雪の王国 ヴェルフドラの騎士達
雪化粧の山々に囲まれ、空を曇天が覆い、街は白銀で彩られる雪国のヴェルフドラ王国。温かな春は来ない雪に愛されたこの国で、先日、一年に一度の騎士授与式が行われた。運命が祝福しているような光の下で剣を掲げた齢十七歳の騎士達は、初めての任務に向かう為現地に赴く。
よほど六人の行いが良いのか、今朝から雪雲がなく、華々しい門出を祝うかのように青い空が広がっている。その空に響くように、苛立ちがこもった可愛い声が、空を見つめて動かない青年に呼び掛ける。
「ウィル! ウィルってば!」
「えっ、あ、ミア、何?」
ウィルとそう身長がかわらないミアが、眉を寄せて不機嫌そうにウィルの顔をのぞき込んでいる。顔の近さに驚いて後ろに一歩下がると、まだ誰も踏んでない新雪が足を飲み込んでいく感覚があった。ふ、と息を吐くと、白い息が消えていく。雪国の冷えが、首筋にかいた汗のせいで身体を冷やしていた。
「何、じゃないのよ。私達、今から初任務なのよ。は・つ・に・ん・む! 華々しい私たちの門出! …まぁ、騎士らしくない、ヴェルフドラの洞窟での宝石採掘、だけど」
苛立ちと残念な気持ちを最後に息で吐きだしたミアは、満足したのかすっと離れていく。ミアの亜麻色の髪が揺れてほんのりと甘い香りがウィルの鼻孔をくすぐった。
「ごめん、ミア。緊張しちゃって。でもびっくりするし、ロバートに怒られるから、不用意に顔を近づけるのはやめてよ」
「ちょっと、そこで何でロバートが出てくるのよ!」
「うっ」
ばん、っと背中を叩かれ、ウィルから声が漏れる。剛腕の騎士として期待されているミアの打撃に、背中がズキズキと痛む。成長するにつれミアの力が強くなるものだから、ミアの成長に日々怯えざるを得ない。
ミアは赤らめた顔を誤魔化すように、結った髪をくるくると指先で遊ぶ。仕草は可憐な乙女であり、年相応の純粋さがある。
ウィルはその姿に、可愛いとは思った。加えて柔らかな亜麻色の髪に、猫のような大きな目。足が長くてスタイルもよく、美人に成長している。騎士の制服ではなく、お嬢様としてドレスを着ているミアは美しく、見慣れているはずのウィルも目を奪われた事がある。
けれど兄妹も同然で過ごしてきた幼馴染に、恋心は湧いてこない。それはエヴァンも同様のようだった。仮にミアに恋心を抱いても、ミアの祖父である王宮法王が恐ろしい睨みをきかせて立ちはだかるだろう。人柄は勿論、家柄と財産がなければミアは嫁がせないと豪語しているらしい。この点、ロバートは勇気があるな、とエヴァンと話したことがあった。ウィルと同じくロバートは平民で、家柄も財産もない。同年代の騎士の中で人柄、家の地位、財産があるのはエヴァンくらいだ。幼い頃から三人でいる事に疑問はなかったが、こうした大人の事情が見えてくると、三人でいるのは大人が仕組んだ意図なのではないかと、ウィルは思い始めていた。そして自身はオマケだ、とも。
「ミア、お前こそ落ち着け。騎士としての初任務なんだ。ヴェルフドラの騎士規律第七条、如何なる場合も冷静に務めるべし、を実行するときだ」
「もう、エヴァン、規律を唱えないでよ! おじいちゃんに十分聞かされているんだから」
「ハハ、法王は家で規律を唱えているんだもんな、悪かったよ。でも、初任務だから、己の実力を過信せず、気を引き締めていかなければならない。とはいえ、ウィルみたいに緊張し過ぎて身体が動かなくなるのは危ない。叩くんじゃなくて、肩でも揉んでやれ、ミア」
「結構です! とっても元気だから大丈夫!」
エヴァンの冗談に、ウィルは渾身の力を振り絞って声を張り上げた。ミアに肩を揉まれでもしたら、肩の骨が粉砕してしまう。
