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魔獣戦記  作者: Meg
4/11

prologue/04

 自分のベッドから身体を起こした鵠は、いつ床に付いたのかさえも思い出せなかった。

 ──護子に〝あの施設〟から連れ出され、車に乗せられたところまでは覚えているが、それ以上の記憶が辿れない。

 きっと車の中で意識を失う様に眠ってしまったのだろうと、未だ揺れる様な頭蓋を抑えながら起き上がる鵠はサイドテーブルに置かれた水差しに気が付いた。

 護子が用意してくれたのだろうレモン水の入ったそれは、まるで砂漠の様に枯れ果ててしまった喉の渇きに苦しむ今はとても魅力的に見える。

 傍らに置かれていたグラスへ注ぎ、口の中へと流し込めば爽やかな香りと共に潤って行く感覚が心地いい。


「……指輪」


 一杯、二杯と飲み干し、頭も幾分かすっきりとした鵠の目に、ケースの中で輝く銀と蒼玉の指輪が重々しく映った。

 きっとこれは手放すべきではないと──〝元の持ち主〟へ返すまでは肌身離さず持っておくべきだと、身支度を整えた鵠はそれだけを持って一階へと降りる。


「……おはよう。体は大丈夫?」

「……うん」

「食欲は?」

「……あんまり」

「……そう」


 いつものリビング、いつもの風景なのに、護子が曖昧な微笑みばかり浮かべるものだから、まるでとても遠い人に見えてしまう。


「……聞きたいことが沢山あるのでしょう?」

「……うん」

「お座りください。私にお話できることならば全てお話しましょう……私自身のことも、貴女様のことも、全て」


 真っ直ぐにこちらを見据える護子の丸みを帯びた眼は、良く見つめると瞳孔が細く縦長に変わっていた。

 その神秘的な色合も相俟って──まるで蛇の様な瞳に、どうしてこんなにも長く一緒にいて気が付かなかったのだろう。


「──私は、私や護子さんは、人間じゃないの?」


 けれど、きっと護子は今までも──そしてこれからも嘘を付くことはない。

 養母への信頼を疑うことなく、鵠はゆっくりと蟠りを吐く様に言葉を紡いだ。


「いいえ、貴女は人間です。けれど私は違う──神代の頃には〝神〟と崇められたこともありますが、今は〝魔獣〟と定義された存在です」

「……じゃあ昨日、よるのお父さんが護子さんのことを、〝八岐大蛇〟って呼んだのは──」

「嘗て、人間たちが私を呼んだ名の内の一つです」

「──」

「永きに渡り貴女方宮簀の一族に仕えてきた魔獣。それが私の正体なのです」


 カチ、カチと、時計の既に正午を通り過ぎている針の音が、鵠の耳へと異様な程までに響いた。


「──どうして、今まで黙っていたの?」

「当主代行であった和陽(かずひろ)の遺言により、媛が成人なさるまではそのお力も、お立場も、本来ならば秘匿する筈だったのです」

「パパが……?どうして?」

「宮簀家は──媛はリリンの世界ではとても重要なお立場にある故、政略に巻き込まれてしまう事を和陽は危惧していました。幼い媛の存在が詳らかになれば混乱が生じるだけではなく、数多の魔獣にお命を狙われ続けたことでしょう──和陽の様に」

「……パパが、事故で亡くなったっていうのは、嘘なの?」

「媛がまだ乳飲み子の頃、媛を魔獣から守るために……」


 ──酷い動悸や眩暈と共に、脳裏に蘇るのは土蜘蛛に喰い荒らされていた死体の虚ろな眼。


「媛……」

「だ、大丈夫、平気──八岐大蛇って、蛇なんでしょう?どうして護子さんは人の姿をしているの?」

「厳密に言えば、私は八つの首から別たれた頭の一つ──八岐大蛇の一部分だったと言った方が適切でしょう。この姿は私を救ってくださった御方の姿を模したもの。この姿を借り、人に紛れ、数千年の時を生き永らえました」

