第玖話『子供たちの帰宅』
鍾乳洞の暗がりの中、紫水の引きつった顔が、提灯に照らし出される。
「ほ、本当にここを私も通るのですか?」
すっかり日が傾き、いい加減家に帰らねば、もう一晩子供たちに穴蔵生活を強いてしまう。
そう考えに至った紫水は、子供たちに帰宅を勧めたのだが、自分はまた水を掻い潜る事になるのかとげんなりもしていた。
それには杏花も「折角乾いた服をまた濡らすの?!」と猛反対し、結局現在子供たちが普段使っている出入り口を案内されたのだ。
「兄ちゃん小さいから行けるって」
佑信少年は余裕だろという風に振る舞うが、子供たちはしゃがめば何とか行けるような隙間を、紫水は匍匐前進しなければ難しそうなのだ。
しかも足元はごつごつとしており、ここを這ったら服の前側に穴が開いてしまいそうである。
――服が再起不能になるか、またずぶ濡れになりそのまま帰って体調を崩すか、究極の二択ですねこれは……。
季節は新緑から徐々に紅葉が始まる頃合い。
紫水の出身地よりやや南の国とはいえ、なかなかにどちらも身体に堪えそうだ。
「紫水、妖術カケル」
「え?」
亀龍を振り返ると、紫水に手を翳し、何やら分からぬ言語をぶつぶつと呟き始めた。
すると、亀龍の手から放射線状に蔦があっという間に延び、ぐるぐると紫水の胴体に巻きつきだしたではないか。
まるで蛇に締め上げられているような感覚に陥るが、けしてかかる力は強くはない。
「コレデ服、破ケニクイ」
「なるほど、差詰め蔦の鎧と言ったところですか。それにしても凄いですね。何時からこのようなことが?」
水虎本来の生態としては、ここまで器用な妖術が使える物の怪ではない。
精々生えている水草の成長を早める程度の伝承であったはずだと、紫水は関心と共に興味を持った。
「人ノ言葉、喋レルヨウニナッテカラ。人ノタメニ何カシタイ思ウト出来ル。ダカラヤリ方ワカラナイトムリ。頭マデ巻クノ、ムズカシイ。気ヲツケテ」
どう巻けば対象の形になるのか想像出来ないと、術を反映させるのは困難らしい。
天井もかなり当たれば痛そうなので、ここばかりは努力で避けなくてはなるまいと、紫水は覚悟を決めた。
それにしても、人のためになるような動きを見せる物の怪とは、あまり耳にする話ではない。
だからこその特異性なのだろうか。
初代の王、大琰王が、唯一この水虎だけを生かし、留まらせたのも納得が行く。
「植物の汁って、服に付くと落ちにくいのよねぇ」
「……杏杏ってさ、たまにおばさんみたいなこと言うよな?」
子供たち二人は早速穴蔵からの脱出を、談笑混じりに開始する。
「はぁ……これも修行ですね」
紫水はイモリにでもなった気分になりながら、なるだけ蔦を切らないよう前進する。
すると、段々外界が目の前に姿を表し、穴蔵を出きった頃には、紫水の目が驚きのあまり真ん丸くなっていた。
「なんとまぁ……」
耳にはさざ波の音、眼下には海が広がっており、遠くにはちらほらとイカ漁の灯りが見える。
足元は十歩ほど前進すれば、急坂であり、その下には入り江が確認できた。
少し辺りを見渡せば、河口らしき水の流れも感じる。
「な? わざわざ潜水したり山の中歩き回らなくても、海岸沿いからちょこっと山に進めばここに来れるんだぞ」
「佑佑兄とお店が休みの時、ちょっと探検したら亀龍が河口で魚捕まえててね。すぐ逃げちゃったから、追いかけてみようってなって、この穴を見つけたの。面白そうだから入ってみたのよね」
顔を見合せ「ねぇ!」と、得意気に話す二人に、紫水は恐れ入る。
「それはまた、大変でしたな亀龍殿」
蔦を外す紫水を手伝いながら、苦笑う顔に亀龍は頷く。
