96 ある聖女の飛翔
こちらは番外編で、リリー目線の過去編となります。
97話から本編に戻ります。
『あなたは大きくなったら、この国の王太子様と結ばれるのよ』
この話を初めて聞かされたのは、いつのことだったかしら?
寝かしつけのお話が終わったあと、母は私の頭をなでながら、優しく囁いた。
おとぎ話に出てくる“灰にまみれた少女”のように、ある日突然、私を愛する王子様が現れるのだという。
けれどその夢物語を、簡単には信じられなかった。だってこんな田舎町に、王子様がやってくるなんて!
それに当時は、先代の国王が存命で、王太子といえば、二十以上も歳の離れた存在だったのだ。
『おじさんは嫌』と返したところ、母はけらけらと声をあげて笑った。それから私に言い聞かせるように、こう続けたのだ。
私の運命の相手は、王太子の長子、ルイス・ドゥ・トランキル様だと。
あれから十年ほどが経ち、今はモンドヴォールの公爵令嬢が、婚約者の地位に納まっている。
けれども母は、繰り返し唱えている。ルイス様の結婚相手は私なのだ、と。
一人目の婚約者、クロエ・ラ・フリオン様がいた頃は、こうも話していた。王太子妃候補の地位は、もうすぐ別の貴族に譲り渡されるだろうと。
だから、フリオン侯爵令嬢の訃報を聞いた時は、本当に驚いたものだ。
さらにそのうえ、次の婚約者はステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォール様になると明言していたのだから、心臓がひっくり返る思いだった。
もしかすると、母には未来をのぞき見る能力が備わっているのかもしれない。これまでの発言は、神官が告げると噂されている、予言にそっくりなのだから。
だから私は、母の言いつけをしっかり守ってきた。
一つ、いつも笑顔を心がけること。
一つ、助けを求める者には、手を差し伸べられる人間であること。
一つ、自分の気持ちを偽らず、誠実であること。
一つ、相手を信じる心を持ち続けること。
『愛される人になりなさい』と願う、母の思いに応えたくて、努力を重ねてきた。
だからきっと、これからも母の告げるとおりになっていくのだろう。
田舎町の、のどかな昼下がり。いつもより綺麗に整えられた部屋のなかで、私と母は、並んで静かに座っていた。
今日がその日なのだという。
高鳴る胸を抑えながら、私はただ待っている。扉の向こうから、運命の相手がやってくるのを。




