり地道に情報を得ていくしかないということか⋯⋯。

 あの女神、自分は天界で暮らす者だから人間界の金は持っていない。自分で手に入れろ、などと言って⋯⋯結局全て俺に丸投げだ。

 神のクセに微塵も役に立たないではないか。


 俺は不満と怒りを遠い空の彼方の天界にいるのであろう女神へとぶつける。

 再び会った時には覚えておくがいい。神の領域など知った事か。

 とにかく一泡吹かせてやらなければ気が済まない。


 しかし、どちらにせよ今の俺は無一文。

 一ロントだろうと千ロントだろうと払える程の金は持ちあわせていない。

 だが『HELLCLOUD』を追うためにも実物のカードを手に入れておく必要がある。

 実物があれば分かる事も多いと踏んでいるからだ。

 それに、情報を得る上でも都合が良い。人間とは己が好きな物を共有する相手には心を開く生き物だ。

 今はカードを手にする絶好の機会だ。逃す訳にはいかない。

 

 どうする? 金がなければ恐らくこの男はデッキを譲らないだろう。


 ——奪うか? 


 奪う——俺は欲しいモノが出来た時いつもそうして手に入れてきた。

 それが魔族だ。欲しいモノを欲しい時に欲しいままに奪う。

 それが魔族の生き方。魔族としてあるべき姿だ。


『魔王様。奪うにしても、ちゃんと相手の方の事を考えねばなりません。我々には感情があります。悲しい、嬉しい、楽しい、辛い。奪われれば怒りもします。奪うたびに怒りを買っていては、争いに発展しかねません。私は魔王様がただ奪うだけの存在にはなって欲しくはないのです。

 時には相手の立場に立って考えることも大切です。遠回りだって時には必要です。

 その遠回りをして手に入れたモノこそ、振り返った時、本当に欲しいモノだったと思える⋯⋯私はそう思うのです。』


 唐突に言葉が降って来た。いつの頃だったか、神官だった女に言われた言葉。

 魔族の多くは人間に敵対心を抱いている。しかし彼女は、仲間を殺した人間すら慈しみ、時に助けた。

 生涯で一度も人間を殺さなかった。そんな魔族は後にも先にも、きっと彼女だけだ。


「⋯⋯」


 あぁまただ。何故今、あの女の言葉を思い出したのだろう。

 ソルを問い詰めた時もそうだった。大切な、部下たちの言葉が、頭の中に流れて、その度に揺らぐのだ。決意が、行動が、自然と⋯⋯。


 彼女もまた、俺の放った水晶板の中で今もこの世界の何処かにいるのだ。

 必ず見つけ出してやろう。

 必ず⋯⋯。


「なぁ、もしかしてあんた、金⋯⋯持ってないのか?」


 恐る恐ると言った様子だ。俺をあれだけ商談相手と思い込んで話していたのだ。

 人払いをしてまで俺に情報を流し、デッキまで進めた相手が、無一文だとは流石に信じたくないだろうからな。


「生憎、貴様の言う通り俺は一ロントも⋯⋯」

「やっぱり、ここにいたんですね!!」


 俺の話を遮り、鼓膜に響いてくる少女の声。

 見なくとも分かる。⋯⋯ソルだ。


「——っな!? 『HELLCLOUD』⋯⋯!! どうしてあなたがヘルクラウドのバイヤーなんかと!」

「おいおい嬢ちゃん、誰だか知れねーが、いきなり酷い言い草だな。これでも一応、この界隈では名の知れたバイヤーなんだぜ?」


 テーブル上に広げられたカードと俺たち二人を見比べ状況を理解したソルは、信じられないと言った様子で声を荒げる。


「ヘルクラウドなんてゲームを商売にしているのなら誰であろうと同じです!」


 どうやらソルの『HELLCLOUD』嫌いは相当なものらしい。

 やはり、何かがあったと見るのが妥当だな。


「この男から情報を得ていただけだ。流行中のゲームだというので気になってな。ゲイン、生憎だが俺は今、金を持ち合わせていない。そのデッキは今度買い取らせて貰おう」


 向き直り、俺がそう告げた事でゲインはあからさまにがっくりと肩を落とした。


「やっぱりあんた、金無しだったのか」

「デッキ? 金無し⋯⋯って、えっ?」


 そしてその話を聞き、目を丸くして動揺するソル。

 恐らく俺は今、転生後初の重大局面に至っている。


  ◇


「う、うぅぅ⋯⋯。まさかあなたが一文無しだなんて思ってなかったですよぉ⋯⋯。奮発してハンバーグ定食なんて頼むんじゃなかった⋯⋯」


 寂しくなった財布の中を覗き見ては嘆くソル。

 支払い時に驚愕した顔で固まっていた瞬間は流石の俺でも少しは心が痛んだ。

 だが、本当に無一文だったのだから、どうしようもない。


「悪かった」


 俺は隣でメソメソと項垂れるソルを見てせめて礼儀を示そうと謝罪する。

 おかげで腹を満たせたのだからな。


「え、本当に一文無し何ですか? 一ロントも持ってない?」

「ああ。残念だが正真正銘、俺は一文無しだ。金目になるような物も持っていない」


 唯一持っているとすれば⋯⋯。

 俺は胸ポケットに入っていた一枚の紙を取り出す。

 

 ——特別入行許可証——


 『特別入行許可証』と大きく印字されたその下には、トレイザール冒険者支援協会という団体が、ケルバン他、国のあらゆる町への入行を許可するという内容が書かれている。

 俺がこの町に入ることができたのはこの紙があったからだ。

 恐らくはあの女神が用意していたのであろう許可証。


「ん——?」

 

 紙を眺めていると、俺はその紙の下部が千切れるようになっていることに気づいた。

 

 そこには、『特別活動支援金引換書』と協会の判子付きで書かれていた。

 何だこれは?

 俺が首を傾げていると⋯⋯、


「あーっ!? そ、それ!! 何であなたが持ってるんですか!?」


 手に持つ許可証を指さしてソルが大声を上げる。

 その声のデカさに俺は思わず耳をふさいだ。いい加減耳が潰れそうだ。

 

「これがどうかしたのか?」


 ソルにその紙を見せる。

 するとソルはかじりつく様に身を寄せ、そして次の瞬間にはフルフルと身を震わせる。


「ヘルさん⋯⋯!」


 突然俺の名を呼ぶ。それもかつてない真剣な表情を浮かべて。


「な、何だ⋯⋯?」


 勢いに押され半歩下がると、構わずソルは半歩⋯⋯どころか一歩二歩と近づいてくる。


「行きますよ!!」

 

 凄い勢いでそう言うなり、俺の腕を掴む。


「⋯⋯?? 意味が分からん。一体どこに行くつもりだ、説明しろッ」


 俺の腕を引き走り出すソルに、困惑したまま問うと、僅かに振り返り輝く瞳を向けてこう言った。


()()を救ってくれる場所です!」

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