序章
黒猫が目の前を横切ると不吉、という話がある。
まぁ、逆に幸せの象徴とされることもあるのだから、真偽の程は定かではないのだが。
かく言う俺は黒猫が転じた猫又だ。
猫又というのは猫のような姿をした妖怪のことを差す名称で、山猫とか大型の猫の伝え話として登場していたりもする。
他の種類のことは知らないけれど俺は昔、人間に飼われていて死期を悟ってそこを出たのに、何故か死なずにいる。どころか今では猫にあらず、猫又になっていた。
いつどんな風に?
そう思われるかも知れないけれど、劇的なこともなければ実感も伴わなかった。
死ななかったなと思っていたら、死ぬどころか衰える気配もない。人間がいうところの不老不死というやつだ。
ああ、俺のことは猫でも猫又でも黒猫でも適当に呼んでくれたらいい。一応、名前は又八というが名前を呼ばれることにこだわりは特にないのだ。
そんな俺が今何をしているのかというと、日向ぼっこである。
猫は自由気ままだ。まぁ、猫又なのだけれど。つまりすることがある訳ではない。
しかも元々の飼い主にはどちらかというと恩義を感じている方だから、取り立てて人間に悪戯や悪意ある何かしらを仕掛けるつもりももちろんない。
それどころか、うまくやっていきたいとすら思っている。理由は一つしかない。
人間という存在が好きだからだ。
最初の飼い主がよかったのかもしれないし、それから今まで関わった人間達の大半に悪意を見出さなかったからかもしれない。
何にせよ、俺はこの世界でただ生きていくことだけを望んでいる。悪意なく、害意なく、敵意もなく、だ。
平和というやつが一番。何事もなく、皆が普段と変わらない毎日を過ごすということが重畳というやつだろうと思う。いつだって日常は尊く、愛しく、美しいのだ。
そんな日常を過ごしていくには必要なことがある。昔から今までずっと、いろんな場所で生きてきたが変わりのないことだ。
それは場所、娯楽、食べ物である。こればかりは本当に欠かせない。その中でもまずは必須となるのが場所を探すこと。
新しい街に移ると、まず探すのは日向ぼっこの場所というくらいにはこだわりがある。
さらにはそれと同じくらいにこだわりのあることがあった。
遊び相手を探すこと。
当然だ。人間だって猫だって猫又だってたった一人──いや、一匹か──では退屈してしまう。相手さえ見つかれば娯楽も見つかるというものだ。
それらが揃えば自然と食べ物も手に入る。
こうして整えた場所で、今日も俺は生きているというわけだ。幸せを愛しむにはそれが必須で、それで十二分。
変わりない日が始まっていくという寸法だ。