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魔獣戦記  作者: Meg
1/10

prologue/01

よろしくお願いします。


 ──此処は、何処なんだろう。

 酷く胡乱な、輪郭のはっきりとしない世界。

 だからこそ、すぐに此処が現実ではないのだと分からせてくれる。


 夢だ。

 これは夢なんだ。

 いつもの悪夢だ。


 何も心配することはない。この光景は朝日が昇ればすぐに消えて、夢を見たことさえ忘れてしまえる。

 そう、忘れてしまえるんだ。


 歯を突き立てる度に心地よささえ覚える柔らかさも。

 舌の上でとろけていく様な味も。

 喉を伝って全身を満たしていく様な多幸感も。


 掌の上で、ついさっきまで脈打っていた〝それ〟に、何度も何度もかぶりつく。

 乾ききった体が満たされていく幸福に口元を歪める私は、横たわる〝彼〟の顔など一瞥する気さえも起きなかった。


 夢だ。

 これは、夢なんだ。


* * *


 自分自身を振り返った時、〝平凡な女の子〟と言い表し難いことを『宮簀 鵠(みやず くぐい)』は理解していた。

 母は産後の肥立ちの悪さのせいで亡くなり、父は自分が一歳になるかならないかと言う頃に事故で亡くなったと聞いている。

 他に親戚もいなければ兄姉もいない、天蓋孤独の身の上。

 それでも今日までそれなりに幸せに生きてきたと、鵠は己の半生を常々そう振り返っていた。


「おはよう護子さん」

「おはよう──また夢見が悪かったの?」

「え、そんなに顔色悪い?」

「青白いわよ、白湯飲みなさい」


 そんな鵠を引き取り育てたのは、鵠の父とは古い知り合いに当たる『古志 護子(こし さねこ)』と云う女性だった。

 血の繋がりなど一滴たりともありはしないのに、実母の様に護子が愛情を注いでくれたからこそ、今日までの幸福があると鵠は弁えている。

 生活に苦労をした事も無いし、特筆して不自由を覚えたこともなく、大きな不満や不平と言った蟠りを抱え込んでる訳でもない。

 両親がいないことを除いてしまえば、恵まれた日々を送って来られたとも自覚していた。


「──そして今日、最も運勢の悪い人は……ごめんなさい!うお座のあなた!」

「うわあ……明貴、今日運悪いんだ」

「想定外のトラブルで波乱の一日になりそうです。運を回復させてくれるラッキーメニューは〝ドーナツ〟!」


 言いつけ通りに白湯を飲む鵠の朝の日課は、温かい朝食を採りながらニュース番組の占いに眼を通すこと。

 フレンチトーストと小さなサラダボウル、焼いたハッシュドポテトと和風コンソメスープ、そしてグレープフルーツジュース。

 好物が多く並んだ朝食に幸福感を覚えながら、空っぽの胃を見たした鵠は学生服のブレザーを羽織るのだった。


「ご馳走様でした。行ってくるね」

「待って鵠、今日から暫く送るわ」

「なんで?」


 リビングの姿見で身形を確認する鵠を引き留めたのは、護子の鶴の一声。


「ニュース聞いてなかったの?池袋で殺人事件があったって」

「あ~、そういえばやってた……かも?」

「もう、この子ったら……」


 護子に言われなければ、ニュースキャスターの物々しい声色で読み上げられていた事件など記憶の彼方に消え去っていただろう。

 ──今日未明、池袋駅の西口から徒歩十分も掛からない様な街の中心で、無惨な男性の遺体が発見された。

