【天然危険物】一人称体小説について語ろうとして思い切り脱線したけど結果オーライかもな件
黒崎 「以前、一人称体のほうが書きやすいと思われてる風潮について語ったが、今回は一人称体という技法について持論をたれてみようかと」
チロン 「むむ? なにやら香ばしい予感。我こそがアカデミックだと言わんばかりの自尊心充填120パーセントな意識高い系さんを気取るつもりなら、御主人の風上にもおけないのです」
黒 「大丈夫。そこまで病んではいないから。性根がこじれてるだけで」
チ 「余計にタチ悪くてシビれるのです」
◆ ◆ ◆
黒 「ここでは一人称体小説を三つの類型にわけて考えようと思う。なお、既存の言説との混同をさけるため、分類には僕様式の造語を使わせてもらう」
チ 「らじゃ」
【主体型一人称体】
黒 「これは〝語り部キャラ自身が現在進行形で実況する形式〟だ」
チ 「てゆーか、ほとんどの一人称体小説がコレなのでは?」
黒 「いや。ざっと見た感じ、なろう系ではむしろ少数派っぽい」
チ 「あにゃ? なして?」
黒 「たぶん、難しいから。
以前のエッセイにも書いたが、そもそも一人称体は特定の人物を濃密に描く〝叙情文学〟に適した手法だ。なかでも主体型はドキュメンタリー風味の私小説(あるいは私小説に事寄せた物語)に特化した手法といってよく、世界や出来事を描く〝叙事文学〟に用いるのは非常に難しい。
なろう系のようなジャンルには、圧倒的に不向きなのよ。本来は。
なのに一人称体のなろう系小説が多い理由は別のエッセイで書いてるから割愛するとして、主体型一人称体の特徴をみていこう。
臨場感がある
感情移入しやすく、没入感を得やすい
さくさく書ける(個人差あり)
主人公の主観時間に縛られる
主人公の知性と認知の範囲内しか描けない
主人公の心情以外の詳細な描写が難しい
ざっと、こんなところかな」
チ 「ふーん。それなりにメリットとデメリットがあるのですね」
黒 「何事にも利点と難点があるものさね。大事なのは、それらが表裏一体であることに気付けるかどうかだ」
チ 「どゆこと?」
黒 「たとえば──主体型一人称体は実況中継さながらの臨場感を醸せる反面、劇中の時間軸と読者の時間感覚が無意識のうちにリンクしやすい。
そのため、単位時間あたりの文字数をしっかり管理しないと、テンポの悪さが際立つ。
そのシーンの時間進行のわりに文字数が少ないと寸足らずな、多いと間延びした印象を与えてしまうんだ。
こうした利点と難点を理解しているか否かで、作品の質は大きく変わるに違いない」
チ 「──? いまいち理解できないのです」
黒 「劇中の十秒間の出来事は十秒で読める文字数で表現するのがベスト、ってこと。主人公の主観時間に縛られるとは、そういう意味さ。
言うまでもなく、それには相当の表現力と語彙力が求められる」
チ 「ふーん。あ、でも、それだと〝さくさく書ける〟ってのは矛盾してません? 難しいなら、さくさくは書けないのです」
黒 「密な描写をしなければいい」
チ 「あう……?」
黒 「高い筆力が求められる描写を避け、書きやすい部分だけ書けば、さくさく書けよう。
〝主人公の知能と認知の範囲内しか描けない〟という制約も、裏を返せば〝主人公の知能と認知の範囲内だけ書けばいい〟となる。これなら楽チンだろ?」
チ 「むー。デメリットを逆手にとるのはいいですけど、それはさすがに──」
黒 「いいの、いいの。売れれば万事オーケー。世の中、しょせんは売れたもん勝ちさね」
チ 「むー。ハマーン様の声で〝俗物が〟と吐き捨てたいのです」
黒 「それは、もはや御褒美だな」
チ 「でもでも御主人? 感情移入しやすいのは純粋にメリットですよね。そこにデメリットあります? あるなら明瞭かつ簡潔に言ってみやがりたまえなのです」
黒 「あるよ。感情移入や没入感は、実は諸刃の剣だったりする」
チ 「???」
黒 「読者が主人公に共感できてる間は、いいのよ。でも、シンクロ率が低下したとき──すなわち主人公の言動が読者の感性からズレた瞬間、そうじゃない感が爆誕し、まるで裏切られたような錯覚に陥る。