ウィルはエヴァンの冗談に抗議の視線を送った。エヴァンはウィルの視線に気づくと、口角をあげてまた笑う。その時、雪を踏む音と共に、軽快な声が訪れる。
「俺だったら、ミアに触れてもらえるなら、どこでも、なーんでも大歓迎だけどな」
声がした方向に振り向くと、整った顔立ちの男がウィルに向かって歩いてくる。エヴァンと並ぶ高身長に、整った顔立ち。ブロンドの髪と垂れ目の目元にあるほくろが、甘いフェイスをより艶やかに魅せる。軽快に言葉を発する声も色気があるものだから、女子からの人気が絶えない。一見軽薄そうにも見えるこの男は、意外なことに十年間、たった一人しか愛していない。深緑の瞳は、ウィルの後ろにいるミアを見つけると、その目を嬉しそうに細めた。
「ロバート……肩が粉砕しても知らないよ」
「は? 今、粉砕って言った?」
私を何だと思っているのよ、というミアをエヴァンが取り押さえようとするが、ロバートの方が早くミアの手を取った。
「俺はミアの事、お姫様だと思っているぜ。な、俺のお姫様? 今日はこの任務が終わったら、ロバート特製、姫が大好きなアップルパイをご用意しております。必ず私の元に帰ってきてくださいね。お気に召されたなら、褒美に姫からの口づけをいただければ幸いです」
ロバートはそう言うと、ミアの手の甲に口づけを落とす。正確にはグローブをしているので直接ではないが、ミアはそれだけで顔を赤らめた。
「ちょっと! ウィル達の前で何してるのよ!」
ミアはロバートの腹に拳を入れるが、ロバートはうまく受け身をとったようだった。ウィルもロバートのように器用であればミアの攻撃を避けられるのだろうが、ミアと生まれた時からの付き合いだというのに、ミアからの攻撃に対して反射神経は開花されないままだった。
「ところで、コリンとオリビアはどうしたんだ? ロバート達もこれから初任務のはずだろう?」
「うちの隊は各々現地集合だよ。エヴァン達みたいに仲良く家から一緒、って仲じゃねーしな。アカデミーの時から変わらず、オリビアは朝のお祈り、コリンは朝の雪だるま破壊ルーチンをこなしている」
「で、ロバートは朝のルーチンの、ミアに挨拶、をしに来たってわけね」
仲間のルーチンにやれやれ、と肩をあげたロバートに、ウィルは一言付け加えた。
信心深いオリビアと、創造と破壊を愉しむコリン、恋に忠実なロバート。それぞれが個性的でまとまりがなさそうだが、連携するときの相性がいい。
「ロバート達の隊は業者の警護だっけ? いいわね、盗賊でも捕らえれば、勲章ものじゃない? 華々しい活躍があれば、アンバー姫から戴剣式を受けられるチャンスだって掴めちゃうかも。あーもう、なんで私達は洞窟で宝石の採掘なのよ!」
「そりゃ……」
癇癪を起したミアが、近くの雪の積まれた山に拳を突き出すと、それなりに固められていたはずの雪山が一瞬で吹き飛んだ。
それは、ミアの剛腕を買われての事では、ウィルは思ったが、口に出すのはやめた。今度こそ背中の骨を砕かれかねない。
「作物が育ちにくいこの国で、国の財政を保つには宝石採掘が最重要事項だ。宝石採掘とその監督は騎士として信頼されている証であり、名誉あることだぞ、ミア」
「分かって! る!」
エヴァンの言葉を聞いたミアが、もう一撃、近くの雪の塊に拳を振るうと、満足したのかミアが大きく息を吸って吐いた。そうして振り向いたミアの瞳には、強い意志が宿っている。
「エヴァンは不正のない秩序ある国、だっけ。宝石採掘には適任の騎士ね。私は早く出世して、この国の古いしきたりだとか、法を変えたい。早く発言力を高めなきゃ」
「僕も」
僕も、僕は? 僕は――