第二話/01
調査隊の方々の苗字は公家や旧華族、名前は宝石ってルールで付けてます。
「では行くぞ」
「〝喰い放題〟ってやつだね!」
土蜘蛛たちが一斉に走り出した瞬間、イデアスの剣は燃え、アスラの戦輪は水を帯び、二つの兵器は骨に埋め尽くされた地を蹴った。
「木戸!続け!」
「了解です!」
「甘露寺!よるくん達に傷一つ負わせるな!」
「了解!」
イデアスとアスラを追う九条の剣がしなやかに蜘蛛たちを切り裂き、木戸が放つアサルトカービンの閃光が、甘露寺が投げ放つ手榴弾が蜘蛛たちを肉塊へと散らす。
「キッキイィイイイイイイイイイ!」
絶え間なく響き渡る銃弾や爆発音に紛れた絶命の叫び、次から次へと吹き上がる血飛沫、ただの肉塊と化していく土蜘蛛たち。
常識を以てすれば九条と木戸の戦いぶりも人の道理を外れてはいるが、鵠の眼を奪って離さないのはイデアスとアスラの姿。
遠く離れた鵠たちの元にまで迸る魔力の量が違う。
九条が扱う得物と同じ刃でも、土蜘蛛を切り裂いて行く熱量が桁外れすぎる。
最早余派しか捉えることしかできないその残光は荒れ狂う嵐の中で炎と水が独り手に舞っている様で、引き裂かれた化け物たちの残骸こそが彼らの力を物語っていた。
(あれが──ムーン・チャイルドの力)
魔の物と、それを滅するために人智を超えた力で生み出された兵器の威力。
〝あれ〟を動かしているのがこの身から伝えられて行く魔力なのだと、未だ信じられない鵠は無意識に左手の指輪を強く握っていた。
「鵠!ボーッとするな!」
「っ!?」
よるが撃ち放った弾丸は鵠のすぐ背後まで迫っていた土蜘蛛の脳天を貫き、炎と水の輝きに囚われかけていた心を現実に引き戻した。
少しでも気を緩めれば食い散らかされる〝戦場〟にいるのだと改めて思い知らされた鵠は、よるの背後にしっかりと付きながら、しかしその警戒を自身を取り巻く全てへと向ける。
上下左右、三百六十度、いつ何処から襲い掛かって来ても分からない土蜘蛛たちの武器はその牙のみにあらず。
肉を溶かす毒液を、しかしよると甘露寺の放つ銃弾が蹴散らし、その眉間を貫いて物言わぬ屍へと変えて行く。
戦況は圧倒的に此方に利がある──そう思ったのも束の間、再びアスラ達の方へと視線を向けた鵠は〝変わらぬ光景〟に息を呑んだ。
(土蜘蛛の数が、減っていない……!?)
一体あれらはどれ程に繁殖していたと言うのだろうか。
業火に焼かれようが、激流に飲み込まれようが、切り裂かれても撃ち殺されても、土蜘蛛の大軍は絶え間なく押し寄せて来る。
「喰い放題って言っても限度があるだろ!?」
「聊か数を見誤っていたかもしれんな」
「隊長!このままでは持ちません!」
「だから僕の様に戦える様になれと言っているだろう!」
「そんな〝クラシック〟な魔術が出来れば誰も苦労しないんですよ!」
「此処は私が抑えるから!よるくんは鵠ちゃんを守ってあげて!」
「甘露寺さんだけじゃこの数は無理です!鵠!絶対に僕の背中から離れるな!」
誰も彼もが命懸けで戦っているのに、自分に出来ることは何一つとしてありはしない。
自分はただムーン・チャイルドへと魔力を供給するためだけに此処にいる──それはよるとて同じ筈なのに、よるには己が身のみならず鵠を守るまでのリソースがある。
甘露寺と云う護衛あってこそかもしれないが、この場でただ独り〝戦う力〟を持たない我が身が口惜しくてならない。
九条の様に戦えたらなどと、そんな烏滸がましいことは露ほども考えない。
せめてよる達の様に銃を使うことが出来たのならば……。
(──剣)
イデアスの振るう剣、アスラが舞わせる戦輪を見て、鵠の脳裏に護子の声が蘇る。
── 御身に封じられし剣こそ、貴女が当代の宮簀媛たる証なのです ──
もしも本当にこの身体の中に神剣が封じられているのならば、十六年の年月をこの身体の中で眠り続けていたのならば、今こそが目覚めの時ではないか。
だと言うのに剣が現れる気配を感じるどころかそんな予兆さえも訪れず、ただ圧倒的な数を前に押されつつある状況に焦燥ばかりが募っていく。
そんな瞬間だった。
「っ!?」
「甘露寺さん!?」
運良く銃撃から免れ、跳びついて来た大型犬ほどもある土蜘蛛に組み敷かれた甘露寺。
「よせ鵠ッ!」
咄嗟に駆け寄ろうとした鵠を食い止めたのはよるが張り上げた咆哮だった。
「だけど甘露寺さんが!」
「行った所で君に何が出来る!?」
──私に何が出来る?
