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第壱話『凱家の三男坊』

 大隔海だいかくかいと人々はこの世界、則ち地上をそう呼んでいた。

 天上聖神大帝君が途方もない量の水を御手みてから放出し続けついには海を作り、そこに神通力でもって陸地を隔てたというのが呼び名の由来であるとされる。

 その陸地だが、大きく分けて五つある。

 現世では其々に国があるとされ、文化も人種も違っていた。

 一つは黑平侔国こくへいぼうこくの地だ。

 国の名前は治める者に伴い幾度と改名されたと伝わるが、国土は建国時から変わらぬ首都を中心に拡大し続け、主要国四つの内では一番広い。

 最初の建国からは長い歴史があり、現在最も文明が進み人口も多いと言われる国である。

 二つ目は翠瓏安国すいろうあんこく

 龍が地中で宝玉を守り眠っているという伝承があり、神秘の国などと噂されている。

 遥か北に位置するため、雪と氷に閉ざされ、他国との交流が乏しい。

 それでも、一部黑平侔国とは頻繁にやり取りをしている様が見受けられるため、主要国に数えられている。

 三つ目は火鳥山国かちょうざんこく

 上記二国より建国が遅く、比較的新しい国家と言えるが、主要国の仲間入りを早々に果たした。

 今尚活火山が多いことから、それにちなんだ鳳凰の伝説が語り継がれている。

 四つ目は便宜上、南東民族諸連合国と呼ばれているが、様々な部族がひしめき合う未開の地である。

 文明人は危険と見なしとても立ち入らないため、このように一纏めに呼び、近づかぬよう努めているようだ。

 よって、主要国家の一員には数えられていない。

 さて、最後の五つ目の地、景麗泉国けいれいせんこくであるが、主要国家として第一に数えられ、この国名を千年刻む長寿国家である。

 基本的に平和そのものを描いた国であるが、それを今日まで実現出来ているのは、磐石な王家の存続と、真面目で働き者な上文化を重んじる国民性、そして自然に囲まれ豊富な水源を有している事からと言われている。

 ただ、そのような国であるからこそ、他国からの進軍に見舞われた経験は長い歴史上けして少なくはなかったが――。



「まったく何ということか、よりによって王の宝剣と誉れ高い将軍の息子として生まれようとは……」


 そう溜め息をついたのは、広い庭園の端にある東屋で、一人物思いに耽る燦浄――改め、姓をがい、名をあざな紫水しすいと言う青年である。

 彼は人として地上に遣わされたわけであるが、どういうわけか生まれた家柄は数々の武勲と功績が国家の歴史に燦然と輝く凱家であった。

 どうにも争い事が鼻から苦手な性格の彼からすれば、あまりにも場違いな場所に産み落とされてしまったと言うわけである。

 有事の際には将軍の息子として、国民の先頭に立ち士気をあげる役割を担う事であろう。

 尤も、現在は戦火の兆し等なく、平々凡々、のんべんたらりと日々を過ごすだけではあるのだが――。


「いやぁしかし、この国は実に良い。過去に豊富な水源を妬まれ他国からの襲撃があったというのも無理からぬ話。まあ、そう言ったいざこざはごめん被りたいものだけれども……ん~、今日も涼風泉りょうふうせんからの空気がなんとも心地良い」


 国が誇る三大泉と呼ばれる一つが凱邸宅の側にあり、昼下りはまったりとこの場所で深呼吸をするのが紫水の日課であった。

 他二つは活湖かつこ宝泉ほうせんという、これまた名水の湧き出る見事な水辺であるそうなのだが、実のところ紫水はまだそれらを見たことがない。

 それどころか、有名なのがこの三つというだけで、他にも景麗泉国には絶景と名高い山河や森などがあるものの、何れも彼は自らの足でそのような場所に赴いたことがないのだ。

 というのも、原因は彼の生い立ちにあった。


小玉シャオユウ、そこにいるのでしょう? 玥麗げつれいが子供たちを連れて遊びに来てくれましたよ。お茶菓子を用意してくれていますから、早く此方へいらっしゃい」


 未だに紫水を小玉などと幼児期の愛称のまま呼びつけるのは、彼の実母であり凱将軍の妻である。

 何の事情も知らず、人として生を与えてくれたこの女性には感謝してもし尽くせぬのだが、この呼び方一つから察するに余りある溺愛ぶりには、のんびり屋の彼としてもほとほと困り果てている。