感情移入の度合いが深ければ深いほど、それが途切れたときの落胆もまた深い。で、嫌いになっちゃう。可愛さ余って憎さ百倍とばかりに」
チ 「読者にとって感情移入できる作品は最高ですけど、書き手にとっては良いことばかりじゃないのですね……」
黒 「ああ。読者を深く感情移入させようとすれば、それだけ読み手を選ぶことになる」
チ 「ハマる人にはピチッとハマるけど、そのピンポイントの周辺からはむしろ嫌われる、みたいな?」
黒 「そう。ゴルフにたとえるなら、池の中にすっげー小さなグリーンがある感じ。アプローチでカップインできないと、高確率で池ポチャしちゃう」
チ 「読者のハートをがっちりつかむには、ずっぽり感情移入させたい。でも、万人に受けるキャラを作るのは激ムズだから、結果的に間口が狭くなる。ジレンマですね」
黒 「売れてる作品は、そこらへんのバランスが巧いんだろうな。
しかし思うんだけど、感情移入ってそんなに大事かね」
チ 「あにゃ? いかに読者を感情移入させるかが作者の腕の見せどころ、ではないのです?」
黒 「そう思ってる書き手は多いようだし、読み手の側にも〝深く感情移入できるのが良作〟みたいな風潮があるみたいだけど──
感情移入って、ともすれば依存なんだよね。
自尊心のわりに自己観念が脆弱な人は、感情移入が自己投影に直結し、キャラに自身を重ね見る。
いわば主人公の外部身体化だ。
アバター化した主人公は〝理想のワタシ〟なので、そいつが傷付くのは耐えがたい。苦戦してはならないし、敗北なんてもっての外」
チ 「だからストレスフリーな物語が重宝されるのですか」
黒 「そう。その種の読者が求める主人公は、期せずして異性にモテまくり、いかなる権力にも屈せず、魔王からさえ一目置かれ、小石につまづいて転ぶような凡ミスは絶対にしない、淡麗かつ偉大で国士無双にして完全無欠な英傑or女傑なのだ」
チ 「んー……そこまでいくと、傍目には喜劇なのです」
黒 「どっちかというと、ポルノだね。感動ポルノならぬ感情ポルノ。
でも、そうした流行テンプレ作品があふれてる現状を批判する気はないよ。職業作家をめざすなら、読まれやすいモノを書くって選択は間違っちゃいないし。
テンプレ作品の隆盛は界隈のハイコンテクスト化(暗黙の了解だらけになる)を招き、古参による古参のための市場に堕して萎んでゆくことになろうが──憂うことはない」
チ 「このままだと衰退するかもなのに?」
黒 「大事ない。今のなろう系が次のなろう系に取って代わられるだけのことだから。
しかも、それは輪廻だ。去った流行は、いつかまた巡ってくる」
チ 「うーん……事態はもっと深刻なのでは? 若い世代の〝ラノベ離れ〟が顕著だというデータもあるのです。気にならないのです?」
黒 「注視はしてるよ。この6年間でラノベの売り上げが半減してる事実は確かにインパクトあるし。
でも、その統計が意味しているのは厳密にいうと〝ラノベ離れ〟ではなく、〝本離れ〟なんだよね」
チ 「──? それってば同じことでは?」
黑 「そうかな? では、訊くが、なろうやカクヨムのアクティブ・ユーザーは半減してる?」
チ 「きゅきゅ?」
黑 「ラノベ離れが進んでるなら、小説投稿サイトも先細るはず。
しかし、サイトの接続流量をみるかぎり『小説家になろう』の賑わいは堅調だ。
直近の傾向だけをみて〝失速してる〟と主張する人もいるが、経済論的には〝成長期に付いた贅肉が落ちて安定期に入りつつある〟とみるほうが正確ではないかと」
チ 「なるほど」
黑 「まぁ、爛熟の気配も無いわけではないが──少なくとも数字をみるかぎり、ラノベのファンが半減したわけではないのよ。
少子化、娯楽の多様化、可処分所得の減少、活字離れ等々──ラノベをとりまく状況は厳しいけど、本を売りあぐねている最大の要因はコンテンツの陳腐化ではなく、〝売りかた〟にあるんじゃないのかな」
チ 「売りかた、ですか」
黑 「全体の売り上げは落ちてるのに、リリースされる作品数はむしろ増えてるだろ? しかし、数撃ちゃ当たる式の物量攻勢は、確実に勝てる短期決戦でのみ意味がある戦術だ。人員と資産──つまり作家と作品を浪費しまくるわけで、戦略的には無策に等しい。
