その服、下着だったのですね
「かくして、アンバー姫を攫い、あろうことにパンツ……下着のまま長時間放置していたウィル・ハワードは死刑となったのでした……」
「ウィル、ついに壊れたか?」
「もう正気ではいられないでしょ。むしろ壊れていたいくらい」
三人で森を長い板で滑り、うまく木を避けながら滑走する。レフォミアの街に向かう正規の道は避け、追跡がしづらい森の中を進んでいた。運が悪いことに快晴の為、途中でアンバーが剣風で雪を散らして滑走跡を消していく。
頬にあたる冷たい風や喉を冷やす空気がいつもなら嫌でたまらないが、不思議とウィルは気持ちいいとさえ感じた。ドラゴンの加護のおかげだろうか。しかし滑走の最中、ウィルはただただ憂鬱だったし、動揺していた。
何故、自分がアンバー姫を攫ったのか。
何故、エヴァンとミアが一緒ではないのか。
何故、テオがあんなにも怒っていたのか。
……何故、アンバー姫はスカートを失っていたのか。
記憶がない。人生と命に関わる重要な記憶、その記憶だけがごっそりと。宝石採掘の朝、母が初任務の祝いだとウィルの好物であるシチューを作ってくれたのは覚えているのに。状況に翻弄されて失念していたが、反逆罪を犯した母親はどうなるのだろうか。
「ウィル、どうした? 止まっている暇はないぞ」
「母さんは、どうなるのかな?」
滑走を止めたウィルを、ロバートが振り返る。ウィルの言葉に、ロバートが苦虫を嚙み潰したような苦悶の表情を見せた。
「……エヴァンが、うまくやっているだろ」
「エヴァンが? エヴァンとミアは今何してるの?」
「知らねえな。俺はただ、ミアに……ウィルを助けてほしいと言われてきただけだ。無事を祈るしかない」
「そっか……」
エヴァンとミアが残り、母の傍にいるかもしれないと思うと、少しだけ肩の力が抜けた。
母さんも強い人だ、きっと大丈夫。ウィルはそう念じて、不安な心を落ち着かせた。母は、父が戦死したと知った時も、気丈に振舞っていた。今日のシチューが冷めてしまった方が悲しいと言った母に、ウィルは父がいなくなって悲しくないのかと聞いてしまったが、母はこう答えた。
『お父さんは困った人や危険が及んでいる人を見つけたら、頭より体が動いてしまう人。誰か一人だけではなく、万人を守ろうとする人。万人を守り、きっと英雄になる人。いつかこんな日がくるのではないかと、覚悟して結婚したわ。そのいつかが、来ただけ。覚悟していたから大丈夫』と。
きっと心の中では深く悲しんでいたに違いないのに。そう思うと後ろ髪がひかれるが、立ち止まっているわけにはいかなかった。日は傾きかけている。エヴァンとミアを信じて、前に進まなければならない。
「進もうぜ、夜が来たら凍え死んじまう」
「あ、うん。ごめん。アンバー姫も、申し訳ございませんでした」
「いいえウィル、私は大丈夫です」
ウィルを安心させるように、アンバーが微笑む。あの時の母も、同じように微笑んでいたな、と思い出してウィルの胸が痛む。結局晴れない気持ちを抱えながら滑走すると、三人はレフォミアの街にたどり着いた。ヴェルフドラの首都のように、雪を竈のように作った半円のカマクラ造りの家が並ぶのではなく、煉瓦で詰まれた家が連なっていた。首都よりも、どういうわけか国の辺境の街の方が栄えているようにさえ思える。
「まず宿を探そうぜ。アンバー姫、大変申し訳ないのですが、腰に巻いたマントを、頭からかぶっていただきたい。狭い国です、辺境の街とは言え、貴女様のお顔を知っている人間がいないとは限らない。お顔が見えぬよう、ご注意をお願いします。その、スカートは明日、すぐに調達しますので」
アンバーは頷くと、ロバートから借りたマントを腰から外して頭からマントを被る。身長の高いロバートのマントのせいで、アンバーは足の先まですっぽりと隠れた。
ロバートの働きによって、宿に泊まることができた。日が暮れてからの交渉の為、無理矢理部屋を開けさせたらしいのか三人一部屋になってしまったが、ウィルにとっては好都合だった。
「あの、僕の記憶がない時の事、聞きたいんだけど」
二つあるうちの一つのベッドに腰かけたロバートに声をかける。ロバートはよほど疲弊しているのか、声をかけたウィルに対して一瞥をくれただけで、勢いよく寝転んでしまった。アンバーにベッドを一つ譲るとしたら、もう一つはロバートが占領するらしい。
「明日、説明する。今日は勘弁してくれ」
「でも、手遅れになるかもしれないし」
朝起きたら、騎士達に囲まれている可能性がある。もし捕まれば自分の犯した罪を知らぬまま死刑にされる事もあり得る。
僕は何もしていない。僕は悪いことをしていない。なのに、剣を突き付けられ、殺されるのか。
テオの恐ろしいほどの憎しみは、ウィルにとって理不尽なことだった。加えて事の経緯を知らぬまま逃げるのにも限度があり、これからの行く先を計画しようにも情報が足りない。更に父の名誉を汚してしまう事、もう二度と生まれ育った家に帰れない事、騎士としての夢が潰えた事、幼馴染がそばにいない事、覚悟がないまま『剣の使い手』となってしまった事。すべてが混ぜこぜになってウィルの心をかき乱す。
本当に僕に正義はないのか? 国に反逆したのか? 死ななければ、償えないのか?
心情的にも、限界だった。
「手遅れって、なにがだ? もうとっくに手遅れだろ」
ロバートが苦しそうに声を絞り出す。腕で顔を隠していたが、憎悪を含んだ瞳がウィルを睨みつけていた。ウィルはたじろぐと同時、怒りからくる気持ち悪さに襲われる。喉が首を絞められているように圧迫され、息苦しくなった。
「何をそんな怒っているの? 説明してよ、分からないよ、ロバート」
分からない、分からない、なぜ僕ばかりが責め立てなければならないのか。死ななければならないのか。
「俺が知りてぇよ! 何で、ミアが……ミアが……クソッ」
吠えるようなロバートの嘆きがウィルの胸に響いた。ミアが、という言葉に頭が真っ白になる。一瞬、ミアが必死に叫んでいる姿が頭を過った。
「だから反逆するんだ」
誰かがロバートと同じように吠えた。ウィルがはっとロバートを見ると、ロバートが信じられないと言うようにウィルを凝視している。
「ウィル、お前……」
「え? 今、僕が、なんか言った?」
「いいえ、いいえウィル、疲れているのです、おやすみなさいウィル。ロバートも、休むべきです」
アンバーが、ウィルの背中に近づき、ウィルを抱きしめた。ウィルは突然の抱擁にドキリとするが、視線を落とすと、アンバーの手には短剣が握られており、その短剣はウィルの胸を突き刺している。
「ま、た、刺す意味、ある?」
敬語を使う余裕はなく、意識が遠のいていく。
――お姫様の眠らせ方、残酷すぎるよ。