 遺体の特徴として挙げられるのは、〝胸部を切り裂かれ心臓が無くなっていたこと〟で、似た様な事件は此処一ヵ月で数回も起こっているのだ。

 前回は一週間前に原宿で、その前は二週間に小竹向原で、その前は一ヵ月前に要町で……。

 被害者の性別や年齢、事件現場に一過性は無いが、それら全てには〝心臓を奪われている〟という不気味な共通点がある。

 警察は同一犯の仕業として捜査本部を立てたそうだが、犯人の目的も目星も、手がかりさえも掴めないまま、とうとう第四の犠牲者を出してしまったようだ。


「学校から池袋は近いでしょう?だから暫く送り迎えするし、一人で出かけるのも駄目よ」

「え~!?今日みんなと遊びに行くって約束してるのに!」

「みんなって?」

「明貴と伊織ちゃんと──あとよるも行くって」

「男の子たちがいるなら良いわ。でも帰りは迎えに行くから絶対に連絡するのよ」

「はーい……」


 そう釘を刺す護子の〝過保護〟は今に始まったことではない。

 やれ不審者が出ただの、通り魔事件があっただの、都内で何か事件が起これば鵠の行動を暫く制限するのだ。

 もう高校生になったのだから少しは信頼してくれても良いではないかと、何度も訴えはしたが護子の方針が変わることは頑として無い。

 まさか大学に上がってもこの過保護ぶりは発揮されるのだろうか──などと苦々しい考えを浮かべながら、鵠は広々とした玄関のサイドボードに飾られた写真の前で立ち止まった。


「行ってきます。パパ、ママ」


 直接相まみえた事はなくとも、その笑顔に愛しさを懐かずにはいられない男と女の写真への挨拶を、鵠は物心付いた時より欠かしたことはなかった。

 靴を履き替え、凝った意匠の重厚な扉を開け放てば──降り注いぐ日光は容赦なく鵠を苛んだ。


「うわっ、なにこの暑さ!?」

「今年も暑くなるらしいわ。熱中症にも気を付けなきゃ駄目よ」


 まだ梅雨にさえ入っていないと言うのに、こんな快晴の日の気温と来たら真夏とそう大差はない。

 日光を遮る涼しい車内に入って息を付く鵠は、昔から太陽の陽射しがどうしても苦手だった。

 今日は体育の授業が無いことが幸いか、憂鬱な気持ちが盛りを迎えそうな鵠はヘッドレストに取り付けられた液晶に先程のニュースを流す。

 連日聴き飽きる程に報道される汚職事件や、昨夜のプロ野球のダイジェスト、芸能ニュースや話題の店……。

 どれも鵠の関心を引くものではなく、小さなあくびを漏らしながら外の景色に視線を移した時だった。


「……?」


 交差点の信号で停車した時、歩道に佇む一つの影と視線がかち合う。

 まるで囚われた様にその瞳を逸らせないのは、忙しない雑踏の中で悠然と佇む長身が際立っているせいだろうか。

 ──それとも日の光を反射して輝く黄金の髪のせいか、はたまた紅玉の様な紅い瞳のせいか。


「え……?」


 この世のものとは思えない───背筋が凍ってしまいそうな程な美貌を携えた男。

 鵠が今まで出逢ったどんな人間よりも美しいその男は、確かに、鵠の顔を見て不敵に微笑んだのだ。


「……」

「──ぐい?鵠?」

「はいっ?」

「ボーっとして、どうしたの?」

「いや、あそこの……あれ?」


 恐らくは外国人の、物凄いイケメンと目が合った。

 そう窓の向こうを指差そうとした鵠だったが、あの金髪の男は忽然と姿を消してしまっていたのだ。

 ──まさか、この暑さで見た蜃気楼だったのだろうか?