また、今のラノベは無駄に高いものが多い。
文庫版ではなく、あえて割高な大判にする理由はなに? 数をさばけなくなってきたから、多少高くても買ってくれる〝太客〟を狙おうってこと? そんなんじゃ、ご新規さんは開拓できないよ」
チ 「コストの問題もあるのでは? 今の時代、文庫本だってそれなりの値段になっちゃうから、いっそ豪勢な大判で、ってことかもなのです」
黒 「ならば起死回生の一手は、やはり電子化とサブスクだな。
無料か定額で読み放題の電子書籍サービスを基本として裾野を広げ、紙の本はコアな太客向けのコレクターズ・アイテムだと割り切る。
本というプラットフォームを根本から見直すのさ。
それぐらい思い切ったことを大手のレーベルがやってくれると、面白くなりそうなんだけどな」
チ 「今の出版業界に、そんな挑戦ができる体力が残っていればいいですけどねぇ……」
黒 「既製のシステムを流用できるから、そう莫大な投資は要らないと思うんだがな。
──さて、盛大に脇道にそれたんで、いいかげん本題に戻ろうか」
【客体型一人称体】
黒 「お次は、これ。語り部キャラが客観的な視点で語る形式。キャラ自身があとから物語を振りかえってナレーションをつけてるような感じだ。
近代以降の日本の純文学には、このタイプが多いように思う。
実況中継ではないのでキャラの主観時間に縛られず、注釈や解説を存分に繰りこめる、というのが利点だ」
チ 「せやけど当然デメリットもありまっせ、なのですよね」
黒 「うん。ともすれば説明過多になりやすい」
チ 「あらら。そりゃまた何故に?」
黒 「客体型一人称体は、主体型の難点を回避するための技法なんだ。てことは、この文体を選ぶ作家は主体型一人称体では満たされないタイプ──私小説的な空気感よりも劇画チックな物語表現を好む傾向があるやに思われる。
そういう作家さんって、えてして考証を作りこむのが好きで、ついつい説明をぶっこんじゃうのよ。せっかく作った設定は、披露したくなるのが人情っしょ?」
チ 「へぇ。なんか御主人みたいなのです。ウザいほど設定厨ですもんね」
黒 「それもまた個性だと思ってますけど何か?」
チ 「そーゆー減らず口を叩きなさるナマハゲもビックリの悪い子さんは、罰としてパンツの中に爆竹を放りこんであげるから観念してズボンを下ろすのです」
黒 「断固として断る」
チ 「えー? こんなこともあろうかと中国製のアホみたいに大きな爆竹を用意しておいたのに」
黒 「おまえ、普段どんなこと考えてんのよ……」
チ 「ところで御主人? 客体型は主体型の難点を回避するための技法ってことですけど──メリットとデメリットが表裏一体なら、デメリットを避けたらメリットも無くなっちゃうのでは?」
黒 「お、いいところに気付いたな。その通りだ。
客体型は、ともすれば〝地の文を無くした三人称体〟みたいになりやすい。そうなると、一人称体ならではの強みはほとんど失われてしまうのよ。
それでもこの文体を選ぶ魅力があるとすれば、一人称体でありながら主人公の知性と認知の範囲に縛られない、という利便性かな。
たとえば──
市場の喧噪にまぎれ、背後から刺客が忍び寄る。
俺としたことが、間近に迫っても気付かない。
しかし、
「──死ねぇい!」
「なにっ!?」
そいつが間抜けにも怒声をあげてくれたおかげで、俺は毒のしたたる刃をかわすことができた。
──てな感じのスカした描写もやりたい放題だ」
チ 「別にスカさなくてもいいでしょうに w」
黒 「いや、実はそこらへんに客体型の難点──というか罠があったりする。
主人公の視野の外を描写できるのは便利だけれと、ほどほどにしないと主人公が〝何でもお見通しのスカした奴〟に見えちゃうのよ」
チ 「もしかして、無双系テンプレの主人公にスカしボーイが多いのは、それが原因とか?」
黒 「まあ、直接の原因は中二病テイスト丸出しなキャラ設定にあるんだけど、俺やっちゃいました系無双キャラの〝鼻につく感〟をブーストしてるケースはあるだろうな。