彼も子供用の出入口は狭くはあったが、柔軟な身体能力と、自前の最大の防御である甲羅で、難なく穴を最後に抜けて来ていた。
「凄クビックリシタ。逃ゲ帰ッタラ二人、イタ。二人、怖イモノ知ラズ」
「そうですね……山深い道を行かずとも、この様なところに子供だけで行くのは、やはり感心はしませんよ?」
紫水はその言葉と共に、ちらりと亀龍に目配せする。
その視線の意味にはっと気付いたように、亀龍は頭を垂れた。
「ちぇ~……だって、亀龍と友達になってなかったら、俺死んじゃってたかもなんだぞ?」
「そうよお兄さん! だから、今回の事はうまく誤魔化しましょうよ……ね?」
「流石に私とて水虎がいたなどとは言いません。余計な混乱を生みますし、第一亀龍殿に多大な迷惑がかかるかもしれません。だからこそ、私はあなた方に厳しく言わなくてはなりません」
紫水は一呼吸した後、真剣な眼差しで子供たちを諭した。
「亀龍殿の事を思えばこそ、あなた方はここに来るのは最後にした方が良いでしょう」
一瞬にして空気が凍る。
子供たちは言葉の意味するところを探るように、亀龍と紫水を交互に見つめた。
「なっ、なに言ってんだよ兄ちゃん! 夜中に来るのがだめなら、昼間時間作ってたまに位なら――」
「亀龍だって、楽しそうだったわ! 私たちの大事な友達よ?!」
「佑佑、杏杏……」
亀龍は今、己の胸の内と葛藤している。しかし、結論は既に紫水と共に出していた。
それは、佑信の話を一通り聞き終えた後、子供たちを仮眠させた、ほんの一刻程の事である。
子供たちは亀虎が寝る時に敷いている枯れ葉の上で、すやすやと可愛らしい寝顔を見せていた。
「仙人様、今ノウチ、話シテオキタイ事ガアル」
声を最小限に、亀龍は紫水に向かって声をかけた。
「はい、私も気になっておりました。なぜ、アナタは佑信くんのお父上様の容貌を見知っていたのですか? ご職業が水守ですから、多少水辺で見かけるのは当然としても、わざわざ気にして目で追ったのは何故でしょう?」
早速とばかりの反応に、亀龍はぐっと肩をすぼめた。
「アノ死体ニ関係有ル。子供タチニハ聞カセタクナカッタ。特ニ、佑佑ニハ……」
ちらりと少年を見つめる眼差しは、真心そのものである。
「お父上様は、一体何を?」
「六日前ノ晩ノ話、聞イテ」
そうして亀龍は語り始めた。
その晩、男女の揉める声が、貯水池に響いたのだそうだ。
当然何事かと、亀龍は水中の底から様子を伺っていた。
水面を暫く見守っていると、激しい入水の音と共に、あの黒髪の乙女が沈んで来たというのだ。
「水ノ中、言葉ワカリヅライ。内容マデハ、ワカラナイ」
「大丈夫ですよ。続けてください」
亀龍は一つ間を置くと、いかにも残念だという風に頭を振った。
「急イデ助ケヨウトシタ。デモ、アノ娘、生キテナカッタ。落チル時、頭、強ク打ッタミタイ……」
これは助からないと、諦めざるを得ない後頭部の出血であったと言う。
しかも間が悪い事に、男の方は直ぐに立ち退かず、新たに来た人物と、また言い争いになっていたらしい。
此れでは容易に娘を池の淵へ運んでやることすら出来ず仕舞いであった。
手をこまねき見る見る内に娘は、到頭池底に落ちきり、岩の間に挟まってしまったと言う。
「少シシテ、漸ク静カニナッタ。ダカラ、チョットダケ、顔出シテ見テミタ」
すると、後ろ姿の佑信の父だけが見えたという。
「父、何カキラキラ拾ッテタ。タメ息ツイテ、ガックリシテイタ」
そして一言「ご遺族に渡さねば」と、呟いたのだそうだ。
「成る程、これはかなり有益な情報ですが、証言として取り扱うのは難しいでしょうね。何しろ、水虎が見ていたなど、証拠として成り立ちません」
亀龍はそれはそうだろうなと理解したように項垂れた。