「……私の、家に仕える様になったって言うのは……」

「私はこの通り不老の身。人の時の流れが今ほど上手く掴めなかった頃には、何度〝化物〟と迫害され、狙われたかも分かりません」

「……」

「あの時もそうでした。尾張の国に留まっていた時、私の肉を食らえば不老不死を得られると信じた人間たちに追われていたのです」

「人間を、やっつけたりしようとは、思わなかったの?」

「八岐大蛇は人を喰らい過ぎたが故に滅ぼされました。故に私は、私を救ってくださった御方に報いるため、二度と人間を喰わないと誓ったのです」


 とても寂しそうに語る護子が、その悠久の時の中でどれ程の辛苦を味わってきたのか──鵠には想像することさえできなかった。


「そんな私を人の目から匿い、救ってくださったのもまた人間でした。尾張国造が娘〝宮簀媛〟──貴女の祖先であり、宮簀家の始祖たるお方です」

「私の、ご先祖様?」

「私は宮簀媛にお会いできた事が、宮簀媛にお仕えする事こそが運命であると疑いませんでした。媛の夫である小碓尊(おうすのみこと)が託した武器が、きっと私を媛の元へ導いてくれたのでしょう」


 そっと、護子が伸ばした手が──女性の身体にしてはひんやりとした掌が、鵠の手を包み込む。


「御身には宮簀家が古より守り続けた〝剣〟が封印されています」

「わ、私の中に、剣が……?」

「宮簀媛を襲名し、家督を継承できるのは小碓尊より剣を託された媛と同じ女性だけ。故に貴女様もまたお産まれになったその瞬間より、私と契約を交わし、剣を継承なさったのです」

「……」

「それは嘗て八岐大蛇(わたし)を殺した神が我が屍から生み出したもの。我が骨を溶かし、鍛え、剣とし、神々から人へと伝えられた剣」


 鵠は決して、古事記や日本書紀と言った神話に特別明るい訳ではない。

 だが〝八岐大蛇から生み出された剣〟と言われれば、護子が次に口にする剣の名など容易に想像が付いた。

 八岐大蛇を屠った須佐之男命(スサノオノミコト)が姉である天照大御神(アマテラスオオミカミ)へと献上し、次いで葦原(あしはら)中津国(なかつくに)を治めるべく高天原(たかまがはら)より降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)へと授けられ、悠久の時の果てに倭姫命(ヤマトヒメノミコト)から小碓尊──日本武尊(ヤマトタケルノミコト)へと授けられた、この国の象徴たる三種の宝物が一つ。

 八百万の神々が高天原にて作らせた八咫鏡、岩戸へ隠れた天照大神を呼び戻す儀式に用いられた八尺瓊勾玉、そして……──


「〝草薙剣(クサナギノツルギ)〟──代々宮簀の第一息女が媛の名と共に継承し、守り続けてきた剣」

「──」

「御身に封じられし剣こそ、貴女が当代の宮簀媛たる証なのです」


 甲高い音が通り抜けて行く喉は、乱れる呼吸に震えていた。

 ──喉が渇く。

 酷く、喉が渇いて仕方がない。


「……お飲み物をお持ちしましょうか」

「私はどうすれば良いの?」


 護子を引き留める鵠の胡乱な瞳は、養母の顔を見上げながらも何処か別の場所を見つめていた。

 明らかになって行く現実も眩暈を堪えきれない鵠は、テーブルに肘を付いて頭を抱える。


「いきなりこんなこと言われて……私、私は、どうすれば……」


 唐突に、鵠は己の手の内にある蒼玉に言葉を制止する。

 知りたいことも、知るべきことも未だ多く残っているが、それらは護子の口からではなく別の男から聞きたかった。


「よるのお父さんに会わなきゃ……」

「創石に?」

「これ、ムーン・チャイルドの指輪……私にも魔獣と戦って欲しいからって、昨日預かったの」

「……」

「昨日の話の続きもしなくちゃならないし……護子さん、車出して貰えないかな」

「……用意をしてきます。少しお待ちください」


 そう言い残し、リビングを出て行った護子を見送った鵠は深く息を付いた。


(外の空気吸いたい……)