ちなみに、なろう系の一人称体小説は、この客体型が多い気がする」
チ 「作品性もファン層も対極にある純文学となろう系に同じ傾向があるなんて、不思議なのです」
黒 「実は純文学ファンとなろうファンには似通った性質があるんだが……そのあたりを掘りさげると双方から非難囂囂だろうなぁ」
チ 「だからこそ語りたくてウズウズしてこその御主人なのです。さぁ語れ。ほら語れ」
黒 「ま、そのうちね」
【形骸型一人称体】
黒 「ラストはこれ。ざっくり言うと〝一人称体のふりをした三人称体〟。技法というより、結果的にそうなっちゃう現象だね」
チ 「現象?」
黒 「そう。形骸型は、要するに〝不出来な客体型〟なんだ。一人称体という様式をきちんと理解せず、単純に〝キャラの口調で書けばいいんでしょ?〟みたいに思ってると、だいたいこうなる。
また、〝地の文を書くのが苦手だから一人称体にした〟というケースもコレになりやすい」
チ 「ふーん。ちなみに、客体型と形骸型を判別する方法とかって、あるのです?」
黒 「文中の主人公の一人称(カギ括弧の中は除く)を全てキャラ名に置き換えてみるといい。
それでほとんど違和感が無いようなら、その作品は形骸型一人称体の可能性が高い」
チ 「不出来な客体型ってことは、それ自体が問題なんでしょうけど──特に形骸型にありがちな難点とかってあるのです?」
黒 「あるよ。最大の問題点は、物語の視点と時制が不安定なこと。
主人公のリアルタイムの視点、主人公が事後的に語ってる視点、作者の主観、〝地の文〟的な描写──そうした文章が何の説明も無いまま入り交じっちゃうんだ」
チ 「うにゅー……それはカオスなのです」
黒 「原因は、おそらく主人公の人物造形の甘さ。ことに人間性の作り込みが浅く、足りない部分を作者の人格で補ってるものだから、視点が劇中世界と現実世界を行ったり来たりしちゃうんだろうな。ただ──」
チ 「ただ?」
黒 「こうした〝なんちゃって一人称体〟には否定的な意見もあるけど、僕様的には意外と〝あり〟かもって思ってたりする」
チ 「ありかも? 〝不出来な一人称体〟が?」
黒 「うん。不出来だけれど〝間違い〟ではないのかもしれない」
チ 「???」
黒 「創作界隈にはさまざまな創作論があふれてるが、小説に掟としての〝定型〟は無いと僕様は思ってる。
このエッセイにしても技術的な〝定石〟を論じるもので、一人称体小説は斯くあるべきという権威主義的な説教ではないつもりだし」
チ 「確かに、ベキ論ではないですね」
黒 「権威主義的な発想を排除し、是も非もさておいて形骸型一人称体の小説を観察すれば、出来損ないの烙印をおすことをためらわせる〝可能態〟が垣間見えることもあろう」
チ 「可能態?」
黒 「視点と時制が不規則に揺らいていると、確かに読みにくい。が、問題なのは揺らいでることではなく、センテンスごとの視点が不明確なことだ。
なら、刻々と変わる視点を読者が察することができるように書けばいい。
そうすれば、視点の揺らぎはアップテンポなアドリブ感をまとわす表現技法になりうるし、様々な思いが交錯する群像劇の演出としても面白い。
一人称体と三人称体が溶けあった形骸型一人称体を研いていけば、形骸が実を得て、『なろう体』とでも呼びうる新たな様式が生まれるかもしれないのだよ(富野節)」
チ 「おー。新たな小説様式の誕生をうたうとは、これはまた大きく出たものなのです。御主人の分際で、くっそ生意気な」
黒 「おのれ、足の裏に塩水塗ってヤギに舐めさせてやろうか」
チ 「あう、拷問のチョイスがイヤな方向にマニアックなのです」
◆ ◆ ◆
黒 「──てなわけで、今回は全力で脱線しちゃいましたが、にもかかわらず最後まで読んでいただき感謝であります」
チ 「なかばタイトル詐欺で御免なさいなのです」
黒 「では、また。いつか、どこかで──」
チ 「あでぃおーす (^_^)/~」
──終劇──
いかがでしたか?
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