「母上、字を既に名乗って三年経っている男にまだそれなのですか? いくら可愛い我家の末っ子でも、少々同情を禁じ得ませんな」


 とは言いつつ口許に笑みを浮かべているのは、この家の長男であり跡取りのしんである。

 字を雲景うんけいと言い、長女玥麗の兄でもあるこの人物は、今年で三十路を迎え、国の王を守る近衛隊隊長だ。

 その職業に似つかわしく、男らしい端正な顔つきと、太く逞しい肉体美を誇る。


「兄上、お仕事は?」


 庭から縁側に小走りに戻ってきた末弟に、雲景は快活に笑い声を響かせた。


瑪瑪めめに任せて来た。遅めの昼食がてら、可愛い甥っ子たちを見に寄ったんだ」


 瑪瑪とは次男の事である。母の小玉呼びもそうだが、兄が親族の前で弟をこのように呼ぶのも大概に思うことは、紫水は黙っていることにした。

 かく言う紫水自身も、この長兄には「瑜瑜」と親しみを込めて呼ばれているが、けして悪い気はしない。


「うふふ、翼栄よくえいが可哀想ね。お茶菓子を幾つか包んでおくから、あとで持って行ってあげてね、兄さん。紫水も此方に座って、今日は笹餅を持ってきたのよ」


 自身の弟たちを字で呼ぶ玥麗は、兄弟の中で唯一の女子であり、二人の弟に母と変わらぬ愛情を注いでくれる優しい人だ。

 そんな彼女はやや高齢(平均寿命は一般的に六〇)に差し掛かった母を心配し、毎週一回こうして孫の顔を見せに来るのだが、彼女自身、現在お腹に三人目を抱え身重である。

 比較的近隣の家に嫁がせたとはいえ、結局母は母で娘を心配し、こうして遊びに来るとせっせと元気で忙しない孫たちの面倒を見るなどして世話を焼いているのが実情だ。


「紫水叔父ちゃんも、お仕事は?」

「叔父ちゃんはまだ子供なんだから働けないんだよ。ねっ、そうなんでしょ? だってちっちゃいもん」


 突然玥麗の息子たちが投げ掛けた言葉に、ほのぼのとした空間が一瞬固まる。

 言われた当の本人は、纏まりのつかないふわふわとした巻き毛頭を、軽く掻きながら苦笑った。


「う~ん、確かにもう数年したら、君たちに身長を追い抜かれちゃうかもしれないねぇ」


 姉のところの長子は現在数え年で七つになる。

 字を持つ成人済みの男性が、いつ来ても大体庭でぼんやりとしているのを見ていれば、常日頃から「一体何をしている人なのか」と、疑問を持つのは無理からぬ事であろう。

 その三つ年下の弟の方はというと、紫水の事を成長が止まって子供のままの人間だと思っていたらしい。

 勿論そんなことはなく、大人になっても単に低身長であっただけだ。

「もうやだわぁ、うちの子たちったら。ごめんなさいね、悪気はないのよ? ただ紫水は……顔も若々しく色白だから。ねぇ、兄さん?」


 弟を精一杯気遣った姉の言葉は、兄のぷっと吹き出した音によって無に帰す。


「瑜瑜の顔は幼いというのが正しかろうよ。身長はどうにもならんかもしれんが、少しは鍛えてみたらどうだ? そのひょろひょろも、軍部の寮に来て、朝稽古に付き合ったら少しはマシに――」

「珒っ! 駄目です絶対に!」


 ぴしゃりと声を荒らげた母に、長兄は思わず背筋を伸ばす。


「小玉はそれはそれはか弱く小さく生まれて、幼い時は熱ばかり出して……家には男が上に二人いるんですから、この子くらいずっと家にいたって問題ありません!」


 紫水を初め、兄と姉も、何時もの母の末っ子贔屓が始まってしまったかと、内心耳を覆ってしまいたくなる。


「それに小玉、貴方はほらっ、その小さく穢れなき白い石をぎゅっと強く握って生まれてきたのです」


 言いながら母は指輪に仕立て、紫水に物心がついた頃から持たせている白い石を撫でた。


「きっとこれは上神様から贈られた守り石です。本来貴方は死産であったところを、これによって救われたに違いないのですから、折角下さった命を大事にしなくてはバチが当たりますよ」


