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劇に向けた役職決めが終わると、役者側と裏方に別れて今後のスケジュールを確認した。

初めはどちらも台本読みから始まるが、河井さんの脚本が出来次第ということだった。


それからはいつもと同じ日常が続いた。

僕はたまに河井さんと一緒に配布物や掲示物を取りに行ったり、部活に何も入っていないために放課後の時間を持て余した時は、一緒に教室に残って勉強会を開いたりした。


あまり出来ない者同士の会である。

教室に残っていると分かるのだが、終礼後10分以内にはクラスメイトたちは教室から消え、部活や学習塾、あるいはカラオケやゲームセンターなどの娯楽施設へと足早に向かう。

予定がない時間をこよなく愛する僕としては、その10分で教室の雰囲気ががらりと変わることに驚いた。


一人消え、また一人消え、この教室に残っているのは僕たち二人だけになる。

そんな時間が好きで、用もないのに……というか用がないので、最後まで教室に意味もなく残って、変わってしまった教室の空気に和まされていた。


僕と河井さんはお互いの学力的には良い勝負で、僕が教える日もあれば河井さんが教える日もあった。

勉強しながらお互いに、今日あったこととか思ったこと、気になったことを話し合ったりもした。


「しゃち君、オー・ヘンリーって知ってる? 私の好きな作家なんだけど」


「名前くらいは」


河井さんはとても楽しそうに語る。

海外の作家さんを選んだのは少し意外だった。


「最後の一葉って短編があってね。端的に言うと重い肺炎にかかった主人公が窓の外の蔦の葉が全部落ちたら自分も死ぬはずだと公言したけど、一枚の葉だけは激しい雷雨や暴風に耐えちゃうの。それを見て生きる勇気を取り戻して元気になる。だけど、その一枚の葉は隣に住む人生を諦めた売れない画家の老人が描いた絵で、その老人は主人公と同じ肺炎にかかって後日死んじゃうの。私はその話がすんごく好きなんだけど、でも全然納得できないっていうか。主人公を助けておいて自分は死んじゃうって報われないっていうか。老人にだってちゃんと救われて幸せになってほしいなって」


「でも自分が最後に描いた傑作で誰かを救えるのなら本望なんじゃない」


「主人公はお礼も言えないわけだよ。お礼を受け取らずに遠くに行っちゃうのは、主人公からしたらすごく悲しいことだと思う」

 

「重い肺炎から治ったんだから、それだけじゃダメなの?」


「ダメなの。しゃちくんは分かってないな」



そんな会話をして次の週になると梅雨が本格的に始まった。

ジメジメした日々が続き、部活がなくなった運動部が教室に残っている日が多くなった。

最近、河井さんは休みがちになった。


六月の第三週に入っての今日この日。

初めて一人で進路指導係の仕事をすることになった。

 

