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第伍話『仁神白璧』

 星鸞は紫水と話し合った後、素早く行動に移り、まずは馬を調達に出掛けた。

 迷いなく走り去ったところを見るに、おそらく何処かに借りる(つて)でもあるのだろう。

 そのため、後に続けとばかりに、紫水も再び山を目指そうとするが、共に女将を送ってきた農家の男に一旦止められる。


「女将を介抱しながら、何となくあんたらの話を聞いていたんだが、あんたそのちっこい身体で山道を……しかも奥に行こうってのかい?」

「はい、一刻を争いますから、迷っている暇は――」

「じゃあ、俺の牛を使いな」


 事も無げにそう言い放つので、紫水はおたおたとしてしまう。


「貴方の牛ですし、私などでは……」

「うんや、利口な牛だ、問題ねぇ。山道もよっぽど険しくなる手前までなら登れっから! それに、俺はこれから急いで産婆呼んで来なきゃなんね。とにかく、子供たちは任せるからな!」

「えっ?! それって――」


 聞き及ぶ前に、農家の男はさっさと蕎麦屋から出て行ってしまった。

 その代わりに、女将の苦しそうな呻き声が、部屋の奥から微かに聞こえてくる。


「女将さん?!」


 思わず寝所に引き返そうとする紫水に、女将は出来る限りの声を張り上げた。


「行っておくれ! 今ならまだ間に合うかもしれない。牛も本気を出しゃ走りは出来る。急いどくれ! 佑信はね、杏花と良く遊んでくれる良い子なんだっ!」


 かなり切羽詰まった様子に、つい後ろ髪を引かれるが、紫水は「ならばきっと一緒に居ますね!」と、希望を見出し、牛車へ駆けた。


「どうぞお願いしますね?」


 牛の頭を撫でてやってから手綱を握る。

 すると頭上からバサバサと鳥の羽音が響いた。


『燦浄様。只今母国より帰還致しましたが、何やら町がざわついているようですね?』


 紫水は思わず普通に話しかけそうになり、はっとして一度口を覆った。


『尹たち、ああ、大変丁度良いところに。道すがら現状をお伝えしますので、まずはこの牛さんに、山道まで向かうよう説得していただけませんか? 出来れば早足で……』

『承知しました』


 白鷺がちょこんと牛の肩へ乗ると、早速説得に応じるように、牛が一声鳴き、車を引きだす。


『燦浄様、牛はあいわかったと申しておりまして』

『それはありがたい。助かります』

『しかし注意点が』


 牛は段々と歩幅を広げ、速度を増す。


「おっ、おおっと、と?!」


 途端、座っている荷台がガタガタと音を出し、大きく揺れ始めた。


『こんな走り方は荷台がついている状態ではやったことがないので、相当揺れるのは覚悟しておいてくれとのことです。舌を噛まれ召しますな』


 伝えるべきは伝えたとばかりに、尹たちは低空飛行で牛車を追走し、それを合図に牛が本気を出す。


「いぃいっ?!」


 ガッタンガッタンと何の衝撃吸収する工夫もされていない木でできた車輪が、地面を跳ね上げ酷い揺れである。

 紫水は歯を食い縛りながら堪らず小さな悲鳴を上げ、振り落とされないよう、手綱を握るのが精一杯であった。


 かくして、爆走する牛のお陰で八つ時前程には山道へとたどり着く事が出来たが、流石に朝からなにも食べていない身体は空腹を訴える。

 その上、牛車に振り回されたお陰でへとへとだ。おまけにしこたま荷台の板に叩かれまくった尻が、じんじんごわごわと痛痒い。


「うぅ……う、牛さんありがとうございます。しかし私の臀部と腰が限界でして……ここからは自力で歩きますね? どうか良い子でお待ちくださいな」


 牛はその辺りの木に手綱を結びつけられながら、一声「ブゥモ」と、返事をしてくれる。


『して、燦浄様。お子たちの居場所に目処は立っているので?』


 牛車の揺れで通常はまったく喋られなかっただろうが、そこは念で意志疎通が出来る利点である。

 揺れる車上で動揺しながらであるので、多少不明瞭になりがちな念も、そこは長年側に居てくれた尹たちだからこそ、汲み取って意味を咀嚼してくれたようであった。お陰で円滑に現状の共有が出来つつ歩を進められる。