 普段は忌々しく感じる陽射しでも、どうしてだろうか今は全身に浴びたくてたまらない。

 護子に次いでリビングを後にし、廊下を渡って玄関を開け放てば、想像していたよりも外気は蒸し暑くはなかった。

 風も無い中、空気を肺に吸い込めば気分の悪さも幾分か晴れて行くが、やはり喉の渇きは収まらない。


「……?」


 用意をしてくると護子は言っていたが、少し時間が掛かり過ぎではないか?

 そう違和感を覚えつつ、一度家の中へ戻って飲み物を貰おうかと踵を返しドアノブを引いた鵠だが──……。


「っ、え……!?」


 ──扉が開かない。

 鍵は掛かっていないのに筈なのに、どんなに力を込めて引こうともガタガタと音を鳴らすばかり。


「護子さん……!?護子さん!此処を開けて!護子さん!」


 ドアを力いっぱい叩いても、返って来るのは不気味な静寂だけ。

 ──そんな瞬間だった。


「……!?」


 夏の盛りへと向かっている今、未だ太陽は高く地上を照らしている時間帯である。

 なのに──今、世界は突如としてあり得ざる薄闇へと包まれたのだ。 

 空は血の如き色へ染まり、家々の連なりが生み出す物陰は異常なまでに暗い。

 何か異様なことが起こっている。

 きっと魔力を持つ者以外、知る由もない怪奇に巻き込まれている。

 恐怖が心臓を早鐘の様に打ち付ける痛みに耐えながら、只管に扉を開けようとドアノブ揺らしていた時だった。


「キ、キキ」


 ──あの声だ。

 忘れられる筈もない、おぞましい笑い声。


「……」


 全身から全ての血を抜かれた様な冷たさを覚えた時、鵠の全身を覆い被さる様に現れた巨大な影。

 振り返れ、振り向くな、振り返れ、振り向くな───

 点滅する信号の様に相反する命令を下す脳に惑いながら、ゆっくりと振り返った鵠の眼は〝それ〟とかち合ってしまう。

 家屋の屋根に張り付き、こちらを睨んでいるのは鬼の貌。

 血走った眼は鵠を──否、獲物を真っ直ぐに捉えると、牙を剥き出しにした口を更に歪め吊り上げた。


「キ、キキ、キ、キ、キ、キキキキ、キ、キキ」

「──」

「キキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケ」


 例え様のない程に気持ちが悪く、そして恐ろしい笑い声だった。


「──!?」


 その巨体からは想像もできない速さで突進してくる土蜘蛛に、声にならない悲鳴を上げた鵠。

 間一髪で逃げ果せた鵠の耳を、土蜘蛛が屋敷に激突した騒音が劈く。

 けれど今は振り向く事はおろか、何処までも続く道を全力で駆け抜けることしか出来ることはない。


「誰か──誰か助けて!誰か!」


 異界と化したこの空間で、その悲鳴は土蜘蛛をおびき寄せるだけ。

 巨大な蜘蛛がこちらへと這い寄る足音に、鵠は背筋に氷が伝う様な戦慄を覚える。

 少しでも撹乱し逃げる時間を稼げればと、まるで迷路の様に入り組んだ細い路へと入り込んだ。

 だが規格外の巨体を持つ化け物にとっては、立ちはだかる壁などあって無い様なもの。

 コンクリートのブロックも、障害物も、それら全てを粉砕する轟音は何処までも鵠を追走していた。

 ただ只管に、振り返らずに逃げ惑う鵠は無尽蔵の体力を誇るわけではない。

 ついに尻もちを付き、荒ぶる呼吸と気管の痛みに悶絶する鵠は自分の手の中の指輪を見下ろす。


 禍々しい光を浴びようと、眩い輝きを損なわない蒼玉の指輪。


「キキキキキキケケケケケケケ」

「───!」


 再び鵠へと降り注ぐ悍ましい笑い声、見下ろしているのは恐ろしい形相。

 本来蜘蛛にはあり得ない──獲物の肉を引き千切るための牙が並ぶ口を土蜘蛛が大きく開いた時、鵠の脳裏にある光景が過った。


(毒──!)


