第三話/02
「……殺した?」
「否……相打ちになったと言うべきだろうか」
「……?」
「リリスは我々リリンが文明を築き上げて行く頃には危険極まりない存在となっていた。見境無く様々な怪物を生み出すリリスの子供達たる魔獣は我々の祖先とその文明に牙を向いた──リリンを魔獣が喰らい力を得て、その魔獣をより上位の魔獣が喰らう……我々の祖先は、いや、我々は常に魔獣共の獲物に過ぎない。故にこそ我々の祖先は〝その根幹〟を絶つことにしたのだ」
「けれど、その戦いの代償にリリンの文明は完全に滅んだ……地球上の八十パーセント以上のリリンは、その戦いで死滅してしまったと伝えられているよ」
「しかしこの星と一体となってしまっているリリスを殺すことは地球の死と同義……リリスを完全に殺すことは不可能だった」
「どういうことですか?」
「地秘上に溢れ出しているマナ──即ちリリスのエネルギーは我々や魔獣のみならず、この星そのものを生かしている。リリスが今も息衝いているからこそ地球は活動し、自然は滞り無く巡っているのだ」
「今も生きているって、何処で?そんな凄い生き物が人間に……ノアに見つからないものなんですか?」
話を聞いている限りは途方も無く巨大な怪物を想像していた鵠の疑問は至極真っ当なものだろう。
トントン、と、自身の机を指で叩いた創石の仕草が意味することとは──
「リリスの〝身体〟は南極大陸の地底に封印されている」
「な、南極?」
「リリン最後の文明があった場所で、今はICOLの本部がある場所だよ。僕らの祖先は自らの国と引き換えにリリスを封じ込め、二度と目覚める事のないよう心臓を奪って、遠く離れた未開の島に封印したんだ」
「この島に隠れ潜んだリリン達は永い歴史の中でリリスの心臓を守り通してきたが、魔獣はより強き力に引き寄せられるもんでな」
「……それって、まさか……」
「この国の首都──此処ICOL日本支部こそがリリスの心臓の封印場所だ」
「──」
「もうお分かりですね宮簀媛──否、宮簀鵠くん。君たちの本当の使命は、魔獣を討伐すると同時にリリスの心臓を守り抜くことだ」
危険な戦いに脚を踏み入れてしまったと、そう自覚はしていた。
けれど唐突に広がってしまった話のスケールに、理解しようとしても追い付くことができない現実に、鵠は眉を顰めざるを得ない。
自分たちの起原が宇宙より現れた超生命体で、友人たちとは異なる種族の生物で。
失われた遠い先祖の文明やら、この国に眠るリリスの心臓やら……。
SF映画のあらすじとしか思えない話の全てが現実で、その当事者になった──否、元からその世界の一部だったのだと受け入れようと、鵠はその思考回路の中で必死に藻掻いた。
「──今日は皆本当に良くやってくれた。大蜘蛛の結界内で死者が出なかったのは奇跡とも呼べるだろう」
「あ……あの、甘露寺さんは大丈夫なんですか?」
「重症だが命に別状は無い。アンドレーエ医師の見立てでは一ヵ月もすれば任務に戻れるだろうと」
「そうですか……良かった」
「土御門くんも、〝無理な作戦〟を押し付けてしまってすまなかった」
「次からは〝陰陽局〟にも声を掛けてください。俺一人じゃ流石に頭が潰れるかと思いましたよ」
(……?)