 この台詞も、家族内では耳にタコである。


「俺にはどう見ても、母上から出た胆石にしか思えんのだがな」


 そろりと耳打ちしてくる兄に、紫水は些かとは言い難い冷や汗をかく。


 ――兄上、そうは申しますが、こればかりは母上の言うことも当たらずしも遠からずなのです! ……などとは口が裂けても言えないところが辛いところ。ああ、大切な宝具をよりによって病巣の石だなどと畏れ多い。お師匠様、どうかお許し下さい。


 庭の中程にある小さなやしろの祭壇には、三高神仙を象った人形が三体並んでおり、中央には天上聖神大帝君を表す札が貼り付けてある。

 そちらに向かって紫水は思わず五体投地したい気持ちを抑え、目配せのみで天上界にいる師匠に謝罪の意を示した。

 このように、母はとにかく紫水を籠の小鳥の如く大切に扱ってきた。

 つまり二十歳を迎え、三年経った今も尚、母は頑なに籠の鍵を開ける気はないらしく、そのために、紫水は現在に至るまで遠出などは一切合切させては貰えなかったのだ。


 ――天啓を待つには丁度良い環境ではありましたが……これではこのまま先に天寿を全うしてしまいそうですよお師匠様。


 どうしたものかとほとほと困り果てていると、どっしりと重みのある声が母の名を呼ぶ。


尚瑶しょうよう、その辺にしておきなさい」

「あなた……」


 現れたのは一家の大黒柱にして、国家の重鎮、父の凱皓がいこうであった。

 恰幅がよく、かといってそれは脂肪だけではなく、長年鍛練した筋肉と複雑に絡み合ったからこそ出来上がった迫力のある体躯である。

 字の虎牙こがに似つかわしく、顔には白髪交じりの髭を蓄えており、それが丁度虎の顔面を思わせる。

 この父の登場で、自然と皆姿勢を正し緊張してしまう。

 特に兄にとっては武官の最高位、つまり上司であるからして、身の引き締まり様は周りよりもやや固い。


「紫水、お前に話がある。手短に済ませるつもりだから、直ぐに来なさい」


 しかしその兄よりも緊張しなくてはいけなかったのは、どうやら紫水本人であるらしかった。


「はい、父上」


 父について行きながらも、おどおどと後ろを振り返れば、自分よりさらに不安げな母の顔に気付き、どうにも紫水は居心地が悪い。


「そこに座りなさい」


 普段家族で和気藹々と過ごす居間が、少し寒々としているような気がするのは、思い過ごしであって欲しいと紫水は願う。


「……いい季節になったな」


 重い間を置いての意外な話の切り出し方に、思わずきょとんとしてしまうが、努めて柔らかに笑って父に同意して見せる。


「はい、新緑の芽吹くなんとも心地好い空気です」

「うむ、紫水。お前はそんな外に出てみたいとは思わんか?」


 いまいち話の本質を掴めないが、現世の風景には素直に興味があった紫水は、深く考えず多少食い気味に首を縦に振った。


「ではお前には国の間蝶かんちょうとして働いてもらいたい」

「はあ、かん……えっ?!」


 間蝶とは、国外の機密情報等を入手し、自国へ持ち帰る所謂諜報員の事だが、戦闘経験もそれらしい特殊な訓練も受けていない自分が、なぜそのような事を為さねば成らぬのか、皆目検討もつかず、紫水はただ口をあんぐりと開け放つばかりである。


「お前はなにも知らないただの旅行者というにはうってつけな人材だからな。どうせ家にいても暇であろう?」

「そ、それはまあ、持て余すほどですが……」

「さしてやりたいことも無いのだろう?」

「それも……はい、確かに」


 天啓を待てと言われている身で、能動的に何か事を始めると言うのはなかなか難しいものだ。

 考えて探せばそれなりにやりたいことの一つや二つあったのかも知れなかったが、敢えて紫水は日々を緩慢と過ごすことに勤めていた。

 そうなると、今の彼にはこう返事をする事しか出来ない。


「謹んで任務をお請けいたします」


 わざわざ父が他の家族から見えぬようにして打ち明ける依頼であるからして、拒んでしまえば天啓に逆らうようなものなのかもしれない。

 ともすれば、出鼻から本来授かったはずの運命を挫く事にもなりかねないので、それは何としてでも避けねばならないであろう。

 そう思案した紫水は、逆に父が驚くほどすんなりと了承したわけである。


「なんと、そ、そうか……受けてくれるか」

「ち、父上?!」


 するとどういうわけか、普段虎のように鋭い瞳がくしゃりと歪み、うるうると涙まで湛えているではないか。


「いやすまん、お前もいつの間にか立派なおのこであったということだ。わしの自慢の息子だ」

「は、はあ……そうでしょうか」


 やれと言われたことに対してはいと返答しただけで、このようにも大仰な感情の琴線に触れてしまうとは思ってもみなかった紫水は、初めて目にした父の男泣きに申し訳ないながらも、やや引いてしまう。


