第四話/02
──学校に着き、先ず初めに伊織に追及されたのは鵠の左手に光る指輪の存在であった。
「母の遺品の整理をしていたらたまたま見つけた」とそれらしい事を言ってその場は免れることができたが、問題はその次だった。
次いで登校してきた明貴の左手にも指輪が輝いていたため、伊織のみならずクラス中の女子が騒然となったのは言うまでもあるまい。
明貴は明貴で「兄に譲って貰った」と周囲を納得させる嘘を並べ立てたが、よるに次いで鵠や明貴まで同じ場所に指輪をしていれば怪しまれるのも無理はない話だろう。
「こうしてると、私だけ仲間外れ感凄くない?」
「そんなことないよ」
「偶々指輪を貰うタイミングが重なっただけだろ、気にすんな」
「……そういう指輪、私も買おうかなぁ」
昼休み。
学食を食べながら、そうぼやく伊織の疎外感は理解できなくもない。
──本当はこの四人の中では伊織だけが別の生き物で、鵠たちのこの指輪は世界を守る者たる証なのだ、と。
当然そんなことを打ち明けられる筈もなく、幼馴染であり一番の親友との間に生じた大きな隔たりに鵠の胸は切なさと言う痛みで軋む。
伊織だけではない。
今まで当たり前の様に接してきた友人たちとも自分は別の生き物であるなど、一昨日までの自分に説明したところで受け入れるどころか正気を疑われるだけであろう。
唯一の救いは、伊織と同じ幼馴染である明貴が自分と同じ境遇でいてくれることだろうか。
よるも大切な友人ではあるが、幼稚舎からの長い年月の中で育まれて来た友情と云う結び付きは他に替えの効かないものだ。
今ほど明貴がいてくれて良かったと思うことはないだろうと、そう心の中で感謝する鵠はきつねうどんを食べる幼馴染を見つめて安堵の微笑みを零していた。
そうして迎えた放課後。
〝家の用事がある〟と一早く帰宅した明貴に、よるも鵠へ「また後で」と耳打ちしてから先に下校してしまい、残された鵠と伊織は必然的に肩を並べて校舎を後にする。
「今日どうする?寄り道する?」
「そうだねぇ……」
よるとの約束の時間まであと一時間程度しかないが、伊織とお茶程度ならできるだろうか?
何処かカフェにでも入ろうかと話し合っていた二人だが、校門がやけに騒がしいことに気付き揃って首を傾げる。
男子、女子問わず〝ある一点〟を見てざわめいている事を訝しがりながら、何事かと門へと歩み寄る。
──そうして鵠が目にしたのは、此処にいる筈のない、白銀の髪をふわりと揺らす人ならざる美貌だった。
「あっ、お~い!鵠~!」
「……!?」
何故アスラがこんな場所にと、絶句する鵠の隣では「誰あのイケメン!?」と詰め寄る伊織がいる。
そんな伊織を横目に、呑気に手を振るアスラへと走り寄る鵠の額には冷や汗が滲み浮かんでいた。
「なんで此処にいるの!?どうやって来たの!?」
「そろそろがっこーが終わる時間だって護子が言ってたから迎えに来たんだ。ちゃんと電車で来たから安心して」
「迎えにって、どうして態々……」
「ねぇ鵠、せっかく外に出られたんだから遊びに行こうよ」
「は?えっ、ちょ、ちょっと待って──」
「鵠!誰この人!?どういう関係なの!?」
伊織など、否、所有者以外の人間など眼中にないと、鵠だけを見つめるアスラと、今まで目にした事もないであろう美男子を前に興奮を抑えきれない伊織。
──嗚呼、このままでは収集が付かないと、思考回路を全力で回転させた鵠はバッ!と顔を上げて必死に作り笑いを浮かべるのだった。
「伊織ちゃん、この人はアスラさん。護子さんのお友達で今うちに遊びに来てるの」
「護子さんの?」
「今日は学校終わりに観光に付き合うって約束してたんだ!すっかり忘れてた!じゃあまた明日ね!」
「あっ、ちょっと鵠!?」
伊織の返答も待たずにアスラの手を引いて駅の方へと全力疾走する鵠。
道行く人々の視線は否が応でも二人へと注がれるが、そんなことを気にしている場合ではないと一目散に電車へと乗り込むのだった。
「──で?」
「?」
「どうして学校にまで来たの?」
「鵠と遊ぼうと思って」
「遊ぶ……?」
「俺、殆ど外に出たことないんだ。今までのマスターからも任務以外では外に出るなって命令されてたし」
(今まで……?)