 そんな馬鹿なと思いつつ、あまりにも現実離れした風貌は幻覚だったと言われても納得せざるを得ない。


「あそこの?」

「……ううん、なんでもない」


 きっとただの見間違えだったんだ、目が合った様な気がしたのもただの気のせいなんだ。

 そう自分を納得させた鵠は、再び流れ始めた景色を眺めながらニュースを聞き流す。

 そうしていれば中高校舎の正門へあっという間に到着し、登校中の生徒や送迎の車で賑わういつもの光景に溶け込む頃には金髪の男のことなど忘れ去っていた。

 国花の桜を校章とし、幼稚舎から大学までの国立一貫校である‘東堂院学園’は元々華族のために成立した歴史を持つため、現在でも令息や令嬢、資産家、旧家の子息の生徒が多い。

 何故そんな名門に両親のいない自分が幼稚舎から通えていたのだと護子に問うた時、帰ってきた答えは「鵠の父母が此処の卒業生だったから」、ただそれだけだった。

 

「じゃあ、行ってらっしゃい」

「ありがとう護子さん。行ってきます──」

「おはよう、鵠」


 扉を閉じた車が踵を返すのを見送った時、丁度良く掛けられた挨拶に鵠は明るい笑顔を浮かべる。


「おはよう、よる」


 宵闇の髪の下では殊更際立つ雪花石膏の様な肌に、長い睫と神秘的な光に彩られた黒曜石の瞳。

 そして、まるで少女の様に線の細い身体。

 男子用の制服を着ていなければ、見た目に反して低いその声を聞かなければ、『月舘(つきだて) よる』の性別が男性であると見極めるのは困難だろう。

 よるはこの学校では珍しい高等部からの編入生で、その女性的な美しさと学年首位の成績から常に注目を浴びている。

 鵠とは偶々席が隣だった事から良く会話をする様になり、高等部への進学から一ヵ月を得た今では友人と呼べる間柄になったのだ。


「よるも送って貰ったの?珍しいね」

「池袋のニュース見ただろ?光さんが気を遣ってくれたんだ」

「そっか……よるのお父さん、これから大変だろうね」

「暫くは帰って来ないかもな。だから光さんもうちに泊まり込みだ」


 よるの父は警察官僚であるが故に多忙を極め、何日も家に帰って来ないのはザラだそうだ。

 幼い頃に親を亡くし、世話役に育てられたと云う似通った家庭環境───これが、鵠とよるを強く結び付けた共通点だろう。

 予鈴までまだまだ時間はあるとは言え、既に多くの生徒が登校している廊下はとても賑やかだ。

 時折すれ違うクラスメイトや、幼稚舎からの顔見知りと朝の挨拶を交わしながら教室へと辿り着けば、珍しく早い時間に登校している顔ぶれが揃っていた。


「おはよう明貴、伊織ちゃん」

「おはよう二人とも」

「稲泉さんはともかく、土御門くんが早いのは珍しいね」

「人を遅刻魔みたいに言うなよ」

「実際そうじゃないか」

「お?なんだやんのか?」

「朝から喧嘩しないでよ」


 朗らかに笑う少女と、よるを睨み付ける少年。

 その二人は鵠にとって、幼稚舎からの付き合い──所謂幼馴染と呼び合える関係だ。

 長く伸ばされた黒髪が美しい『稲泉 伊織(いないずみ いおり)』は200年続く料亭の娘で、この学校にも彼女の実家を贔屓にしている保護者は大勢いると聞く。

 だが生まれの格式で言うならば──長い脚を組み、気怠そうに欠伸をする少年と肩を並べられる者は早々いないだろう。

 『土御門 明貴(つちみかど あきたか)』。

 その仰々しい名前が現す通り、鎌倉時代以降に公家として成立した〝安倍氏〟にルーツを持つ彼の家柄は、明治以降には華族に列した正真正銘本物の貴族なのである。

 だが、どちらかと言えば浮ついた──今時風の容姿に、とびきり派手な顔立ちの美少年。

 そんな彼が生粋の貴族であり、今日でも名を残す高名な陰陽師〝安部 晴明〟直系の子孫であるなど、見た目の印象からは結び付け難いだろう。


「土御門くん、購買付き合ってくれないか?朝食べてないんだ」