武器も持たず、この場においては居るというだけで全員の足を引っ張ってしまう、ただのアスラの〝燃料〟に過ぎない自分に、何が出来ると言うのか?
宮簀媛と、古の血と神剣を受け継ぐ者などと仰がれながら、結局はただのお荷物に過ぎないこの身は、その腕で土蜘蛛の牙を食い止める甘露寺を見殺しにすることしか出来ないのか?
──否、そうじゃない。
そんなことには決してさせない。
考えろ、考えろ、考えるのだ。
自分にもできることを、どうすれば草薙剣をこの身より目覚めさせることが出来るのか、只管に考えろ。
(っ──駄目だ!)
土蜘蛛の牙が甘露寺の腕を離れその頭蓋を噛み砕かんとした瞬間。
甘露寺がピンを咥え引き抜いた手榴弾を、土蜘蛛の身体へと押し当てようとした瞬間。
鵠の脳髄は考えるよりも先に、その身体に「走れ」と云う命令を下していた。
「鵠!?」
よるへと振り返らず、土蜘蛛へと全速力で走る鵠は、その渾身の力を以て甘露寺へと覆い被さる土蜘蛛に体当たりし突き飛ばす。
そうして、突然のことに反応すら出来ない甘露寺から手榴弾を奪い取った鵠はよろける土蜘蛛へと投げ飛ばし──辺りを取り巻いていた仔蜘蛛たち諸共──木っ端微塵に爆破したのだ。
「──」
「……!?」
──絶句。
昨日の今日まで魔獣との戦いどころか存在そのものすら知らなかった少女が見せたとは思えない一連の行動に、よると甘露寺は空いた口が塞がらなかった。
「痛っ……!」
「鵠ちゃん、血が……!?」
「大丈夫、爪が掠っただけです……!それよりも甘露寺さんの方が──」
「キッ、キキキ」
有象無象に湧いて出て来る土蜘蛛の笑い声が鵠の言葉を遮る。
一頭、また一頭とにじり寄って来る蜘蛛たちは、鵠たちの血の匂いに興奮しているのかその口角から気色の悪い色の唾液をボタボタと垂らしていた。
「──!」
主人と土蜘蛛の間合に気が付いたアスラは即座に前線を離れ、立ち塞がる土蜘蛛たちを蹴散らしながら鵠の元へと走るが、それでも土蜘蛛の方が速く間に合わない。
──深手を負って動けない甘露寺も、次から次へと襲い掛かってくる土蜘蛛を散らすよるも、誰も鵠を助けることはできなかった。
自分は此処で死ぬ。
土蜘蛛に心臓を食い散らかされながら、絶命するのだ。
……そうじゃない、そうなってたまるものか。
(なんだって良い──私に戦える力があるのなら──)
自分はまだ死ねない、こんな所では死ねない、此処で朽ち果てて良い運命などではないのだ。
生きなければ、何としてでも生き抜かなければ。
さもなければ……。
(私の中に剣があるのなら!)