「仙人様……オレ、子供タチ大好キ。ダカラ、トテモ後悔シテル」
佑信の父が殺されたあの日、佑信たちは亀龍に助けられたと、彼を正義の味方のように持ち上げていたが、実際はそうではないと、亀龍は悲しみを吐露した。
「オレガ町ノ水路ニ居テ、父ノ後、追ワセタ。佑信危険ニシタノ……オレダ」
「亀龍殿、それは――」
紫水は慰めようとしたが、口を寸でのところで噤んだ。
本当はこの健気な物の怪に同情してしまいたい。
しかし、紫水は子供たちの事を第一に考え、心を鬼にした。
「――そうですね。それもそうですが、私は他の理由でも、子供たちとアナタが接触し続けるのを、良しと片付けることは出来ません」
「仙人様……」
亀龍の紅い瞳が潤み、此方を捉える。
「アナタは特殊です。特殊過ぎるのです。其れは大変尊ぶ事ではありますが、それこそがあまりに危険なのです。思い出して下さい。アナタ方水虎とは、本来どういった種族でしたでしょうか?」
獣の手が、すっと開く。
そして、亀龍はそこに生える鋭い爪を見て、ぐっと何かを堪えるためか、瞼をきつく閉じた。
「子供たちの今後を考えると、アナタのような妖の類いに慣れてしまっているのは、あまりに無防備です。他の物の怪につけ入られ、騙され、命を弄ばれるやもしれません」
事実を突き付けられ、亀龍は食い気味に答えた。
「ウン、ワカッテル。ソウ、ソノ通リ……仙人様、オレ、バカダッタ。本当ニ、ゴメンナサイ。人間守ル約束、王様トノ大事ナ約束、果タシタイ!」
その確固たる決意に、紫水は静かに頷いて見せたのだ。
「トモダチ……違ウ」
絞り出した低い声音が、周囲の空気を震わせた。
「え……亀龍?」
理解が出来なかったのか、子供たちは二人揃って固まってしまっている。
「オレ、飯欲シカッタダケ。デモ、オマエ達面倒! モウ、飯イラナイ。オマエ達モイラナイ! 二度ト来ルナ!」
「ま、待ってよ?! 突然どうしちゃったんだよ?!」
「そうよ! 私たち沢山遊んだりもしたでしょう?! それを友達っていうのよ?」
「――っ、お二人とも、離れて!」
紫水が注意した途端、亀龍は牙を剥き出しにし、あの大男に見せたような咆哮を、あろうことか子供たち二人に浴びせた。
「ひっ……!?」
佑信は思わず顔を引きつらせ、杏花は声も出せないほどに、縮み上がってしまう。
「……去レ、人間」
亀龍はふいと顔を背けると、直ぐに穴蔵へと戻り、ガラガラと岩で内側から子供たちの出入口を塞いでしまった。
「え……え、何で? 俺が悪いの?」
「……怒っちゃった。私たちが悪い子だから? う、うっ、うえぇ……」
杏花はあまりの出来事に耐えかね、ぼろぼろと泣き始めてしまった。
「俺のせいだ。亀龍に迷惑かけたから……ごめん、ごめんな杏杏。頼む、泣かないでくれよ……」
そういう佑信もつられ、じわりと涙が溢れ出す。
紫水はそっと二人の肩を抱き、静かに帰宅を促した。
――亀龍殿……お疲れ様でした。よくぞ頑張ってくださいましたね。後はどうか、お任せを。
紫水は心優しき稀有な物の怪に、深く感謝するのだった。
『燦浄様』
紫水が子供たちの背中をそっと押しながら、とぼとぼと海岸沿いを歩いていると、唐突に頭上から念を送られる。
反射的に上を仰げば、夜でも目立つ真っ白な羽が、月明かりに煌めいた。
すると、子供たちの視線の先には、今まさに山道入り口から歩いてきたのであろう、荷台つきの牛が、此方に向かって鳴き声を上げる。
「牛が荷台だけで人も連れずに歩いてる……」
佑信が呆けたように呟いた。
「お兄さん、あのここっち見てるわよ?」
――流石尹たち! 連れて来てくれたのですね。何と気が利くことか!
