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 籠の中の鳥。

 大きく羽ばたかせれるはずのその翼を小さく畳み、小さな世界で空を知らない鳥。

 その入り口が開いていようとも、彼女はそこから出ることは出来ない。

 外がどんな物なのかを、幸か不幸かしらずにいるのだから。

 憧れを抱こうとも、そこから出ようとなんていう気持ちは現れない。

 彼女が思っているほど、空は狭くなく。

 渡り鳥達が思っているほど、彼女は自分の世界を狭いとは思っていないのだから。 

 ――その籠が壊れない限り。




 いつかその日が来るまで




 見事な晴天だった。

 昨夜は雨だったので、昨日の残像という対比でさらに空が輝いて見える。

あたり一面を覆っていた昨日の分厚い雲はどこやら。このキラキラとした眩しい陽光に当てられたのか否か、辺りを見渡す限りどこにも見当たらない。高い山の向こう側へと逃げてしまったのだろうか。

 上流貴族を思わせる広大な庭のあちこちには水溜りができていて、太陽の光を受けて明るく反射していた。

 樹木に掛かっている水滴もそれをはね返して光って見えた。


「綺麗ねー」


 その風景を、大きな庭の真ん中辺りに建つ、小さな離れの部屋から、薄紅色のドレスに身を包んだ少女、アリサ=ベルベーヌはうっとりと眺めていた。

 邸内には大勢存在するメイドも執事も誰一人して彼女の部屋の中に居ない。本来ならば、お着替えを、とメイドがやってくるのだが、それが来る様子も無い。彼女がそうさせたからだ。

 小さなわがままであるが、この風景を誰も邪魔されること無く堪能したかったのである。

 透き通った青い空に、キラキラと輝いた水溜り、水滴を光らせる樹木。少し向こうには小さな時計台も見えて、とても絵になる風景ではないか。

 私に絵が描けたらなぁ、とアリサは呟くが、残念ながら彼女はとことん絵心が無かった。

 それは彼女も不本意ながら承知していたので、行動に移すことは無い。一回行動に移したところ、アリサについていてくれる護衛の少年がそれを見て大笑いしたという苦い思い出があるためだ。

 けれど、自分自身が描かなくても良い。お父様に言って、画家の方に書いてもらおうかな、と、絵心の無い自分を見つめながら彼女は虚空にと呟いた。

 こんなにも綺麗な景色だというのに、残しておかないなんてもったいない!

 喜色満面のアリサだったが、不意に彼女は綺麗に整った眉を少し顰めた。

 後ろからノックの音が聞こえたのだ。


「放っておいてって言ったのに……」


 恨めしげに呟く。彼女としては、あと一時間は一人で眺めていたい気分だったのだ。

 が、声の主はそんなことを知るはずも無く、返事が無いことをいい事にガチャリとドアを開けてくるではないか。

 無作法すぎるこの行為に彼女は内心イラつきながらも、相手を見ようと振り返った。

 黒色の人影が足音を立てずに入ってくる。


「おはよう、お嬢さん。眉間に皴寄せてると、とれなくなるよ」


 微笑を湛えた少年がゆっくりと歩いてきた。太ももにホルスターを置き、そこからは、細い線を描いているこの少年には似つかわしくない、ゴツゴツとしたフォルムの銃が一丁覗いている。どうやら、アリサの護衛らしい。

腕には、朝露に濡れているアジサイに良く似たハイドランジアの花の束を抱えていて、彼は少女の五歩程度前に止まり、不思議そうに首を捻る。


「何がご不満?」


 ちょいちょい、と自らの眉間を示す。

 少年が入ってきた時から固まっていたアリサは、ふぁー、と息を吐いて、その場で脱力した。馬鹿……、とちょっとだけ悔しそうに呟いている辺り、眉間に皴を寄せたまま少年を迎えてしまったことを後悔しているようだ。


「お嬢さん?」


「何でもないわ! シュカならいいの」


 彼なら、シュカは良い、と告げてみるが、当の少年は当惑したように首を捻るだけである。


「ん? 俺なら? メイドさん達は?」


「ダメ」


「なんだそりゃ」


 意味わかんないよ、と少しの呆れを乗せると、彼は本来の目的、と、アリサの部屋の花瓶にと足を運ぶ。

 アリサが慌てて貰うよ、と彼の前に回りこみ両手を差し出すが、シュカはいいよ、座ってなって、と渡す気配も無く、わたわたと手をさまよわせるアリサを尻目に、手際良くハイドランジアを花瓶に入れてしまった。これまた悔しいことに、アリサがやるよりも綺麗に。