──そう言えば、九条結摩が最初の所有者だったとアスラは語っていたが、何らかの事情があって所有者が転々と変わっているのだろうか?
ムーン・チャイルド全機がそうなのか、はたまたアスラだけがそうなのか。
推測こそ至らない鵠だが、今は周囲の視線が気になって仕方がない。
二メートルもある巨躯に完璧が過ぎる美貌のアスラは何処に行っても目立つだろうが、電車で移動したり街中をうろつくよりは一つの場所に留まった方がまだ人目を避けることができるだろう。
そう思い立った鵠は一駅で降り、駅のすぐ傍にあるカフェの隅へとアスラを押しやるのだった。
「アスラは何飲む?」
「何でも良いよ」
そう言われるのが一番困るのだがと、ため息を付きながら鵠がオーダーしたのはアイスコーヒーを二つ。
丁度人が空いている時間帯で助かったと一息付きながら、コーヒーを一口飲んだ鵠は話の続きへと切り出すのだった。
「遊びに行くのは構わないけど、アスラは行きたい場所があるの?」
「鵠が連れて行ってくれる場所なら何処でも良いよ」
「……アスラ、本当は遊びたい訳じゃないんでしょ?」
「……」
「本当は私の特訓の邪魔したいんじゃないの?」
──刹那、二人の間に走った、何処となく重々しい沈黙の中でアイスコーヒーの氷がカランと音を立てる。
やがて肩を竦めたアスラがため息を付き、しかし悪びれもなく紡がれた言葉に、鵠の目は点になってしまった。
「鵠が悪いんだよ」
「……え?」
「俺がいるのに“そんな骨董品〟使って、鵠の武器は俺だけで良いのに、なんで態々そんなもの使うの?」
──アスラは鵠が強くなることを妨害したい訳ではない。
戦える様になるのを阻止したい、ともまた違うだろう。
今朝の会話を総合して鑑みるに、やはりアスラは……。
「アスラ、草薙剣に嫉妬してるの?」
ぶすっとした面持ちは、こんな大柄な男に用いるには相応しくない表現かもしれないが、それでも可愛らしく見えて仕方がない。
本人は大真面目なのだろうが、しかし、鵠は込み上げてくる微笑ましさをその相貌に浮かび上がらせずにはいられなかった。
「……なんで笑ってるのさ」
「いや、ごめん、アスラが可愛くて」
「可愛い?俺が?」
「ごめんって。でもさ、九条さんだって刀を持って戦ってたじゃない」
「あいつは俺の所有者だった時はそんな余裕なかったよ。鵠ほどの魔力を持ってなかったんだろうね」
「そうなの?」
ムーン・チャイルドの使役にどれ程の魔力が必要なのか、明確な数値は分からないものの、あれ程までに戦える九条がアスラの使役と自身の戦闘を両立させられないという事はそれ相応に膨大な魔力量を必要とするのだろう。
その点についてはよるや明貴にでも聞かなければ分からない話だが、兎にも角にも最優先事項はアスラの理解を得ることだ。
人間と人造人間。
本当の意味での相互理解は不可能かもしれないが、分かり合おうと努めることが重要だと、そう鵠は信じているから。
「私が戦える様になりたいのは、アスラに全力で戦って欲しいからって理由もあるんだよ?」
「……」
「明貴もよるも、自分の身は自分で守れるでしょう?それくらいにならないとムーン・チャイルドの……アスラの所有者は務まらないって思ってるから」
「……」
「アスラはリリンでも倒せない魔獣を倒すための兵器でしょ?なら私は私で出来ることを出来るようにならなくちゃ」
「……鵠は」
「?」
「俺を捨てたりしない?」
その時、アスラの緑玉の目には不満や不平とは別の、〝不安〟と言う感情が灯るのを鵠は見逃さなかった。
「ずっと俺のマスターでいてくれる?」