紫水は頭上を静かに旋回する白鷺に向かい「助かった」と感謝の念を飛ばしながら、牛に近づき頭を撫でてやった。
「いやはや、申し訳ありませんでしたね。随分と長い間置き去りにしてしまいました。しかもお迎えまで来てくれるとは……賢い良いこですねぇ」
「え? その牛さんお兄さんのなの?」
「いえいえ、山まで行くのに農家の男性に借りたのですよ」
そこではたと紫水は気付き青ざめる。
彼は思い出したのだ。
他でもない、杏花の母親が、産気付いていたことに。
「杏花さん!」
「は、はい?!」
急に大きな声を出した紫水に驚き、杏花はしゃっきりと背筋を伸ばした。
「急いでお母上様の元へ向かいますよ! さあ、早く牛さんの荷台へお乗り下さい。佑信くんも!」
「う、うん!」
こうして三人を乗せた牛は、安全性を考慮し、行き程急がずとも、少し足早に帰路を進むのだった。
***
「たのもう! 夜分にすまぬが話がしたい。伯養公殿はご在宅か?」
星鸞は一軒の小屋を訪れていた。
一般的な長屋から外れた場所にあるその建物からは、かなりの頻度で臭いが発生するため、人々から避けられがちと噂になっていた。
――確かに、少し外も臭うな……。
調べによると、伯養公は学生時代から両親とは離れ、独自の研究に没頭しているらしい。
一定の満足感を得ると、また違う研究に移ってしまうらしく、なかなか職業には結びつかなかったらしい。
しかし、今回の香料の研究は直接売り出せると踏み、本格的にのめり込んでいるのだそうだ。
――それにしても、出てこないな。留守か?
星鸞が扉をもう一度叩こうとすると、勢いよく引戸が開く。
「ああ? 誰だあんた……」
出てきたのはよれよれの衣服に身を包んだ、ボサボサ頭の青年であった。
顔には深い隈が影を落とし、藪睨みする表情はどうにも柄が悪い。
「……香料の研究と聞いていたが、酒の研究にでも切り替えたのか?」
相手の口から並みではない酒気を感じ、星鸞は思わず顔をしかめ皮肉った。
「はあ? 知らない人間が説教垂れる気か? まあいい、俺は今むしゃくしゃしてんだ。早いとこ用件済ませて帰んな」
「うむ、分かった。俺は星鸞という旅芸人だ。遠慮なく上がらせて貰うぞ」
「へ? お、おいっ、お前!」
ずかずかと小屋の中に入ると、壁は一面薬草棚と書物棚になっており、床には乳鉢やら薬研、それに竈には、普段どう自炊をしているのか疑問な程に立派な蒸留器が存在していた。
この備品からすると、普段は確かに香料の研究をしているのだろう。
花のような良い香りのする小さな壺もしっかりとある。
だが残念なことに、今は酒壺ばかりが転がり目立っていた。
「ちょっ、何なんだよお前!」
「これを見て貰いたい」
ずいと目の前に付き出してやったのは、楊蘭に宛てられた宋俊の手紙であり、あの天竺葵のついた物だ。
「この花は貴殿が渡したものか?」
伯養公は一瞬ぎょっとしたように目を見開いたが、ふっと息を漏らした顔は、いっそ憑き物が落ちたような穏やかな表情であった。
「ああ、そうさ。それをあんたみたいなのに持たせるとは、やっぱりお嬢ちゃんのご両親は諦めちゃいないし必死なんだろうな。ま、当然か」
「俺は真相と娘さんの行方を託された。知っていることを全て話してくれ」
星鸞の端正な顔に見据えられ、その威圧感を真っ正面から受けつつも「座ってくれ」と、落ち着いた様子で呉座を促す。
「お前も飲むか?」
自分自身は言いながらも、くいっと酒を壺から直接口付ける。
「いいや、結構、それより話を――」
「会ったよ俺、お嬢さんと」
きっぱりとそう言い放った相手の次の言葉を、見開いた目で促すように待った。