 主人がうぅ、と密かに凹んでいるのに気づかない少年は、二、三歩後ろに下がり、自らが積んできた花がこの部屋に合っているかどうかを確かめていた。


「よし。こっち選んで良かったな」


 何かの花と迷っていたらしい。

 迷った末に選んだ花が、アリサの部屋にマッチすることに満足感を覚えて、シュカは少しだけ笑みを零した。

 花瓶に水差しから水を入れ、それのせいで少しずれてしまった花の向きを表にと直し、ようやく彼はアリサの方に体を向けた。

 アリサは微妙な顔をしつつも、自分のとは正反対な服――飾りなどが一切なく、動きやすそうな、彼の黒衣が濡れているのに気づいてハンカチを差し出した。


「シュカ、そこ濡れてるわ」


 彼女に言われて初めて気づいたらしい。さらに濃くなった黒を眺めながら、手をひらひらと振る。


「露で濡れちゃったか。いいよ、お嬢さん。すぐ乾くから」


「でも汚れが染みこんじゃうわ」


「それならハンカチもでしょ」


「それを拭くためにあるんじゃないの?」


 アリサがそういえば、シュカはそうなんだけどね、と自分の服と彼女のハンカチを見比べる。


「どう見ても、そっちのハンカチの方が高そうなんだけどなぁ……」


「ハンカチは拭くためにあるのよ。シュカのお洋服が汚れちゃう方が重要よ」


「でもな……」


 それでも渋っているシュカに、アリサは無理矢理ハンカチを握らせた。


「使って? その方が私嬉しいわ」


「……はぁ。了解しましたよ、お嬢さん」


 仕方無く、と言った様子で彼は受け取ったハンカチで服を拭う。というよりも触れさせただけだったが、彼女は違うところに目を奪われていたので気づかなかった。

 シュカが身動きするたびにカチャカチャと鳴る、金属が擦れる音。

 太ももの位置に顔を出している銃を見て、弱った笑みらしき物を浮かべていた。

 彼がほとんど濡れていないハンカチを返すが、少し頷くだけで反応が薄い。


「……大丈夫なのに……」


 ようやく吐き出されたのは、とても弱弱しく、泣きそうなものだった。


「シュカにそんな物ずっと持たせるために私ここにいるのかなぁ……」


 しまったなー、そんな言葉が聞こえるような顔で彼は顔を歪めた。手は自分の得物に触れる。ごつごととした相棒は、彼に冷たい感触だけ与えた。

 一瞬、彼は目を瞑ると、本音とも言える言葉を吐き出した。


「これは俺の本業。気に病む事無いよ。お嬢さんが狙われなくとも、俺はこれを手放すことはないんだから」


 それでも、と彼女は顔を悲しそうに、悔しそうにするのだ。


「でも……。私がこんなんじゃなかったら、ずっと持ってるわけじゃないでしょ?」


「それはないよ。俺は自分の得物は手放さない。……そういう性分なんだよ」


 だから、お嬢さんは気にしちゃだめだ。

 自傷するかのように笑い、すぐにその表情を隠すと、シュカは無礼にあたると知りつつも、アリサの頭を優しく叩く。

 アリサは彼を見上げ、彼の瞳が少しも揺るいで居ないことを見て、少しだけ寂しそうな顔になった。

 どうしても、武器は彼から離すことは出来ないのだと、それだけで伺い知れたのだ。彼女にとって武器は怖いもの。恐ろしくて、冷たいもの。

 そんなものが彼のもとにあるということは、――自分を守ってくれているという事に矛盾するものの、とても悲しいことだったのだ。

 だけれど、シュカはこの話は終わりとばかりに、いつもの笑みで彼女を包む。


「ほら、お嬢さん。メイドさんが朝のお召し物のままで! って、叫んでたよ。着替えてきなよ」


 親指でちょいちょい、と指す彼の顔は冗談と分るけれど、ちょっとだけ怖がっているように見えて、アリサは不満は胸の中にしまっておき素直に返事をしておいた。


「はぁーい。……シュカ、後で外のお話してね」


「はいはい、仰せのままに」


 不満そうな雰囲気を少々残しながら部屋の外に出て行くアリサを笑顔で見送っていたシュカは、手を振っていたその手を流れるように太ももにと当てた。

 いつの間にか手にされていたナイフが、少しだけ開いていた窓の隙間から外に飛び出る。

 ぷつん、と。

 糸が切れる音がした。


「……やってないか」


 先ほどとは違う、硬く、冷たい声。

 アリサには絶対向けないだろう冷え切った声を彼は外へと放り投げた。 


「物騒だな、朝からそんな風に狙ってきて」


「ふん。無用心な貴様らが悪い」


 糸の先にいたらしい男が、テラスから部屋へと踏み入っていた。

 冷笑と共にシュカを哂うが、彼の顔は動きもしない。


「俺を怖がって撃ちもしなかったくせに大口叩くなよ、小物が」


 あの時、花瓶を自分でやりにいったのも、自分を窓の方に寄せて、外に居た敵からアリサを隠すため。

 アリサと喋っている間もシュカは全く気など抜いていなかった。

 彼女に感づかせないために、敵が背後となり、死角となろうが関係ない。

 視覚以外の聴覚嗅覚、そして一番重要となる第六感をフル回転させ、敵の動向を探り続けていたのだ。

 男は自らを支えていた糸を切り捨てたナイフをしげしげと眺めていた。


「今時ナイフとは古風だな」


「これまた小物が言う台詞だな」


 改造のし過ぎで、彼以外には使えなくなってしまった拳銃を構えて彼は笑った。


「話がなげぇーんだよ」

 



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