第弐話『山間部』
カラカラと回る馬車の車輪をひたすら後ろから眺め続けていると、どうにも眠気に誘われるのか、紫水は周囲に配慮し欠伸を噛みしめた。すると、西日に照らされた稲穂のような髪が、ふわりと揺れ振り返る。
「疲れたか?」
星鸞が馬首を揃え、隣から話しかけるのに対し、紫水は照れ隠しに頬を軽く掻く。
「お馬さんの背にただ揺られておりますと、つい気が抜けてしまいまして……お恥ずかしい」
「ははっ、まあ、行きはまるで問題なかったのだから無理もない。ほら、ここから下ったところが中継地点だ」
端正な顔立ちに見合った、これまた整った顎で示す方向を見やれば、所々から煙の上がる集落が眼下に広がっていた。夕食の支度、或いは風呂を沸かしているのだろう。そんなことを想像した途端、紫水の腹からはキュウ……と、情けない音が響いた。
「腹が空いてはなんとやらか。この辺りを調査するにしても、先ずは腹ごしらえだな」
軽く吹き出しながら星鸞は今夜泊まる宿を指し示した。集落の中一番大きな建物ではあるが、港から王都への重要中継地点であるはずなのに、なぜか其処まで栄えていない印象を受ける。
星鸞曰く、どうにもこの土地は発展しにくいのだと言う。
所謂盆地地形で、夏はより暑く、冬は底冷えする寒さという厳しさはあるが、集落のある中心地は平地で、小規模ながら田畑を比較的営みやすくはある。また、当然の事ながら港から王都への行商人も数多く立ち寄るため、発展する要因は十分にあるのだが……。
――やはり、度々起こる神隠しに、集落の人々も萎縮しているのかもしれませんね。
発展させたい気持ちがあったとしても、何か得体の知れないものが周囲の山に巣くっているかもしれないと思えば、人々はこれ以上の変化を望みにくいだろう。例えば『余計なことをすれば消される』そんなことを信仰熱心な年長者が妄言しただけで、これほど小規模な集落なら竦み上がっていても無理はない。
早く調査をしたい想いが昂るが、何しろ紫水の身体は脆弱だ。無理をすれば倒れ兼ねないので、ここは慌てず騒がず、星鸞の言う通り夕食にありつくのを優先した。
集落に入ると、大きな護送車を引き連れた団体とあってかなり目立った。村人達は珍しそうに横目で見てはいたが、それ以上の動きはない。余所者が多く出入りするので、警戒心はあるが深入りはしない性質なのだろう――もっとも、厳重な鉄格子の車に乗せられている、高貴な装いを見るなり、ぎょっとした顔をする者もいた。周りを囲む厳つい護衛連中も相まって、寄り難さは言うまでもない。
とりあえずは代表者が村長に挨拶をし、宿場の裏側に車と馬を停めさせてもらう事になった。
罪人達を詰めた護送車の周りには松明を四方立て、見張りは三人、交代制で付くこととなる。
早速罪人達にも晩飯をやろうと、見張りの一人が鉄格子を薄く開くと、暗がりでごそごそとしている宗俊の動きを厳しく叱咤した。
「何を持っている!」
「あ……す、すみません」
その手には例の楊蘭の日記が細く開かれていた。所々涙で滲みかけているそれを、無情にも見張りは取り上げようとする。
罪人たちを気にかけ、背後からちらりと目だけで様子を伺っていた紫水は、夕食に向かいかけた足を慌てて止め、声をかけた。
「お待ち下さい。それはその方の今唯一の支えなのです。どうか勘弁して上げてはくれませんか?」
「俺からも頼む。よしてやってくれ」
紫水の声かけよりも、加勢してくれた星鸞の言葉によって、見張り役は鼻息荒く食事を置いて、鍵を閉めていった。
