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一.御猫、老人と日常を過ごす

黒い猫又、又八はこの街を愛している。

今日は楽しみにしている予定の日。

又八は化け猫の本分とも言える変化の能力で、人間へと姿を変えると一人の老人の家を訪れた。

もちろん、楽しみにしている予定のために。

 天気は快晴、穏やかな一日が今日もはじまる。

 俺、又八──体裁上、そう名乗っておくことにする──は今日ものんびり日向ぼっこを楽しんでいた。

 やっぱり天気のいい日は日向ぼっこに限るよね。猫は日向ぼっこが好きだ。

 俺は厳密にはもう猫ではなくて猫又なのだけれど。

 真っ黒な身体に先の割れた長い尻尾をゆらゆらと揺らして、何でもない時間を過ごすのは俺にとって楽しい時間だ。

 今日の俺は上機嫌だ。楽しみにしている予定がある。この日向ぼっこよりもさらに楽しみで、大事な用事だ。

 太陽が高さを増し、あたりをさらに暖かくしながら街を照らす。

 俺の身体は黒いから、こうなってくると熱くなってきて困るんだけれど、今日はそれも気にならない。

 もうそろそろ用事へ向かおう。

 丸めていた身体をぐっと伸ばしてから、俺は歩き出した。この街に来てからそれなりに経つ。見慣れた街並みだ。

 高層ビルも適度にあり、住宅地も適度に広がっているこの街は、言ってしまえば俺のような日がな気ままな猫にとっては行きやすい格好の場所である。

 俺は屋根伝いに約束の場所へと急いだ。

 とは言っても、取り立てて急ぐ用事というわけでもないのだが。

 すっかりと慣れた道なき道を俺は進んで、その先の人がほとんど立ち入らない場所へと滑り込む。

 猫又というのは、言ってしまえば化け猫だ。

 つまり、俺は姿形を変えることができる。

 人のほとんど立ち入らないような場所へ降りたのはそのためだ。俺は自分の身体を真っ黒の猫から、人間の姿へと変える。

 黒い髪、右は青、左は黄色の目、人間の言い方を使うならば男の身体に化けた。いつもそうするのだ。

 理由は簡単。ただの猫だった頃、俺は雄猫だったからだ。当たり前と言えば当たり前の話だと思う。今更、雌の何やらを身につけられるとも思えないし、そのことに対して積極的な気持ちもない。何より興味がないのだから。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。

 兎にも角にも俺は、人間へと化けて入り込んだ人通りのかなり少ない場所から、大きな通りへと歩いていく。

 これは余談だけれど、人間の姿の時に又八と名乗るとどうにも都合が悪いので、ユウヤと名乗ることにしている。名前の漢字の読み方を変えただけだ、嘘をついているわけじゃない。

 ユウヤという名で──とは言っても俺は必要がない限りは名乗ることもないので、そういう名前のつもりで人間の姿をしているというだけだ──俺が向かったのは、大きな通りを抜けた縁側の広い一軒家だ。

 軒先には髪の真っ白な老人が、一人で日当たりの良い場所を陣取っている。老人の目の前に置かれているのは、なかなかに使い込まれた碁盤だ。

 そう、俺はこのご老人と碁を打つ約束をしていた。もったいぶっていた相手はこのご老人で、密会とかそんな話でも全然ない。

 期待をもしさせていたのなら、申し訳ないんだけれど。

「おじいさん、来ましたよ」

 俺ははっきりと発音して、老人に呼びかけた。

「ユウヤくん、待っておったよ。入りなさい」

 老人は俺の声にすぐ気付いてこちらを向くと、顔をくしゃりとさせて穏やかな笑顔を向けた。手招きする姿はなんと言えば良いのか、縁起が良さそうとすら思える。

「はい。お邪魔します」

 俺は買って知ったる老人宅の門を潜って庭を横切り縁側へ。碁盤を挟んで老人と合うkたちで腰を下ろした。

「ユウヤくんは強いから、嬉しくてついはしゃいでしもうた」

 茶目っけたっぷりに笑う老人はまるで子供のようだ。まぁ、俺から見たら彼は充分過ぎるほど子供ではあるのだが。

「そう言ってもらえると俺も嬉しいです。おじいさんと話をしながら碁を打つの、俺も好きなので」

 少し微笑んで見せた。そうすると老人はまた嬉しそうに破顔するのだから、俺としても気分が良い。とても気分が良い。

 思えばこのご老人、最初から妙に堂にいっているというか、驚いたり警戒したりといったものが全くなかった。

 だからここに居やすい、というのはある。

 存在を疑われない、歓迎を必ずされる、ということは俺にとって貴重だ。いかにこの街の住人だと主張してみたところで、人間の住まう場所でそれに混ざり生きる人間ではないモノというのは、とっておきのイレギュラーと言えるだろうから。