「寺院でさ、そりゃあもう幸せそうに。羨ましかったよ、正直な。相思相愛ってのはああ言うのを言うんだろうが、俺は商売になる話がしたかったから、試しに香油や練り香の容器を、ご婦人方が好みそうなのを作れないかって相談したんだ。ははっ、滅茶苦茶がめつい奴だろ? 正直逢瀬の邪魔者だろ? ちょっとわざとな意地悪さ。けどよ、お嬢ちゃんは何でか乗り気で、是非お父様とお話を進めましょうなんて言うんだ。俺は参ったね。とんでもなく素直な良い娘さ」
そこまで捲し立てた伯養公は、悔しげに酒を煽ると、空になった酒壺を床に転がし、膝を叩いて立ち上がる。
「だが一方、そんな娘を好いて、俺みたいな変わり者を親友なんて呼んでくれるあいつがな、ふと悲しそうな顔をしたんだ。ほんの一瞬、願い札を燃やしている時さ。そん時の俺はその表情が意味する事情なんかわかりゃしなかった」
乱暴な仕草で書物棚を掻き分け、その中からくしゃくしゃになった手紙を引き出すと、星鸞の前に投げ捨てた。
「読めよ。俺は自分が許せないんだ。あいつにこんなもん書かせる前に、親友として出来ることが、もっとあったんじゃないかって……」
どかりと再び胡座をかいて、酒の残りはないかと手を彷徨わせる伯養公を横目に、星鸞は「拝読する」と放ち、手紙の皺を伸ばしながら文脈を追った。
『腹心の友、伯養公よ。いきなりこんな文を渡してすまない。だが、私には相応の罰が必要なのだ。小さな蘭を愛で続けると決意しながら、高嶺の薔薇を宛がわれ、なす術もない。友よ、私に少しでも同情の念を抱くなら、どうか私を追い詰めてくれ。情けない私を叩き出しておくれ。君にしか、頼めないのだ』
星鸞は何かを察し、伯養公を睨んだ。
「中央貴族の娘との婚約を、周囲に言いふらしたのは伯養公、貴殿なのだな?」
「ああ、有志の捜索隊に混ざって、あいつには中央に婚約者が既にいたらしいぞってな。皆口々にあいつの悪口を周囲に言いふらしてくれた。俺がしたことは……それだけだ」
ずるずると書物棚に背を預けきれず、力なく床に倒れ込んだ伯養公を、星鸞は慌てて駆け寄り上から覗き見る。
「一体何時から飲んでいた?!」
目の焦点がこちらと全く合わず、息も浅い。
「知らん……もう俺の事は放っておいてくれ!」
脈拍を診ようとする星鸞を、力なく払おうとするが、その腕が虚しく空を切る。
すかさず星鸞はその腕を取り、伯養公を軽々と背負った。
「……あんだよ、どこ連れてくんらい」
「医者だ馬鹿者。呂律も儘ならなくなっているではないか。その状態で置いておいたら死ぬぞ」
案の定、馬の背まで運び乗せようとしたところ、鞍へと上る前に、盛大に地面へと吐き散らす。
内容物は何もなく、ただただ酒だけかっ食らって居たのだと想像できてしまう。
「……あいつもたぶん死ぬ気らろ」
伯養公は引きつけを起こしたように、ぐったりしたまま「ひっひっひ」と笑う。
「地位も名誉もかなぐり捨てて、親父さんにも楯突いて……ボンボンの癖に、気弱な癖に……」
ぶつぶつ悪態をつく酒の急性中毒患者と共に馬へ乗り、なるべく揺らさぬよう医者のところへ向かった。
「そうそう、手紙は下男が持ってきた。あいつ、余計なことするから、部屋にでも閉じ込められてるんじゃ……うぅ、うっぷ!」
「もう喋るな。この馬は借り物だからな。汚さないでくれ」
しかし、その言葉に返事はなかった。
伯養公は白目を剥いて、涎を垂らしながら、あっという間に気絶してしまっていたからだ。
――勘弁してくれ……。
月夜を眺めながら、今日の調査は一先ずここまでだなと、星鸞は諦め深く溜め息をつくのだった。