その様子をはらはらとした面持ちで見守っていた元郡守宗歡は、隣で息子の震える手をひっそりと握り、一先ず食事を取るよう促す。他の四人の罪人は、居たたまれぬ面持ちで敢えて親子に背を向け、味も分からぬ食物をもそもそと口へ運ぶのみである。
「何とも見るに耐えませんね……」
宿場に併設された食堂で、紫水はつんつんと煮た南瓜を小さく割りながら、目の前に座る星鸞に思わずぼやいてしまった。
「事の真相は事故であるのですから、なんとか減刑の余地はないでしょうかね。そうなったとしても、あの方は一生彼女の事を背負い生きていかねばならないのですし」
「まさに生き地獄というやつだろうな。犠牲者がいる以上相応の刑は有って然るべきではあるが、工面するのはお上だ。俺たちにはどうにもしてやれんよ」
一見冷徹な意見であるが、そうは言いつつも星鸞も食事を取る手つきが緩慢である。
「さてどうするか、このまま寝てしまうのはあまりに良い子過ぎるだろう?」
答えの出ない会話より、今出来ることをやろうではないかと、星鸞はぱっと輝く瞳で話題を変えた。
「そうですね。まだ外にいる方々に話を聞いてみましょう。確か、彼の方は何かしらの建立物が随分昔にあったはずと仰っておりましたし」
「何のための建立か、知っているご年配層が居ると良いのだが……おそらくそういった者達の方が、神隠しについても色々知っているであろう」
「はい、そうと決まれば行動有るのみです。ちゃちゃっとご飯を食べてしまいましょうっ!」
気合いを入れ直した紫水に、星鸞は満足げに頷いて見せ、自身も米茶碗におかずを乗せて掻き込むのであった。
「はてさて、気合いを注入したのは良しとして、これはなんとも……」
食堂から外へ出た二人は、思わずはたと固まった。それもそのはず、なんと先程まで居た村人達が殆ど見当たらないのだ。
「やはり皆神隠しを理由に夜を恐れているのだな」
星鸞はそうぼやき返したが、西日は赤々し、まだ夜というには早い。少なくともこれくらいの時刻なら、子供たちがまだ空き地で帰りを惜しみ、もう一、二周鬼ごっこなどで遊んでいてもおかしくはない。
「こうなったら先に挨拶を終えましたが、再び村長様のご自宅へ伺いますか?」
「いや、まて。灯台下暗しという言葉もあるぞ――ほら」
星鸞が指差したのは、食堂の飯炊き女で、丁度客の食べ残したゴミを堆肥へするため、専用の場所へ裏口から運び出している最中であった。
見たところ五十半ばと言ったその女性に、星鸞は早速試しにとばかり、気さくに話し掛けた。
「ご精が出ますね。随分重そうな……手伝いますよ」
「え、ええっ?! いやいや、いいよいいよ。あんたお客さんじゃないか。手伝わせたら厨房の親方に叱られちまうよ!」
「まあまあ、バレなければ良いんですから」
星鸞は呆気に取られる女性を尻目に、生ゴミを乗せた猫車を素早く奪ってしまった。
「堆肥場まで折角ですからお話ししながら参りましょう」
言いながら星鸞は紫水に向かってぱちりと片目を瞑って「どうだ」とばかりに自身の話術を自慢してくる。心なしか、隣の女性はやや頬を紅潮させ、うっとりと長身な好青年の横顔を眺めていた。
紫水はその様子に「あらまあ」と感心しつつ、自分はこの隙に他を当たろうと一歩踏み出しかけるが、瞬間「あっ」と星鸞から上がった声に止められる。
「ここ最近物騒な話も聞きますから、あまり夕暮れ時からお一人は危ないでしょうね?」
「そうなのよぉ……神隠しだなんて、ひいじいさんやひいばあさんの時代なら分からないでもないけどね。またここ最近でぽつぽつと出始めたってなって、皆震え上がっているのよ」
あくまで自然に会話を成しているが、ようは単独行動に出ようとする紫水を止めたかったらしい。