「して、父上。私めはどこで何をしてくれば良いので? 偵察任務でしょうか、それとも密書などを探すのですか?」

「ああいや、そんなに難しい事は言わん。さっきも言ったが、あくまでもお前は旅人であり旅行者だ。最近何やら北の方がきな臭くてな……その辺りの噂やらを現地の様子等も踏まえて見聞きして来てくれ。ついでに通った他の諸国の様子も拾って来てくれればなお良い。ああ、だが民族間の争い事には巻き込まれないように、くれぐれも気を付けるのだぞ? 特に南東の蛮族共には要注意だ。お前に何かあったなら、尚瑶のやつが泡を吹いて倒れてしまうからな。絶対に近づいてはならん――そうそう、一ヶ月に一度は必ず手紙を出しなさい」


 最後は任務の内容より心配ごとをつらつらと早口に告げられただけだったように思うが、紫水は一巡して頷いた。


「つまり父上、私は諸国を巡り、世間の見聞を深めてくればよろしいのですね?」


 至って簡潔に確認すると、少々妻の心配性が移っていた事に気づいたのか、父凱皓は誤魔化すように咳払いして見せた。


「うむ、まあ、そういうことだな」


 紫水は内心とてもわくわくとしていた。


 ――これはつまり、実質完全な自由を与えられたようなもの。現世が如何様になっているのか知る絶好の機会! 私自身の真の任である天啓の内容も気になるところではありますが、一先ずはこの状況を楽しむことにしましょうか。さてさて、先ずはどこを見てまわりましょう?


 しかし、こうなってはどう母に言い訳をして家を出れば良いのかが悩みどころである。

 それこそあの過保護な母親は、旅に出るなどと言ったら卒倒してしまうのではなかろうか。


「今母上をどう説得しようか――と、思っているだろう?」

「ええ、さすが父上。正しくご明察です」

「なに、矢面には儂が立とう。何せ命じたのは他でもない儂自身だからな。お前は準備出来次第、早朝まだ薄暗い時間にでも旅立てば良い。その際、この父にも挨拶は不要だ」


 それではまるで家出のようで、余計に母の心労に繋がる気がするものの、任務の質を思えば家族に堂々と説明するわけにもいかないだろう。

 紫水は淡々と了解するに留まった。



 そして、二日後の早朝。


 ――それでは凱一族の皆々様。不肖ながらこの紫水、北を目指し諸国を放浪してまいります故、旅先からご健勝のほどお祈りいたします。


 朝靄がかかりまだまだ薄暗い外に出ると、紫水は深呼吸し、家に向かい一礼する。

 荷物は必要最低限。路銀もそこそこに身軽を装った紫水は、今にも鼻歌を交えそうな気分の高揚を抑えつつ、早速港を目指した。


 半時ほど歩いた頃であろうか、空はほんのりとした明るさを持ち、潮の香りが鼻腔を抜けていく。


「おおっ、これが我が国随一の港。船と人が沢山!」


 視界の一面を埋める光景にそう感嘆を漏らしつつ、凱将軍直々の通行証を手に国外への船を見つけ、意気揚々と乗り込んだ。

 船員はその様子を見て子供が一人で船旅かと首を傾げるが、通行証を先程受理した同僚が、片腕で小突いて事情を話すと、にわかに信じられないと言った様子でちらちらと紫水のことを窺っていた。

 その様なことには当然本人は気づいていたが、同時に慣れっこであったため、特に気にも止めず腕を伸ばし深呼吸して見せる。


「はてさて、先ずはお隣の火鳥山国へお邪魔しましょうか。あちらは風の噂で聞きますところ、何やら豊穣祭が大変賑わいを見せるのだとか。丁度今から海を渡れば時期が重なるはずですから、幸先実に僥倖」


 本日一便の甲板へ立つと、うっすらと遠く目の前に見える陸地を見つめ、いよいよ紫水は旅立つ。

 その頭上には天高く羽ばたく白い翼が影を落とし、まるで船を追従するように飛んでいく。


 ――おや、どうやら私の予想は当たったようですね。


 紫水は影の正体である一羽の大きな白鷺を見上げながら、自身の本来の目的もまた、この時を持って動き始めたのだと確信を得るのだった。

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