「無論善処しよう──では私は会議があるため失礼するよ。天恵、後のことは任せた」
「はい」
会議と言うが──もう二十二時を回ろうかという時間にも関わらず、早急に解決しなければならない事案があると言うのか。
よるからその多忙さを断片的に伺っていた鵠だが、確かにこの様な未曾有の危機に瀕しては誰も彼も勤務時間など気にしてはいられないのだろう。
「みんなご自宅までお送りします。車を持って来るから、少し待っていてくださいね」
「天恵さん、車の運転荒いって言われたことあります?」
「へっ?いや、言われたことないけどなぁ……」
……疲れているから余計に乗り物酔いを気にしているのだろうか、大真面目な顔の明貴に質問されて素っ頓狂に首を傾げてしまう天恵。
そんな二人のやり取りに苦笑を浮かべながら、鵠はふと思い浮かんだ疑問をよるへと投げかけるのだった。
「ねぇ、魔獣の魔力を回収するって言ってたけど、回収してどうするの?」
「封印されているリリスの心臓へ還すんだ。ハイリスク・ローリターンと批判もされているけれど、心臓の延命に最も効果的な策はこれくらいしかなくってね」
「もし、リリスの心臓が完全に止まってしまったら、どうなるの?」
「……先ず初めに死に絶えるのはリリンと魔獣だ。次に地球が緩やかに死滅して行くと考えられている」
「……」
この戦いが自分たちを、延いては星を護ることに繋がるなど考えもしなかった鵠は、苦悶の相貌でイデアスの剣を見下ろす。
先程まであんなにも激しく燃え上がっていたのが嘘の様に、今は沈黙を湛えるその剣を通してイデアスやアスラの戦いぶりを思い浮かべた。
リリンには、人間にはあの領域に到達できない。
到達できないからこそ、防衛手段として生み出されたのがムーン・チャイルドなのだから。
──だが、しかし。
そんな思いが燻り続けた鵠は、意を決し、その美貌を真っ直ぐに見据えた。
「イデアス、お願いがあるの」
声を掛けられるとさえ思っていなかったのだろう、その兵器は茶器を持ったまま紅玉色の瞳を丸くさせた。
「私を鍛えて欲しい」
──よるも、明貴も、アスラも、当の本人でさえも、鵠が何を言い始めたのか分からないまま沈黙が走る。
けれどそれも一瞬のことで、ティーカップをソーサーに戻したイデアスの、思いの他に淡々とした声が局長室に響き渡った。
「断る」
「……」
「主人以外の面倒を見る程に俺も暇でもなければ酔狂でもない。第一お前を鍛える事で俺に何のメリットがあると言うのだ、宮簀鵠」
「イデアス……」
冷徹にも聞こえる物言いに面持ちを顰めたよるだが、その言い分が尤もであることは他の誰でもない鵠自身が理解していた。
「メリット──かどうかは分からないけれど、戦力にはなると約束する」
「ほう?」
「やめておけ鵠、魔術どころか戦闘訓練なんて碌なことにならねーぞ」
「もしも〝あの時〟戦えていたら、明貴は私を守って怪我をしなかったかもしれない」
「……」
「さっきも、私がよるみたいに戦えていたのなら、甘露寺さんだって死にかけずに済んだかもしれない」
今も蘇る悪夢の様な情景も、激痛に苛まれる明貴の相貌も、一歩間違えれば命を落としていた甘露寺の姿も、二度と忘れることなど出来ないだろう。
「鵠、土御門くんの怪我も甘露寺さんのことも君が負い目を感じることは何一つとして無い。むしろさっきの君は良くやったよ」
「違うのよる……これから先、手を拱いているだけの私でいたくないの」
戦わなければならないのなら、戦える自分でありたい。
〝絶対に死ねない理由〟があるからこそ、生き残れる自分になりたい。
よるや明貴を守りたいなどと烏滸がましい願いも懐かなければ、戦う理由を彼らに求めることもしない。
ただ其処に存在するのは純粋なる希望。
「強くなりたい……自分の命は、自分で守りたいから」
鵠が望むのは、ただそれだけだった。
「……イデアス」
そんな鵠の切なる思いを受け取ったよるは自身の武器を見上げ、またイデアスも思う所があったのだろう肩を竦めて小さく息を付くのだった。
「ハァ……分かった。よるに免じてお前を鍛えてやろう」
「ありがとう……!」
「ただし、一つ条件がある」
「?」
イデアスの提示する条件とは何なのか、固唾を飲む様に聞き入る鵠当人だけが知る由もなかったのだ。
──アスラが己が主人を、鵠を、隠そうともしない不満でこれでもかと相貌を歪めて見下ろしていたことなど……。
* * *
欲得の街の片隅に蠢く小さな影がある。
影はゴミに群がろうとする一匹のネズミを捕え、藻掻き暴れる身体へと喰らい付く。
喉元ではなく心の臓へ、生きたまま喰らわれるネズミの絶叫は、けれど都会の喧騒へと掻き消え誰の耳に届くこともない。
たかが小さな獣の心臓では足りない、腹など膨れる筈はないと、まさしく蜘蛛の子を散らす様に逃げ行く他のネズミを追わんと影は、土蜘蛛の子供は疾走する。
だが──突如として降り注いだ影に、足に踏み潰された仔蜘蛛は、悲鳴を上げる間もなく無惨に圧死させられてしまうのだった。
「やっぱり図体ばかりデカくても駄目かぁ」
残念、無念と、ため息を付きながら、地面に靴を擦り付け血を拭う男の──薔薇の刻印が刻まれた──腕には、巨大な百足が巻き付いていた。
「さてと、次はどうしてやろうかな」
先程までの落胆ぶりは何処へやら、街へと繰り出して行く男の足並みは何処か浮かれている。
その脳裏には、ムーン・チャイルドの所有者たちを〝どの蟲〟の餌食にしてやろうか──そんな妄想ばかりが駆け巡っていた。