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なぜ僕の目の前にアクツがいるのか分からなかった。

二十数年ぶりに見たその顔は、あの時と何も変わっていない様に見えた。


「どうしてアクツがここにいる?」


「…………。古久根、お前が俺に会いたくてここに来たんだろ」


アクツは慈愛に満ちた目で僕を見る。

確かに僕はアクツを探していた。聞きたいことは山ほどあった。


「ここはどこなんだ?」


「わかっているとは思うが、古久根の夢の中だ」


「どうして? 僕は”歴史渡り”になって、夢を見れなくなったんじゃ」


「それはお前の心が、”歴史渡り”をやめたいと思い始めたから」


「そんなこと。これまでに何度も思った事はありますよ」


「わかってないな。今になってそれを強く思い始めたってことだ。だから絶対だったはずの体質に変化が起こり始めた」


そう言われた僕はやっと、今何が起こっているのか少しずつ分かり始める。

自分の体質が変化していることがわかって、少し嬉しく思った。

僕の思い次第で、この忌々しい体質が治る可能性があるのだ。


「ならそのうちに”二日ずっと寝続ける体質”も治って、毎日起きられる可能性も」


「それはおそらくないだろうな」


僕の期待していた答えはそこにはなかった。

アクツがキッパリと断言する様子に納得がいかない。


「どうして?」


「古久根の中にある”歴史書”に記憶を定着させるには、どうしても時間がいる。人間、無理にショートスリーパーになることはできない」


それを聞いて、僕の中にあったさっきまでの希望は絶望に変わる。

夢を見られるようになったからって、二日も寝続ける体質が変わらなければ、何も変わらないのだ。

様々な可能性に気づいてしまう夢なんてもう見たくはなかった。


「古久根、いっときの感情に支配されるな。結局それがお前の心に傷をつけることになる」


「…………。アクツさんは僕の何を知ってそう言ってるんですか? アクツさんは人を好きになるってどういうことか分かってるんですか?」 


「…………………………。生きている時間が違うのだ」


アクツはじっと僕を見つめる。


「僕が河井と関わることで僕が傷つくくらいなら構わない。でもそれが河井を傷つけるのは耐えられない。こんな僕の気持ちがアクツさんに分かるんですか?」 


「………………」


僕の苦しそうな表情を見てもアクツは何も言わない。

何の表情も顔に出さない。


「あんたのせいで、僕は今こんな風になってるんだぞ。生きている時間が違う? そんなこととっくにもう知ってるんだよ。あんたに言われるまでもない。でも僕は人を好きになってしまった。愛の力ってやつだ。これがどんなにやっかいな感情なのか本当にあんたに理解できるのか?」 


「……」


このときだけ一瞬アクツは苦しそうに顔を歪める。

でも僕は一切構わず話を続けた。


「あんたは何で“歴史書”に空白なんて作ったんだ? まともに仕事すらも出来ないのか? 常につきまとう違和感。心に穴が空いた感覚。僕はいつも何かが欠けている。あんたが作ったんだぞ。あんたのせいで僕の日常はずっと何かが欠けたみたいで……」


「それはほんとに悪かったと思っている」 


アクツは目を伏せて申し訳なさそうに言う。


「なら教えてくれ。あの空白の時期に何が起きたんだ」

 

僕はそう言って逃がさないように眼に力を込めてアクツを凝視する。


「………………。分かってる。オレも人を好きになったことはある。それでオレはひどく後悔した。もう取り返しのつかないことをしてしまった」


「ならどうして」


「オレも、そして樅山も傷ついた。全部オレのせいだ。古久根にはそうなってほしくない」


「勝手に決めつけんな」


「あの日を境に文字を書くのが怖くなった。古久根みたいで、歴史を探究するのが何よりも好きだったオレが“歴史書”を開くのすら出来なくなるような絶望は、古久根にはいらない。お前には悪いことをしたと分かってる。だけどオレみたいには間違ってほしくない」 


僕はアクツが何を言っているのかよく分からなかった。

何よりアクツ自身の話なんてどうでもよかった。


「絶望なら夢も中でもう嫌というほど経験した。僕とあんたは違う。だからあんたが勝手に決めつけんなよ」


「そうか」


それだけアクツはそっと微笑んだ。

それは河井に取り憑いた哀れむような笑みではなかった。


次第に僕の意識が薄れていく。


「オレには今も謝りたい人がいるんだ」


樅山を探せ、もうその声は聞こえてこなかったが、その口は確かにそう言っていた。



8月15日、月曜日。

長い夢から覚めるとどうにも身体が重い。

夢で見た河井の哀しそうな顔が何度もフラッシュバックする。

僕はしばらくうなだれてベットの上でただほんやり天井を見ていた。


何をしたとしても、僕が関わるだけで河井が不幸になるような気がした。

オレも傷ついたとアクツは言った。

一体アクツにはどんなことがあったのだろうか。


この長かった夢をぐるぐると思い返す。

それはひどく継ぎ接ぎで場面展開も急で、ひどくでたらめな夢だったが、夢だと気づくまでのリアリティは驚異的で、今も僕の心の中では河井へと申し訳なさが激しく渦巻いている。