「嬉しいことを言ってくれるねぇ」

 老人が笑顔を俺に向けてくれる。俺も再び笑顔を返してから碁を楽しむ体勢を整えた。

 碁というものは言ってしまえば陣取り遊びというやつだ。使い古された遊びではあるが、俺はこの奥深い遊びのことをとても気に入っている。

 もっと俺が歳をとっていなかった頃から、それこそずっと遊んできた。そこらの人間に負けるつもりは全くない。もちろん対戦の礼儀としてわざと手を抜いたり、加減によって相手に花を持たせようなど、考えたこともない。

 だからこそこの人の良さそうな老人は、俺のことを気に入ってくれているところもあるのだろう。

 俺からしても老人からしても、互いがとても良い相手であることは間違いがなかった。

「今回は、仕切り直しでしたね」

 俺の確認の言葉に老人は頷きながら盤上を整えていく。ここはやはり慣れた手つきで、無駄はひとつもない。

 いつものように整え切った準備の後には、流れるように必要なことだけを定めて勝負へと向かう。

 俺はこの瞬間が心地良く、好きだと感じていた。

 無駄もない、不要も発生しない。そういう時間を心底から好ましいと思う。

 始まってしまえば指手は小気味よく交互に動いて、止まることはない。老人も俺も長考は基本しない方だから。

 盤上の陣地は拮抗、正しく五分の戦いが繰り広げられている。

 そう、こうでなくちゃ。

 このご老人は、とことん強い。全力で頭を使う、この死力を尽くすという感覚がたまらない。

 静かに、しかし白熱した盤上の戦いを俺は喜び楽しむ。老人の表情も楽しげに輝いていて、やめられないなと改めて思った。

 この感覚にすっかり病みつきになってしまっている俺は、これまでも今日のようにこの場所を訪れ続けてきた。

 勝ち負けも、勝敗の決することを何度も何度も経て、この老人と俺はいわば戦友という立場を互いに獲得している。少なくとも俺はそうだと思っている。

 一進一退の攻防。それを楽しませてくれるのは老人を置いて他にはいない。

 そうしている間にも盤上の攻防は続き、開始から大差ない拮抗状態をやはり形成している。

 俺も老人も瞬間に最善の一手を繰り出して、どちらが勝ちに至っても異論はないと言い切れるほどの戦況だ。

 こう言う攻防戦はシーソーゲームというのだったかな。

 違ったかもしれない。

 何にせよぎりぎりの戦いというのを俺たちは行い続けていた。

 けれど勝利への欲というのは、時に冷静さを失わせることがある。貪欲に勝ちのために手を伸ばすのは必要なことだけれど、求め過ぎた先に待つのは破滅だ。

 今日、焦りと過剰な欲を先に持ってしまったのは俺──ではなく老人の方だった。

 その一手は盤石を崩す。

 崩れ切った均衡はもう取り返しがつかない。当然だ、俺はそれを見逃さないのだから。

「今日は俺の勝ちですね? おじいさん」

 ぱちんとこれまでよりも大きな音を盤で鳴らしながら、俺は正面の老人に声をかけた。

 このご老人が自分のした失態に気がつかないはずもなく、彼は苦笑を浮かべていた。

「今回はしくじったねぇ。これでは自業自得というやつかぁ」

 はしゃぎ過ぎてしもうた、と老人は言葉を続けてやはり茶目っけたっぷりに笑う。

 後に引くことなく、神経なのに戦える相手は今日も健在だ。

「次も楽しみにしています」

 嬉しくなって俺は笑顔を返し向けながら、老人に言った。

「次はいつかのう?」

「そうだな……明後日にでも、いかがです?」

「こちらはいつでも構わんよ。何せ暇を持て余した老人じゃからな」

「ありがとうございます。では、また」

 縁側から立ち上がり、俺は老人の家を後にする。穏やかな表情で見送ってくれる老人に一度だけ会釈をして、俺は道の角を曲がった。

 そこからは来た道を戻って薄暗い街の四角へと帰って行く。

 慎重にゆっくりと周りを見て、気配を確認してから俺は身体を人間と同様のものから、本来の獣──猫──に等しい姿へと戻した。

 化け猫たる俺にはそれくら造作もない。

 全身の真っ黒の毛、その毛並みは自慢だ。いつだったか人間に「気持ち良くて、ずっと撫でていたい」と言わしめた。

 その艶やかな毛並みを四足の身体と共に取り戻して、俺は優雅に街を駆ける。色の違えた目でやはりこの街と、そして行き交う人間の姿を捉えながら。

 今日のこの街は問題なく平和で、穏やかで暖かな時間が流れている。

 それが今、何もよりも俺が大切にしたいものだった。


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