 明貴の右腕を焼き爛れさせた毒液が勢い良く噴射される。

 反射的に避けていなければ、自分が思い描いた通りに毒液によって全身を溶かされていただろう。


「っ……!」


 だが壁に向かって飛んだ鵠は、受け身を取る事が出来ず身体を打ち付けてしまったのだ。

 その衝撃で手の中から放り出されてしまったケースから、地面に転がり落ちる蒼い光が鵠の眼に強く瞬く。


「っ──」

「キ、キキ、キキキキ、ケケケケケ」


 鵠に考える時間を土蜘蛛は与えようとしない。

 逃げ道を失った獲物へ、今度こそ喰らい付くために突進してくる──


 逃げなければ──

 否、一度土蜘蛛に狙われれば逃げ場など無い。

 戦わなければ──

 否、武器も戦う術も持たないこの身一つで、土蜘蛛に抗うことなど不可能だ。

 生き延びなければ──

 ……死にたくない、違う、まだ死ねない。


 死ねない、死ねない!自分は死んではならないのだ!


 警鐘の様に打ち鳴らす本能に突き動かされた鵠が走り出し、嘲る様に口角を吊り上げる土蜘蛛は追走した。

 ──土蜘蛛の牙が鵠の背中へと届き噛み砕んとする。

 そのほんの僅かな一瞬──牙が届く紙一重で、鵠の指先が蒼い指輪へと触れた。


「っ──!?」


 ──蒼い輝きと突風が土蜘蛛を吹き飛ばす。

 あまりの眩しさに眼を覆い隠した鵠の左手の薬指に熱が灯る。


「──」 


 ──固く冷たい、けれど、途轍もない安心感を与えてくれる力強い腕。

 この身を包み込んでくれる腕の持ち主を、その貌を見上げんと仰いだ鵠が見たもの。

 湖水の様に蒼い──イデアス達と同じムーン・チャイルドの証たる戦闘用装甲。

 等しく蒼い仮面に相貌を覆い隠す兵器たる〝第二号機〟は物言うことなく、そっと鵠を解き放つと静かに土蜘蛛へと向かって行った。


「──!」


 蒼い光と共にその手の中に現れたのは、鵠の顔より二回りも三回りも巨大な黒い輪だった。

 その装甲と同じ蒼い色の電子回路の様な模様が奔り、総ての魔獣を切り裂くと予感させる鋭利な刃に彩られた戦輪(チャクラム)

 第二号機の右手から放たれた戦輪は土蜘蛛の首を飛ばして持ち主の手に戻り、もう一度(ひとたび)放たれた追撃は土蜘蛛の首を失った身体を真っ二つに引き裂いた。


「っ──!?」


 吹き上がる魔獣の血、飛び散る鮮血を浴びながらも微動だにしない蒼き兵器──そして、噎せ返る血の匂いに感じたこともない激情を覚える鵠。


「──図体と異界化だけが取り柄の魔獣か。張り合いのない奴だな」


 静寂(しじま)の中に響いたのは、その巨躯からはあまり想像のできない爽やかな男の声だった。


「……し、死んだの?」

「うん、殺した」


 ごく普通の会話の様に言ってのける男に──命を救われた身ではあるものの──不気味な恐ろしさを覚えずにいられない。

 あんな怪物を呆気なく始末した男の、その巨躯に覆われた装甲こそが人ならざる者の証左である様で、それが殊更に恐ろしかった。


(彼が……ムーン・チャイルド第二号機……)