一人なので喋り相手はいない。

ただいつも通りの仕事をするだけで効率は良いはずなのに、往復の行き帰りは脚が重くやけに長く感じた。


二人ならいくらでも仕事ができそうな感覚とは大違いだった。

配布物が多くなかったからよかったものの、僕がいないときに河井さんが一人で仕事をしていたことを思い出して、少し悪かったなと反省する。

聞くところによるとどうやら隣のクラスの脚本が完成したらしい。



次に僕が登校した日は河井さんがいて、僕はそうでもないのだが、久しぶりだねと言われた。

何事もなかったように元気な様子で他愛もない話をした。

脚本の方はどう? と聞いてみると河井さんは順調だよと言って笑った。



日に日に委員長兼監督の藤城が少しずつ苛立ち始めている。

そんな様子が三日に一度しか学校に来ていない僕にも分かった。


他クラスは続々と脚本が完成し、役を決め、読み合わせを始めたところもあるらしい。

藤城はスケジュールに余裕を持って行動したいらしいのだが、未だに脚本は完成せず、当の河井さんは学校に来ていない。

なぜ急に学校に来なくなったのか僕は分からなかったが、聞けばクラスメイトも思い当たる理由がないらしい。


「そんなこと今はどうでもいいだろ、古久根はなんか聞いてないのか?」 

藤城は僕のところまで来て、苛立った声で聞く。

知らないと言うとあからさまに藤城に嫌な顔をされた。


クラス内で不安の声が出始める。

他の人に脚本を任せるのがよいのではという案が出て、多くの生徒が賛成の声を上げた。

しかし一度脚本家を河井さんに決めた手前、彼女の承諾を得ないまま代わりの人に脚本を任せるのは、筋が通らないと藤城は言った。


気持ちよく事を進めるには彼女が脚本を完成させるか、彼女自身の意思で脚本家を降りてほしい、とも言った。

ただ時間だけが過ぎていく。

藤城はどうにも出来ないと苦々しい顔をしていた。


「河井どうしちゃったんだろうな」 


席が離れても相変わらず昼食は僕の元に来る片山が、少し心配そうに言う。

これじゃあ俺が頼んだ適役がちゃんとしてあるか、心配だなあ、と言っていた。



六月も最終週に入った日、雨は一向にやむ気配を見せない。


藤城は電話番号やら住所やら、とにかく河井さんと直接話が出来る手段を求めて樅山先生に直談判しに行った。

しかし先生はそういった個人情報は本人の許可がないと教えられないと、断ったらしい。

クラス委員長として時に声を荒げることはあるにしろ、こんなに荒れているのは珍しい、とクラス内で話題になり、何人かで興奮気味な藤城をなだめていた。


先生は河井さんと話して状況を聞いているからもう少し待ってほしい、と藤城に言ったらしかった。


今のクラスの状況は最悪――それも日々更新中で、僕が登校するたびに目に見えて悪化していった。

僕としても河井さんには少し怒っていた。

普段学校を休みがちな僕が言えた口ではなかったが、それでもクラスで大役を任されていて欠席はどうかと思う。


それにだ。仮に何か理由があったとしても、あの時の、やりたいと言った決意に満ちた表情、頑張りますと言った自信のある言葉、順調と言って見せた笑顔、それらを間近で見ていた僕はあのときの河井さんと、今の河井さんはかけ離れているように思えた。


あのときの河井さんは何だったのか、と今すぐにでも問いただしたかった。


あれは嘘であり、別人だったのか。

そうは思いたくはなかった。


河井さんは小説を書きたいと言っていた。

僕はそれを全力で応援したかったのに、今それが素直に出来ない自分にも少し腹が立っていた。



次に僕が学校に来た時、つまり二日が経った日に聞いた話で、あれから藤城はどうにかして河井さんから完成した脚本を受け取ったらしい。


ちょっとした進展だ。

そのことをクラスみんなで大いに喜んだらしいのだが、いざ読んでみると藤城の納得がいくストーリーではなかったらしい。


クラスメイトは実際に河井さんの脚本を読んだわけではないけれど、他クラスより遅れていることからして、皆は監督である藤城の決定に一任することにした。

河井さんに修正してもらうのか、河井さんが脚本を降りて別の人に新しく書いてもらうのかを藤城は検討していた。


僕も藤城も、きっとクラスの皆が河井さんに現状どうなっているかを直接説明してほしいし、彼女の真意が知りたいと思っていた。


「この前の河井は、急に元気なくなったっていうか。クラス皆に怯えていた感じなんだよな。ほんと何かあったみたいに変わってた」 


片山はいつになく心配そうな表情をしていた。

本当に虎は河井から何か聞いてないんだよな、と訊かれて、そうだと応える。


「俺が見た感じ、河井って虎と喋っているときが一番楽しそうなんだよ。虎になら何か話しくれるかもしれない」 


なんで僕なんだよ、と少し嫌そうな視線を向けると、片山は分かってないなとばかりに真剣な視線を向ける。


「今きっと河井は素直に事情を話せる人がいないんだよ。だから、虎、お前がそれになってやれよ」


「やけに僕を信頼してくれてるみたいだけど、人の相談事を聞くのは得意じゃないぞ」


「別に虎が上手い話をする必要はないんだよ。ただ河井が話したいことを全部聞けばいい」


「そこまでいうなら片山が行けばいいだろ」


「ちょっと昔、何かあったんだよ。まあいいから虎なら上手くいくって」


と真剣な面持ちながらも、とても自信ありげに力説してくれた。



一体、片山は僕をどんな風に思っているのかと抗議したかったが、その熱意に押されて僕は何をすれば良いのかを考える。

河井さんが学校に来ていない以上、直接話すこともできない。

とりあえず、詳しい事情を知っているかもしれない樅山先生に聞いてみることにした。

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