『それは正直さっぱりです。ただ、あれだけ町内を探し回った両親たち、それに親戚やらご友人などの伝もあるでしょうから、それだけやっても出てこないなら、町には居ないのではないかと。さらに、まだ犯人から逃げてくれているような状況なら、山はうってつけの隠れ家です』


 紫水は続けて水源についても触れる。


『貯水池など生活の糧になるようなところには、神に祈る祠や社が小さくとも大概あるものです。純粋な子供たちなら、そういったところに神頼みにやってくるかも知れませんし、飲み水の異変の原因もついでに調べられるかも知れません』


 本来は話の最後の部分さえ解明できたら良かったのだろうが、まさかこう次々に事件が発生するとは思わなかったと、紫水はついついぼやいてしまう。


『一先ず燦浄様が貯水池を目指すのであれば、私は手分けして山の他の場所を探して来ます』

『いやはや、本当に話が早くて助かります。何かあったら直ぐに教えてくださいね』

『御意』


 白鷺はさっと飛び立った。一先ず上空から何らかの目印がないか探ってみる気なのだろう。


「さあて、頑張りますよ!」


 気合いを入れて、空腹と疲れを一気に吹き飛ばしながら、袖を捲った。

 杏花と佑信の事を思えば、彼らの方がお腹を空かせ、疲れ果てて泣いているかもしれない。

 それどころか、恐怖に身動きが取れず、うち震えているかもしれないというのに、大人の己が奮い起たず何とする。

 紫水は自身のけして頼り甲斐があるとは言えない小柄な足を前へ前へとひたすら動かした。


「おや?」


 暫く歩いた先には、二つに別れた山道。

 道の叉の真ん中には、立て札が立てられていた。


「ここより先は関係者以外の立ち入りを禁ず。水守役人一同……なるほど、さてはここから先は水守の管轄区域。つまり、水源がありそうですね」


 しかし、どちらの道かは分からない。

 そこで、紫水は目を閉じ、耳だけに意識を集中させる。

 小動物や風が葉を揺らす音、木々の枝が当たり擦れる音、鳥の囀ずり……様々な自然の営みのざわめきに混ざり、サラサラと水の流れる気配を感じた。


「ふむ、おそらく左でしょう。あちらからこちらへ流れている気が致します」


 紫水は本来立ち入り禁止の空間に「緊急時なので失礼しますよ」と、誰にともなく呟き左の道を進んで行く。

 すると、程なくして眼下には青々とした清涼な沢が出現する。

 よくよく流れを見渡せば、更に奥には平均的な成人の背丈よりも、少し高い滝がある。

 周りの木々から溢れる西日の光をきらきらとその水面に反射させ、整然と落水し流れを作り続けていた。


「風光明媚とはこう言った風景の事を言うのでしょうが、今はそういったことを楽しんでいる場合ではないのが実に惜しい。さて、貯水池はこの先でしょうか」


 試しに紫水は沢へ近づき、手の平で水を少し口に含んでみる。


「……間違いなさそうです」


 死者の香りを噛み締め、より一層歩調に力がこもる。

 ごつごつとした自然の石で組んである階段のようなものはあるが、観光用では決してないので、気を付けねば足を捻りそうだ。


「ふぅ、ここですね」


 ようやく貯水池に到達した紫水は、裾を払いつつ辺りを見渡す。

 岩と木々に囲まれ、他よりなおのこと薄暗いそこは、やはり何かしらの神聖みを感じる。

 人々は山の恵みに感謝し、この雰囲気にある種の荘厳さを肌で感じたに違いない。

 小さな祠が、岩肌を削った穴に設けられているのを発見した紫水は、そんな人たちに想いを馳せながら手を合わせた。


「流石にこの小ささではいくら子供とはいえ隠れ家には選ばないでしょうね。はてさて、困りました」


 徐に目の前の満々と水を湛えている貯水池の水面を見下ろす。

 ここから汚れのない湧き水がこんこんと溢れているはずなのだが、どうしてそんなところから死者の気配がするのか。

 底の方は暗く深いようで、見通すのは至難の技だ。

 どうにか手がかりが少しでも無いものかと、懸命に身を屈め、前のめりに覗き見た――その時。


『燦浄様っ!』


 急に強い念を尹たちから送られ、少し驚いてしまった瞬間である。


「わっ! あ……っ」


 苔むす岩に足を滑らせ、なんと紫水は貯水池に飛び込んでしまう。

 その派手な水飛沫の音を聞き、尹たちは慌てて貯水池付近へ着地するが、水面に見えるのはゴボゴボと紫水から発する泡のみである。


『ああ、なんたることかっ! 燦浄様! 燦浄様! 念は届いておりますか? 宝具を――どうか仁神白璧をお使いください!』


 紫水にはうっすらであるが、その必死な呼び声が届いた。


 ――なんたる不覚っ! この身体に急激な冷水での刺激はかなり堪える……案の定、腕すら思うように動かないっ!