 切り裂かれた土蜘蛛の死体の何かを調べている男から、自身の左手に視線を落とす鵠。

 きっと魔法の力なのだろう。

 左手の薬指にぴったりと嵌る蒼い宝石の指輪は、未だ紅く禍々しい光を浴びながらも美しく輝いていた。


(彼が……私の……)

「──親玉って程ではないけど、まぁ〝量〟だけならまずまずってとこか……」


 男が言い終わるか言い終わらないかのタイミングで、突如世界が歪んだ。

 比喩ではなく、まるで波の揺らめきの様に周囲がぐにゃりと歪むと、鵠が声を上げる間もなく世界は元の姿へと戻って行く。

 即ち、鵠の見知った───穏やかな日差しが降り注ぐ住宅街へ。

 灰燼に帰した道も、倒れ崩れた家々も、何もかもが元通りになった世界は、嘘の様な静寂に包まれる。

 土蜘蛛の死骸も無く、踵を返し戻って来た蒼き兵器がいなければ鵠は悪夢と思い込んでいただろう。


「この一帯だけを異界化させてたのか……こんなに狭い範囲だと探知も難しいだろうし、イデアス達が梃子摺る訳だね」

「……」

「おびき寄せるのは良い判断だったと思うよ、ギリギリの所だったけど」

「あ、あの……」

「立てる?」


 矢次に語られても理解が及ばない鵠は、男が差し出した手を取ることしかできなかった。

 ……こうして改めて見上げても、男の巨躯は並外れている。

 高身長と言われる明貴よりも更に巨大な姿を仰ぎ見ていては首が痛くなりそうで、その巨躯は二メートルを超えているのではなかろうか?


「おっと、名乗り遅れた無礼をお許しくださいマスター」

「ぶ、無礼なんてそんな──」


 鵠が物言えなくなったのは、光の粒子となり消え去った仮面の下から露わになったその美貌に言葉を失ったから。

 雪原の様な白い、ふわりと揺れる柔らかな髪。

 あまりにも端正な、けれど何処かあどけない印象を齎す美貌の上で輝く丸い翡翠の眼。

 蒼い装甲から見える太く男らしい首や、鵠を見下ろす巨躯とは不釣り合いにも思える──〝可愛らしい〟とも言い表せる顔立ち。

 けれど──そんなアンバランスささえも芸術に昇華させるが如く、彼はとても美しかった。


「俺の名は〝アスラ〟。水を司りしムーン・チャイルド第二号機──君の武器だ」


 言葉が質量となり鵠の身に伸し掛かる。

 ──生き残るためだった。死にたくないと抗っただけだった。

 けれど選んだ果ては戦いの道であり、手にしたものは途方も無い力を秘めた武器。


「マスター、君の名前は?」

「……鵠。宮簀鵠」

「鵠、改めてよろしくね」

「……」

「死が俺たちを別つまで、君の武器となることを誓おう」


 再び差し出された大きな手を取るも、鵠には未だその覚悟は伴っていない。

 だがその手を振り払うことも、指輪を外すことも叶わない鵠に、残された道は一つしか残っていなかった。

 ──それはムーン・チャイルドの所有者として、闇に蠢く者たちと戦うと云うこと。


 〝平凡〟とは言い難い生い立ちかもしれない。

 それでも 生活に苦労をした事も無いし、特筆して不自由を覚えたこともなく、大きな不満や不平と言った蟠りを抱え込んでる訳でもない。

 今日までそれなりに幸せに生きてきたと──宮簀鵠は己の半生を常々そう振り返っていた。

 だがそれは鵠の願いそのもの。

 何度も繰り返し唱えることで「自分は幸福なのだ」と信じたかった──人と魔獣の狭間にいる少女の、夢のように儚い願望だったのだ。

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