 

スマホを開くと少し前に片山から着信が来ていたようだった。

何事かと思ってこちらからかけ直す。

すぐに電話が繋がって、いの一番に「大丈夫か」と片山の真剣な声が聞こえてくる。


急にどうしたんだよ、と平然を装って笑って応えると、

「河井に何かあったら俺が相談にのれ、なんて虎らしくないことを言うからな。虎に何かあったかと思った」

と言われてしまう。

そんなに頭が回る片山のことが羨ましく思えて、

「片山は余裕あるみたいだね。劇は上手くいってるんだな」

と筋違いな言葉が意図せず口を出てしまう。


片山は笑った。

電話越しでもちゃんと伝わる。


「ああ、順調だよ。河井も元気だし、むしろ今度は虎が急に不登校になってしまいそうな気がした」

そう言った。


「今ももう劇の練習は始まってるけど、今日は学校に来るか?」


何だか片山に心配をかけたような気がして、申し訳なくて。

行くよ。と一つ返事をしてベッドから起き上がる。


「虎、河井のこと好きだろ。ならちゃんと自分で気にかけて、困ってるときはいつだって虎が守ってあげろよ」


その言葉を最後に一方的に通話は切られた。

僕は唖然として少しの間固まっていた。


僕がつい数時間前に気づいた河井に対するこの感情に、一体片山はいつから気づいていたというのだろうか。

前に一度片山は、僕は気持ちが表情に出やすいと言っていたが、そんな前から僕はずっと前から河井のことが好きだったというわけなのだろうか。



急いで制服に着替える。いつの間にか着慣れた制服になっていた。

電車を降りて、改札をくぐる。

そこには僕を待ついつもの女の子はいない。


僕は差し入れのアイスを持って教室に向かう。

今日も相変わらずの猛暑。

アイスが溶けないように小走りで急ぐ。


教室に入ると、劇の練習中で役になりきった片山と目が合った。

僕を見て安堵のような表情をするとともに、不敵に笑いかけてくる。

それは役ではなくて片山自身のものだった。

河井は脚本をきゅっと持って、熱心に演技指導をしている。

僕は邪魔にならないよう腰を下ろして練習の様子を見守る。

今朝見た夢の内容を反復して、ゆっくりと振り返った。


樅山。


アクツが口に出したその名字を、僕はどこかで聞いたことがあるような気がしていた。

しかもごく最近に。

僕はしばらく考えた。


僕の数少ない知り合いの名前を順に考えた。

それでも誰だが分からない。

人の名前を覚えるのは得意じゃない。

昔の知り合いの顔と今朝のおぞましい夢の内容を思い出して、足と身体に寒気が走る。


大丈夫か、と休憩時間になり、片山は僕の顔をのぞき込みながら隣に座った。

夏休みの教室って先生が来ないから、急に自由で、解放感あるよな。と僕に笑いかけてくる。


僕はこの瞬間気づいた。

思い出した。

樅山が誰なのか。

どこで聞いたのか。

僕は樅山という名字の人を知っている。

話したこともある。

あの人ならアクツの何かを知っているかもしれない。


僕はあっ、と声を出すと、急にどうしたんだよ、と片山は驚いた顔を見せる。


僕は片山の疑問に答えず、立ち上がって急いで教室を飛び出す。

そのまま職員室に向かった。

廊下を走っていると通りすがる人の驚いた顔が印象的に映る。

ドアを開け、彼女の名前を呼ぶと、彼女は顔を上げて僕を見る。


先生は僕が一人で職員室を訪ねてきたことにとても驚いていた。

こうして僕の方から彼女を訪ねるのは二回目だった。


「先生。“歴史渡り”って知っていますか?」 


先生はその言葉を聞いてさらに驚きを隠せないようで、手に持っていた書類が一瞬にして手から離れる。

紙は空気に押し流されて花が開くように、先生の辺り一面にふわりと舞って広がり、ゆっくり落ちていった。


先生はそれに気づくこともないようで、がっちりと固まっていた。

僕はその反応を見て当たりだったか、と嬉しく思った。

やっとアクツを知っていそうな人を見つけた。

落ちた書類を僕は拾う。

先生はまるで石像になったように微動だたりとも動かなかった。


何度か先生の名前を呼びかける。

先生の顔は血の気が引いたようで少しだけ青白くなっていた。


ちょっと来て。


何度目かの声がようやく届いたようで、先生は活動を再開するとそう言った。


言われて案内されたのは来客用の綺麗な部屋。

中央にソファが置かれ、壁には賞状やら肖像画が飾られている。

血色を取り戻した先生は僕が入ったのを確認すると、静かに扉を閉める。

僕は先生に促されるままソファに向かい合って座った。

部屋には僕と先生二人しかいない。


「先生はその言葉を知っています。その前に一つ聞いてもいい? なんで古久根君がその言葉を知っているの?」 

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