その機転にますます感心しつつ、紫水はこっそり二人の後に着いて行き、耳を欹てた。
「実はこちらの知り合いも都に用があったのですが、ちっとも帰って来なくなりまして、大変困っているのです。村民の皆様は神隠しと言っていますが、具体的にどういった経緯でそのような話になったのか知っていますか?」
「まあ、そりゃあ気の毒に……神隠しが原因ならきっと……」
女性は目元の皺を余計に深くし、少々俯いてしまった。この土地で行方不明ともなれば、結果は絶望的と、経験に刷り込まれて居るのだろう。
「お山の一角には荒神様が居られるから、近づいちゃなんねって言うのが、家の爺さん婆さん達の口癖だったよ。子供の頃から言われて育ったんだ。私らもだけど、他所の人達と所帯持つことも多いから、なかなかその信仰も薄れてきちまったのが原因かもしれないねぇ……」
「成る程、それは興味深い。何か荒神様をお祀りするような祭壇などはあるのですか?」
「それぞれの家に荒神様が御座すとされる方角に、お神酒と野菜なんかを御供えする棚があったりするよ。私くらい言い聞かせられた世代はやってるけどね。やらない人達も居るのよ。ほら、土着信仰だから、誰もがよく知っている上神様方と比べると、他所から来た人は馴染みがないからやりたがらないじゃない?」
「と、なるとやはり地元民でない者が居なくなりやすいのでしょうか?」
「それがねぇ……」
女性は言い淀むと、暫く到着した堆肥場から遠くに目をやり、溜め息交じりに答えてくれた。
「気虚抱えし者、知人の囁きに招かるる事なかれ。それは人に在らじ」
気虚、即ち生命力の衰えている状態にあることだ。具体的には心身の疲労や気力の衰えを指し、抑鬱などといった精神的な不調も含む状態である。
「気分が滅入るような嫌なことがあった時は神様に目を付けられるから、気分を変えて笑って居なさい。難しければ成るべく親身な人と側にいて、家から出ないで神棚にお供え物を置きなさいって、教わったもんだよ」
「気虚ですか……つまり地元民か他所から来た者かは関係ない、と?」
「そうなんだろうね。実際ここ(宿)のご主人の奥方が心身虚弱でね。すぐ癇癪起こして泣いて塞ぎ込むような方だったんだが、ご主人と何かで揉めたかした晩、忽然と居なくなっちまったんだ。皆あれは神隠しに違いないって言ってるよ。奥方、生まれも育ちも地元で、むしろご主人の方が入婿だからね」
「ちなみにそれはいつ頃ですか?」
「もう三年は経つね――ああ、寧ろその事が原因かもしれないねぇ。暫くなかった神隠しが出始めたのは」
つまりこの年配の女性が推理するところによると、宿の主人の妻が失踪したことで、曾祖父母の時代にはあった神隠しが再開したのではと言うことらしい。
「ちなみに此方の宿には神棚が存在するのですか?」
「本家のお宅は奥方のこともあって立派なのに替えたそうだけど、宿には三階までの西の各角部屋に、一ヶ所ずつ後から付け足したって話だよ。なんだか不気味だってんで、敢えてその部屋を嫌がる宿泊客も居るそうだけど、私はこの通り古い人間だから、自分が客だったら是非角部屋をお願いするだろうね」
限定的に西の角部屋となると、そちらの方角こそが例の立ち入り禁止と口伝されている一角なのだろうか。
星鸞が運んだ猫車をざっと傾け、堆肥に生ゴミを混ぜ込む姿に、紫水は建物の陰で「御苦労様です」と頷き、自身もその場に偶然居合わせた様に出て行く。
「お忙しいところすみません、私もこの宿の客なのですが、丁度件の噂を聞きまして、是非噂の方角に向かって手を合わせたいのですが、荒神様を祀る御神体や建立物などは有るのでしょうか?」