──瞬間、鵠の腕から滴る血が眩い閃光を放ち、土蜘蛛を怯ませる輝きと共に〝剣〟の形を成して行く。
「え──」
〝それ〟は自然と、まるで其処が鞘であるかの様に鵠の手に収まる。
光は粒子となり、消え去った後に残ったのは宝玉で出来ているかの様に鮮やかな色の剣。
初めて目にした筈なのに、初めて手にしたにも関わらず、何処か懐かしさすら覚える新橋色の剣身に鵠の顔が反射していた。
「あれが──」
その刹那、誰もが眼を奪われたのは古より伝わる伝説の剣。
神から人へと伝えられ、悠久の時をただ一筋の血により護られ続けてきた、〝力〟を象徴する神器が一つ。
一説には目に触れた者を呪殺するとまで謳われる程の力を秘めた神剣こそ、鵠が古の力を継承せし者たる証。
「あれが──草薙剣」
「っうぉおおおおおおおおおああああ!」
剣の名を囁いたよるの声を掻き消す、鵠の咆哮と共に剣が振り下ろされる。
それは型も何もあったものではない、ただ剣を叩き落しただけの攻撃。
しかし、眼前まで迫り来る土蜘蛛の頭を切り落とし、その返り血を全身に浴びた鵠。
口の中にまで入って来た血を、けれど吐き捨てることも拭うこともできない鵠は踏鞴を踏みながら──
「重ッ!?」
初めての戦闘で、初めて手にした得物で追撃など出来る筈もなく、再び振り上げること叶わない剣に両手を封じ込められるのだった。
「当たり前だろ真剣なんだから!?」
「いやでもこういうパターンって自分の手足みたいに使えるもんじゃないの!?」
「そんな都合の良い話がある訳ないだろ!?馬鹿じゃないのか!?」
振り返らず土蜘蛛を撃ち続けるよるの辛辣な、しかし至極真っ当な叱咤にダメージを受ける鵠。
そして一頭退けたところで状況が好転したわけでもなく、仔蜘蛛たちの大軍は此方へと押し寄せて来る。
あんなにも望んだ武器がこの手にある以上、せめて自分の身は自分で守る程度の気概を見せなければ示しが付かないだろう。
片腕を封じられながらも応戦する甘露寺や、自分へと群がろうとする仔蜘蛛たちを追い払わんと再び剣を強く握り締める鵠だったが……。
「全く……その骨董品、後で捨ててよね」
耳元で囁かれた、アスラの不満気な声と共に放たれた一閃が仔蜘蛛たちを薙ぎ払った。
一撃、また一撃と、鵠を抱え空を舞ったアスラの戦輪が放つ水の刃が土蜘蛛たちを大小問わず切り裂き、辺り一帯を血の海へと染め上げていく。
「っアスラ!?向こうは──」
「片付けたよ。粗方始末できたんじゃないかな」
呆気からんと言ってのけながら地に降りたアスラ。
その言葉に前線の方へと視線を向ければ、あんなにも白かった人骨の山は赤く染まり、数えることすらできない土蜘蛛の死骸が一面に広がっていた。
土蜘蛛たちの喚き声と戦いの音が途絶えた結界内は不気味な程の静寂に包まれ、元々紅い装甲のイデアスですら〝血塗れ〟だと視認できる程に誰も彼もが返り血に汚れている。
──勝った、この東京に生きる全ての人間を脅かす魔獣の群れを退けたのだ。
……なのに、鵠の胸騒ぎが治まらないのは赤黒い太陽が未だ輝きを失っていないから。
結界を保持できるだけの土蜘蛛がいなくなれば元の世界に戻れる筈なのに、鵠たちの視界が元の地下路線に戻る気配は一向に訪れない。
(まだ、この世界を保てるだけの土蜘蛛が生きている)
誰かがそう唱えるまでもなく、誰もがその認識を共有しているからこそ臨戦態勢を解こうとはしない。
──満身創痍の甘露寺、絶え間なく続いた戦闘に疲弊を隠せていない九条と木戸、肩で息をしているよる……そして、武器を手にしたとは言えまともに戦えない自分。
最早、戦力と呼べるのはイデアスとアスラしかいない状況で、第二陣に攻め込まれでもしたらその時こそ飲み込まれて終わるのではなかろうか。
不気味なまでの静けさに戦慄を懐きながら辺りを見回していた時──〝それ〟は突然現れたのだ。