「……仕方ねーな、焼きそばパン奢れよ」


 度々一触即発の空気を醸し出すと思わせながら、けれど憎まれ口は仲が良い証拠。

 肩を並べ教室を出て行った二人を見送る女子たちの視線は何処となく色付いたもので、その中には伊織も紛れ込んでおり……。


「……いい」

「……伊織ちゃんって美人な男の子好きだよね、昔から」


 昔から惚れっぽい所が否めない幼馴染の好みを鑑みれば、女性的な美しさを持ち合わせたよるにお熱になるのも無理はないだろう。


「顔だけじゃないわよ!よるくんって頭も良いしクールでミステリアスな所とか良いじゃない!」

「クールでミステリアス、ねぇ」


 確かに、同年代の少年と比べれば遥かに知的で平静な佇まいを崩さないよるは〝クール〟と言っても良いだろう。

 感情の起伏が少なく、何を考えているのか分からない美貌も〝ミステリアス〟と捉えられても仕方がない。

 だが鵠は知っている。

 よるが無言で明後日の方向を向いている時は、大抵が下らない事かどうでも良いことを考えている時だと。


 つい昨日など、真剣な顔をして何かを考えこんでいたものだから、

「どうしたの?」

 と声を掛けてみれば、返って来たのは

「様々な種類のカブトムシでバトルロワイヤルをしたら、最終的にどのカブトムシが生き残ると思う?」

 などと意味の分からない問いで、

「知らないよ……」としか返答できなかった鵠は、滅多に見せない様な呆れた相貌を浮かべていた。

 詰まるところ、鵠から見た月舘よると言う少年は〝クールでミステリアス〟と言うよりは〝エキセントリックな頓珍漢〟なのだ。


「逆に鵠はよるくん見て何とも思わないの?」

「確かに綺麗な顔してるとは思うけど……」

「でも月館くん、左手の薬指に指輪してなかった?」

「!?」


 不意に話に入り込んだクラスメイト『久遠寺 讃良(くおんじ さら)』の言葉にこれでもかと眼を見開く伊織と、首を傾げる鵠の反応は何とも対照的だ。


「赤い石の付いたシルバーのリング付けてたけど……鵠ちゃんも伊織ちゃんも気が付かなかった?」

「そう言われてみればしていたような?」


 よるの身形など意識していなかった鵠の記憶の片隅で、鞄を掛ける左肩に添えられた左手には確かに指輪が光っていな様な気がしなくもなかった。


「う、嘘でしょ……!?赤なんてよるくんのイメージじゃないし絶対に彼女のチョイスじゃん!?」

「伊織ちゃん、高等部に上がって初めての失恋?」

「いや、先月剣道部の亜鳴先輩に彼女が出来たから二回目だね」

「あんた達人の心の傷抉ってんじゃないわよ!」


 机に突っ伏す伊織の今回の恋は、果たしてどれ程に本気のものだったのだろうか。

 すぐに人を好きになっては叶わない想いに苦しんで、何度も何度も繰り返す姿を滑稽と嘲笑う者もいるが、鵠はそんな伊織を羨んでいる。

 とても──とても素敵なことではないか、と。


(いいなぁ……好きな人がいるって)


 鵠自身、特定の誰かに想いを傾けた経験が未だ無い。

 多くの友人には恵まれたが、そんな中で特定の人物に胸をときめかせた事が無いのだ。

 友人たちの中から好意を向けられたことも、別段親しくもない異性から関心を向けられたこともあった。

 だが誰一人として〝友達として大切にしたい〟の域を出たことはなく、特別な興味も好意も懐いたことがない。

 故に伊織たちの様に──異性へとアンテナを張り、特別なパートナーを望んでいる様が、眩しく、そして羨ましく思えてしまうのだ。


「望んでいるのなら、いつか鵠にもきっと好きな人ができるわよ」


 今の鵠にできることと言えば、唯一この悩みを打ち明けたことがある護子の言葉を信じることしかなかった。

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