途中から貴女方の話を聞き齧り、お詳しそうに思えたのでと、お得意の柔らかい表情で紫水は尋ねた。
「あらま、坊っちゃん信心深いのね」
「これでも旅の見習い僧でして、多少祈祷の心得が在ります故、荒神様をお慰めし、気を静めては頂けないかと」
礼儀正しく袖口を合わせてお辞儀をする小柄な紫水に、女性は「へえ……」と意外なものを見る目になった。しかし、直ぐに首と手を焦ったように横に振る。
「ひいじいさんが言っていたらしいのだけど、荒神様を静めるお堂を建立したって話はあるみたいよ。ただ酷く恐ろしい気配がするもんだから、建てた人達からは絶対にお参りに行くような場所じゃないって。許しを得たければ、山道前に建てた小さな祠で手を合わせ線香供物を御供えするに留まりなさいって。建立中には何度も原因不明の死人が出たなんて言っていたね」
紫水は内心首を傾げた。荒神信仰自体は珍しいことではない。特に土着信仰において、いきり立つ未知の存在を神格化させ、信仰することでその高ぶりを抑えるのだが、何やら女性の言い伝えから得る情報は、呪術の封印にも近い気配を覚える。
「そんなに土地の怒りが強かったのでしたら、当時幾人も祈祷師が参ったのでしょうね」
「さあねぇ……其処までは流石に世代が違うから口伝えだし覚えちゃいないよ。ただ、生半可な気持ちで行くのはおよしなさいね。見習いっていうなら尚更だよ」
「そのようですね。いや、差し出がましい事を申しました。せめてその小さな祠とやらに祈祷して参りましょう」
すると、やれやれと女性は星鸞から空の猫車を返してもらい「助かったよ」と礼を一つすると、厨房裏口に戻りながら注意を投げ掛ける。
「夜は止めておきなさいね。地元民でも怖くて近寄らないよ」
「はい、肝に銘じておきましょう」
去っていく女性の背を見送り、残された二人は顔を見合わせた。
「ええと、ここまで口伝でもって散々脅されておいてアレなのですが、やはり貴方は……?」
「ふんっ、当然行くぞ。でなければ何の解決にもならんからな。そもそも魑魅魍魎は夜に活発になると相場が決まっている。あちらから姿を現すなら迎え討つまでではないか」
やはりと、紫水は分かりきったことではあったが、少々困り顔を作り、とあるものを星鸞の懐に忍ばせるよう願った。
それは小さな巾着に入った、仄かに薬臭い代物である。
「中には上神様のお札と、厚朴と生姜などを粉にし、練り合わせた比較的簡易な丸薬の様なものが入っております。貴方ほど強い気を持つ方には不要かもしれませんが、万が一、気が削がれそうになった時、深呼吸をするように香りを吸ってください」
「ほう、強ち修行僧というのはまるっきりの嘘と言うわけではないらしいな?」
紫水は苦笑いしつつ「あらら……」と肩を落とした。
「基本嘘つきと言う認識なのでしょうか、私は……」
「其処までは言っていないがな。まっ、不必要に詮索はせん」
やはり強者故に侮れない人物であると、紫水は間諜である我が身を案じつつ、誠に頼もしい青年であるという認識を改めて強く持つ。
――真に恐れるべきはお山の荒神か、はたまた隣の眩しき英雄の卵か……。
成熟し、真の鸞鳥になる日を期待せずには居られない。紫水は西日がやや沈み込んで来たのにも関わらず、きらきらとした雰囲気を絶やさず纏っている青年に、目尻を下げ瞳を細めた。
「とはいえ、このまま荒神様とやらに会うわけにはいかんな」
「え?」
「身を清めんと、臭くてかなわん」
腐葉土と生ゴミが発酵し、白い湯気が立ち上る堆肥の目の前で、星鸞はげんなりと両手を広げて見せるのだった。