 しかし、このままでは肺に水が入り沈む一方。硬直仕掛ける身体を無理に捩り、紫水は指に嵌めた白い石に願う。


『我が師、遣天高主人士の名のもとに、どうか一時(いっとき)、この仮初めの器へ力よ戻れ。我が真名は遣天童子 燦浄なり!』


 あまりの息苦しさに目を瞑りかけた。

 だが、視界の端に、僅かばかり黒く揺蕩う細い糸状な何かが、底の岩の間に垣間見えた時、紫水の閉じかけた瞳がかっと開く。

 同時に指輪が光輝き、白い石が紫水の瞳の色と共鳴するように、淡い紫苑色を発しながら、円盤状に変形し回転し出した。


潭破水鏡術(たんはすいきょうじゅつ)、一条式――開!』


 念で仙術を唱えると、神通力を纏った身体の周りすべての水が、ドンと跳ね上がり、貯水池に大きな亀裂が真一文字に生じた。

 すっかり水のなくなった底の部分に佇む人物は、もはや小柄で頼りのない紫水ではない。


『良かった……燦浄様』


 安堵と感嘆の混ざった溜め息を漏らす尹たちに微笑みかけたのは、師である遣天高にも負けずとも劣らない、麗しい美貌を持つ神仙であった。

 手足は白くすらりと伸び、背丈のある肩に掛かり腰下まで流れ落ちる髪は、艶やかに緩く癖がある。

 長めのその前髪から覗く瞳は何処か憂いを帯び、伏せた睫の隙間から見える虹彩は、先程の神秘的な紫苑色である。

 ふと仁神白璧を見てみれば、元の形状には戻っているものの、今は燦浄の瞳と同じ色になっていた。


「これは、なるほど……人に見られてはならないと仰ったわけですね」


 姿型、身に付けている一切が、天上界のものに成り代わっている様子に、燦浄はやれやれと肩を竦めた。


「さて、そんなことより……」


 燦浄は形の良い眉を寄せ、先程の黒い糸のような物の正体を見下ろした。

 そして濡れた地に躊躇なく膝を付き、静かに合掌する。


「貴女の気配だったのですね。さぞ冷たく、虚しく、悲しい想いをしたのでしょう」

 黒い糸は、岩間の隙を縫い揺れていた、女性の長い黒髪であったのだ。

 水底で亡くなったのが不幸にも幸いしたのか、生前の面影はまだ見てとれるほど、肉体の形状は留めていた。

 皺やシミなどはまだ見受けられない、それどころか幼さも少し残る、十代半ばから後半の若い娘である。


「若い命を散らし、必死に存在を訴える貴女の念は、私が受け取りました。丁重に供養するよう努めますので、どうぞ今暫くお待ちくださいね」


 とうに死後硬直している濁った瞳を閉じてやる事は叶わないが、代わりに懐を探って出てきた、かつて己の目を覆っていた布を顔に被せてやった。


「ところで、そこでずっと見ていますが、私の感が正しければ、宿に侵入してきたのは、アナタですよね?」


 燦浄は至って冷静に、切り立つ自身から右側の水面へ、手招きするよう腕を差し入れた。


「ア、ア……ヤッパ仙人サマダッタ。オ願イ、タスケテ……タスケテ……」


 佇む異様な姿に、池の縁から尹たちが忠告する。


『燦浄様、その物の怪は、ずっと背後から貴方様を観察していました!』


 急な念を送ったのはそのためであったのかと、燦浄は理解する。


「大丈夫です、敵意は感じません。だからこそ不思議なのです。アナタはなぜ、遺体をここに留めておいたのでしょう?」


 縦に伸びる水面には、歪んでいるがはっきりと姿が見て取れる。

 ざんばらの頭髪は硬く、背中には鼈や亀に似た甲羅。全身はびっしりと鱗が覆っているのに、両腕は獣のような毛に覆われ、指先には鋭い爪が並んでいた。

 そして足は、指の合間に皮膜が広がっている。


「さあ、"水虎(すいこ)"。答えなさい。アナタが殺したのですか?」


 その問に、水虎と呼ばれた物の怪は、くっと赤い両目を細めるのだった。


 ***


 時は多少遡り、丁度紫水が牛車に振り回されている頃、星鸞は迷いなく役場の馬坊へ来ていた。


「おい、ちょっといいか」


 馬の世話をしていた下男は、いきなり後ろから声をかけられ「はい?」と、少し裏返った音を発したかと思えば、相手の顔を確認してから、さらに仰天した顔付きになってしまう。


