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目を閉じて、開けるともう日付は二日の時が進んでいる。


4月6日(金)。


僕が教室に入ると、扉の近くで男子四人組が談笑していた。

その中で少し背が高く、がたいが良く、日焼けで褐色がかった肌の男子がこちらを見ていて目があった。

彼はにかっと明るく笑うと、ゆったりと近づいてきた。


「あ、古久根君? 二日も学校休んでいたけど大丈夫だった?」


「えっと。大丈夫。ちょっと家の都合で」


「そうか。よかった。あと昨日係決めをやったけど、古久根君がどの係がいいのかわかんないから勝手に決めてしまったけどいいかな」 

 

そう言って後ろの大きな紙を指さす。

 

いいかなも何も従うしかなかった。

別に不満はないし、本当に僕はクラスの一員なんだなあ、と少し感慨深い気持ちになっていた。

僕は係名と人名の羅列から自分の名前を探す。


 進路指導係   古久根虎 河井由奈


「進路指導係って具体的に何やるんだ?」


「聞いた話だと、進路情報に関する書類を教員から定期的にもらっては掲示する係らしいな」 


それから彼は僕に近づき、周りをちらっと一瞥すると、


「それと河井さんもな、係決めで余った人というか、じゃんけんするくらいなら別のでいいってゆずって最後まで残った係に決まった感じなんだよ。ちょっと人と会話するのに冷たい印象というかなんというか。まあなんかうまくやってくれな」 


手で口を隠して内緒話のように囁くように言うと、お願いといった感じで片手を顔の前に突き出して笑顔を見せる。愛想が良い青年という第一印象だった。彼は元いた三人の元へ戻っていく。

 