「アスラの方こそ、私のこと見限らないでね?今までリリンやリリンの世界のことなんて何も知らなかった半端者だけどさ」
きっと鵠に指輪が託されるまで、アスラにも色々あったのだろう。
そこをあえて深掘りする理由もないと、コーヒーを飲む鵠を見つめるアスラの面持ちにはもう嫉妬や不安と云った感情は何処にもない。
少しだけ気恥ずかしそうに、けれど安堵と幸福に頬を緩ませる美貌は、やはり可愛らしく見えて仕方がなかった。
「アスラ、散歩でも行こうか?」
「散歩?」
「外に出られなかったんでしょ?まだ少し時間あるから、その辺見て回ろうよ」
コーヒーを飲み干し、そうして外に出て練り歩き始めた鵠とアスラ。
様々な店を見かけても立ち寄ることはなく、あくまで外の世界をアスラに見せるための、なんて事はないただの散策。
人ならざる美貌を持つアスラと、平凡な見目の鵠という奇妙な組み合わせは何処へ行っても好奇の視線を浴びたが、気に留めることもない二人は他愛もなく語り合うばかり。
──行き交う人々、滞りない街の営み。
これらを守っていかなければならないという決意や覚悟は、人知れず鵠の中に強く秘められていった。
* * *
ICIOLには調査隊や実戦を伴う任務に当たる者が使用する訓練施設がある。
岩山、森林、広野、市街地……。
凡ゆる場所での実戦を想定して行われる訓練場は魔術によって様々な場所に変化させることが可能とのことだが、今回は始めての戦闘訓練と言うことで、シミュレーションも何もない空間で行われることになった。
膨大な数の明かりだけが灯る、灰色で無機質な空間には足音一つでさえ遠く反響していく。
そんな中で対峙するよると鵠の間には、今まで感じたこともない緊張感が走っていた。
「……丸腰で良いの?」
「僕に銃を抜かせてごらんよ」
挑発する様な物言いにむっとしながらも、実力差は嫌と言う程に思い知っているからこそ反論の余地もない。
──親指を嚙み千切り、僅かに流れ落ちる鮮血は光の粒子となって剣を模る。
鵠の手の中に現れた草薙剣を構え、躊躇うことなくよるへと走り出した鵠はその頭を狙って剣を振う……。
が、あっさりと真上へと飛びかわしたよるは鵠の背後へと着地し、不敵な面持ちで肩を竦めるのだった。
「無駄に力が入ってる──と言っても魔術で肉体を強化している訳じゃない。そんなんじゃね、一生かかっても僕に傷一つ傷つけられないよ、鵠」
「強化って言われたって、どうすれば……」
「君は一度やってるよ。じゃなきゃ土蜘蛛の首は切り落とせていなかった」
「……?」
「魔力は血液を通して全身に流れている。血の流れから魔力の流れを意識して、もう一度かかってきてごらん」
血の流れ──即ち魔力の流れ。
あの時は無我夢中だったが、無意識に魔術を行使していたということなのだろうか?
その瞬間を思い出して……全身の血流を意識して……。
呼吸を整えた鵠は今一度、剣を構えよるへと向け走り出した。
「──!」
やはりかわされた。
けれど、先程よりも俊敏に動けたことは鵠自身にも自覚があった。
「やっぱり飲み込みが早いじゃないか。もう一度」
「っうん!」
剣を振るってはかわされて、また叩き落としてはかわされて。
その繰り返しだが、鵠はよるの教えを全身に、骨の髄にまで叩き込もうと、必死に、懸命に打ち込み続ける。
肺が悲鳴を上げようが、腕が千切れそうになろうが関係ない。
〝強くなる〟と決意した鵠の目に迷いは無く、一心不乱によると戦い続けた。
──そんな鵠の姿を、上階の窓辺から桔梗色の瞳で傷ましそうに見つめる明貴の存在さえ、知る由もなく。