「旅の芸人さん?! ええと、こちらに何の御用です?」


 全く予期せぬ来客に、下男の態度が訝しげだ。

 この反応からして、どうやら昨日の大道芸の人集りに、この男は交ざっていたらしかった。


「すまないが、急ぎの用事のため、馬を一頭貸して欲しい」

「役人の誰かから許可をもらったのですか?」


 ここはあくまでも役人の所有物や官営の馬が管理されている場であり、手軽に借りられるような場所ではない。

 かといって、この町に身分不明の旅人においそれと貸し出してくれるような馬屋等もなかなかいないのだ。

 一般人が遠くへ行く際は、駕籠や馬車などを手配することが可能だが、町民であることや旅券の提示などが必要で、根なし草の旅人、ことに流れ者の剣客などには信用がなく断られる場合が多い。


「今日の夜までには必ず返す。貸し出し代も用意がある。信用がないというならこの剣を預かってくれ」

「いえ、そう言う問題ではなくてですね? 官営の馬を借りるには、公式な書類が必要で、私一人が許可すれば良いというものではないのです」

「こっちは子供二人の命が掛かっているかもしれない事態だ! 悠長なことはやってられん。小回りが利く馬一頭、たった一日だ」

「そう言われましても……」


 これだから融通が利かない役場は苦手だと、星鸞はつい舌打つが、彼は何もまったくの無策でここに来たわけではない。

 こう言った場面の時、唯一無二の手段が彼には残されているのだ。

 それも、官営だからこそ効果覿面の手段である。


「はぁ、出来れば使いたくない手ではあったが、まさか旅に出てたった数日で見せることになるとはな」


 その口ぶりから、何やらまた幻術紛いの技を用い、自身を化かしてくるのではないかと思った下男は「ひ、人を呼びますよ!」と怯えきった声で必死に怒鳴った。


「ああ、確かにその方が話は早いな。お前の主人を呼んで来い。もしくは、これを持つ者は何者かと教えを乞え」


 不意に胸の着物の合わせに手を差し入れ、首に掛かった何かを取り出す動作を、下男は思わず固唾を飲み見守ってしまう。


「……えっ? そ、それは!」


 ずいと目の前に提示された、金で出来た札、即ち牌子(パイズ)を、下男は目を白黒とさせながら凝視した。


「二羽の、瑞鳥紋……っ?!」


 牌子に掘られた絵面は、羽ばたく鳳凰と、それと円になるように追従する鸞の姿。

 その見事な家紋はそれだけで持つものの身分を表している。

 しかも、その紋の下には細かく『此を閲覧せし者は勅命と心得よ』と刻まれており、下男は腰を抜かしてしまった。

 しかし、手抜かりなしとばかりに、星鸞は少々意地悪く追い討ちをかける。


「もし此でも信用がないと申すなら、お前たちが大好きな"公文書"も持参しているが?」

「ひっ、ひえぇ! い、今すぐ旦那様に伝えて参りますから、どうか馬はお好きなのをお持ちになってくださいませぇ!」


 その言葉に一つ鼻息を荒くもらし、それでは遠慮なくと、馬の列びを見渡した。

 一番足が早そうな芦毛の馬と目が合い、手綱を手に取った星鸞は、慣れた様子で鞍を乗せる。

 ひらりと馬の背に跨がったその姿は、あまりにも下男の目には神々しかった。


「言っておくが、お前の主にも俺の身分を口外などしてくれるなと念を押しておくのだぞ?」

「はいっ、仰せのままに!」


 星鸞は馬の首を軽く叩き、港へと走り出す。

 その最中、深々と溜め息が漏れ出てしまう。


 ――身分を束の間忘れたくて家出をして来たというのに、結局その身分が一番役に立つのだから、なんとも皮肉なものだ。

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