程なくしてホームルームの時間を告げるチャイムが鳴る。

新学期特有のピリッと張り詰めた空気が教室内に漂っているようで、僕は自然と背筋が伸びるような緊張を感じた。


担任が話している中、僕は隣を見ると河井さんは相変わらず読書をしているし、片山は突っ伏して居眠りをしている。

席が後ろの方だから教師は別に気にとめてはいないようだった。

もしくは朝から怒る気はないのかもしれない。


ホームルームでの担任の話は要約すると、4月の終わりに遠足があるから班について少し考えておいて、ということだった。


河井さんはこのときだけ本を読むのをやめ、こちらの方をちらっと見ていた。

僕の視線に気がつくとすぐに顔を反対に向け、窓の向こうの青空をぼんやりと見つめているようだった。


それからは各教科のガイダンスが始まり、来週からは本格的に授業が始まるので予習を忘れないように、という半ば締めの決まり文句のような言葉をどの授業でも聞いた。


しゃちって部活動入ってないんだよな。今からでも入れるところ一緒に探そうぜ」


声の方を向くと、手を上に伸ばして片山は伸びをしていた。

顔に隈が一切無く、顔色がこの上なく健康そうに見える。

片山は今からが今日の始まりだといった感じだ。


僕を『とら』ではなく『しゃち』と呼んだことには好感が持てる。

まだ話したことのないのにさも親しいように話しかけられたのは少し驚いた。


「2年だけど片山も入ってないのか?」


「そうそう。だから一緒に回ろうぜ」


「いいけど、あんまり忙しいところは遠慮しようかな」


「了解。運動部からでいいよな」 


年が違うことを隠して彼と接していることを悪いとは感じながらも、さも親しげに応えた。

後ろめたいからと言って断るのは逆に怪しまれてしまうだろう。僕は考えられる行動の中で一番高校生っぽい自然なものを選べばいい。


片山の後について部活を回った。

部活見学の一年生に混ざっているので僕たちが二年生だと誰も分かる人は誰もいない。

こうして色々回ってみるとどこも楽しそうに思えた。


運動部ってあんまり面白そうじゃないな、と片山は言った。


「高校って思ったよりいい部活ないと思わないか」 


始めて一時間も経っていない手のひら返しだった。


「片山ってずっと部活に入っていないのか」


「いいや。中学までは運動部だったけど高校は吹奏楽部をやってた。だけど一年でやめた」



運動部をあらかた見学し終え、いったん休憩する。

部活動見学をしている一年生十人程の集団が僕たちの側を通り過ぎる。

片山の顔は笑ってはいるが、彼らを見る目には哀れみがあった。


「だから二年生になって気分を新たに部活探しに勤しんでいる訳なのだが。部活動やってるやつを見ると、真剣な部活動一色で青春を染めたくないな、って思っちゃうんだよな」


「部活動に打ち込んでいる人たちは青春だな、って感じで楽しそうに見えるけど。それに片山だって今は何もしてないだろ」 


言い過ぎたかなって思った僕の指摘に、片山はなぜかにやりと笑う。


「何もしてないからこそ、何でも始められるってことだ。変に脚を突っ込むよりかは全然いい」 


僕は別に元から部活に入る気はないので、片山の気持ちが理解できない。

高校生なのだから青春を部活動に費やせばいいと思った。


力の有り余るようなサッカー部の掛け声がここにいても聞こえてくる。


「次は室内の部活でも見るか」 


片山は歩きながら振り返って言う。

僕としてはもし部活に入るとしても毎回参加できるとは限らないから、室内の部活に落ち着いてくれると嬉しかった。


どの文化部も人数が少なく、半ば内輪のようなノリがあったけれど、それでも新入部員を欲しているらしくどこからも手厚い勧誘を受けた。

しかし片山の気になる部活はないようだった。


片山は階段の隣にある自販機で買ってきた冷たいココアの缶を僕に手渡した。

冷たいココアは舌に気だるい甘さが残すようで昔から僕はあまり好きではなかった。


「部活って何のためにやるんだろうな。運動部だって成績を残せるのはごく一部だし、文化部なんて今やってることがこれから何かの役に立つのか。ただの趣味なんじゃないのって思えるし」


「部活なんてそんなもんだろ」 


僕は、それが当たり前のことだと冷たくあしらう。


「なんか俺さ、忘れっぽいんだよね。中学の思い出とかあんまりないし、ましてや小学生なんてなおさらな。中学ではバスケに打ち込んでそこそこ良い成績を残したはずなのに、もうあのとき俺が何を考えてプレーしてたのか、どんな風に楽しかったのか分からなくなってる。楽しかったはずなのにもうその記憶が薄まってる。だから忘れることのない、記憶に残るような部活とかないかなって感じで探してたんだけど。そううまくもいかねえな」


「一体片山は部活に何を求めてるんだか。中学、高校って学ぶこと多いだろ。だからその分忘れることも多いじゃないのは当たり前だと思う。片山の求めるような部活無いだろうし、部活にそんなことをもとめるやつなんて他にいないだろうね」 


僕は極めて他人事のように言った。

部活動の記憶はあったとしても、それがどんな風に楽しかったとか何が苦しかったかなんて大抵の大人は忘れることだろう。それが当たり前だ。


「ちなみに、続けていた吹奏楽部はなんでやめたんだ?」


「単純に満足したからだ。ああ、こんな感じなのかって。吹部って皆で曲を作り上げるだろ。でも曲には完成がない。完成を決めちゃ駄目なんだとよ。心残りではあるが俺は区切りを決めた」 


片山は飲み終わったココアの缶を投げる。放物線を描いてくるくると回る。

カラッと爽快な音を立ててリサイクルボックスの縁に当たって跳ね返り、コロコロと僕の足下まで転がってくる。


「なんだそれ。片山は結局、何がしたいと思っているんだ?」 


「それを今、探してるんだろ」


僕は片山の空き缶を拾いあげ、ストレート気味に投げた。

 

ちょうど良い具合に空き缶は下降を始め、リサイクルボックスの中心に吸い込まれていく。

ボックスの中には他に缶がなく、静かに消えていった。


「逆に虎は何がしたいんだ」


「別に何も。特別なことも何もなく高校生が終わること」


「本当にそう思っているのか? もったいない。後で絶対後悔するぞ」


ヤマモトみたいなことを高校生も言うんだなと少し驚く。


「片山とそんなに変わんないだろ」 


僕は冷ややかな眼で片山を見る。


「いや、全然違う。俺は探そうとしている。探している過程にある面白いことも苦しいことだって俺は楽しんでる」 


「苦しいことが楽しいわけないでしょ」


片山は間違っている。


僕は後悔しないために高校生に干渉しない。

思い出なんていらない。

苦しいことを楽しいと思えるなんて感覚の方が異常なのだ。


「なんか虎と喋っていると楽しいな」 


片山はしゃちの感覚が理解できないなと言って、楽しそうにケラケラ笑う。


僕はとてもそんな風には思えなかった。

ここまでの会話に楽しくなるような部分が一つでもあっただろうか。


「ほら、そういう顔。虎って思っていることとか無関心なとこが顔に出てるからな。俺は自分がやっていることはいつも正しいと自信を持って言える。だから虎みたいにまっすぐ正直に俺のことを否定してくれるのが楽しいんだよ。俺の自信や固まった認識を打ち砕く機会っていうのは他者からの指摘しかないからな」



結局僕たちはどこの部活にも入らないことにした。

無理して入る必要もない。

恐らく片山はこのどこにも入っていない時間が楽しいのだ。

僕には全く分からないが。


それから片山は妹の面倒があると言って先に帰ってしまった。


まだ下校するには早く、雲がまばらな青空に夕暮れの気配はない。

生徒の見当たらない静寂に包まれた校門は大きく見え、通るには罪悪感があった。

本当にこのままずっと身分を隠したまま教室にいて誰かを失望させないだろうか。

まあそんなことはあるはずもないか、と杞憂の思いを消す。


学校の外に出ても吹奏楽部の演奏が途切れず聞こえる。

僕たちは見学に行かなかった。


僕は手に持ち続けていたココアの缶に気づき、缶を左右に揺らすとまだ中身は半分ほど残っているようだった。

舌にココア特有の甘さが残らないよう息を止めて一気に飲み干す。


ただ片山に対する僕の心の苦々しい思いは一緒に流し去ってくれなかった。

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