94 目論見と甘い誘い
「ではソフィアさんは、明後日から避暑地に向かわれるのですか?」
ローブをパタパタとあおぎながら、シャリエが問いかけてくる。
「ええ。こ、……国王陛下からも、ゆっくり休むよう言われてますし」
ソフィアは目の前に置かれていた魔術書で、口元を隠してから師匠に囁いた。
今日もジラール邸の一室では、魔術の講義が開催されている。
ソフィアとともに参加しているサラは、同じく参加者であるイザベラを実験台にして、新しい魔術に挑戦しているところだった。
幸いなことに、シャリエとの会話内容までは、聞かれていなかったようだ。
狩猟大会の騒動の中で、シャリエは私が、“公爵令嬢ステファニー”の身代わり役を務めていると気づいてしまった。
『いくつか魔術をかけたら、身代わりのことなんて、簡単に忘れちゃうと思うけど。試しにやってみない?』
マルクスは楽しげに提案してきたが、公爵とレオンにすぐさま反対されていた。
補佐役のシャリエにさえ、そのような手段を講じようとする、情け容赦もないマルクスの姿勢には、むしろ敬服してしまう。
それにしても、魔術で記憶を消そうとするなんて! ソフィアは椅子に深く座りなおし、ガッと両腕を組んだ。
マルクスは、私の兄さんが悪い魔導士のせいで、記憶喪失になったと知っているくせに。本当に趣味の悪い提案だわ!
一悶着あったものの、最終的には公爵とレオンが真実を告げることとなり、シャリエは記憶を残したまま、仲間の一員となれたのだった。
「少しよろしいですか、シャリエ先生。術のかけ方で、分からないところがありまして」
「上手くできていたと思いますが。どういった点が気になりましたか?」
シャリエはサラの元へ、軽快に駆け寄っていく。
驚いたことに、サラはめきめきと魔術の腕を上げていて、近ごろはソフィアよりも、上手に術を扱えるようになってきていた。
どうやら講義が終わったあとも、シャリエの元へ熱心に通い詰め、魔術の話をせがんでいるらしい。
イザベラも『最近仲がよさそうなんですよ、あの二人』とニヤついていた。
信頼しているシャリエとサラが親しくなっていくのは、ソフィアにとっても喜ばしいことだが、深くは追求しないようにしている。
仮に二人が、男女としての関係を深めているとしても、外野が口を挟む話ではないし、なによりソフィアは、人に語れるほど“恋愛”というものを理解っていないのだから。
「魔導士の方々は、どうしてこうもいい加減なのですか!? そういう細かな条件こそ、魔術書に書き残しておくべきだと思いますけど!?」
それまで淡々と話していたサラが吠え始め、シャリエは顔を青くする。
「ヒィ! そ、その通りです……これからは気をつけますから」
二人の相性も、決して悪くはないと思うのだけれど。この様子では、師匠はサラの尻に敷かれてしまいそうね。
「えぇーっと。それでは、しばらくレッスンもお休みになりますかね!?」
背中を丸めながら、こちらへ逃げ帰ってきたシャリエが、早口で問いかけてくる。
「はい。ですから、しばらくは魔塔のお仕事に専念していただけます。お忙しいのに、ここまで時間を割いていただき、ありがとうございました」
ソフィアが深々と頭を下げると、師はそれを否定するかのように、両手をぶんぶんと横に振るった。
「いえいえ! こちらこそ、久しぶりに魔術と向き合う時間を持てて楽しかったです。あとはみなさんの真面目さを、少しぐらい魔導士長も見習ってくれればいいのですが……」
心底うんざりした表情を浮かべるものだから、ソフィアもつい笑い声を漏らしてしまう。
「出発の準備もありますでしょう。今日は、早めに終わらせたほうがいいですよね?」
「あ! だとすれば、先生。ここを離れる前に、防御術を教えていただけないでしょうか」
剣術大会でも、先日の狩猟大会でも、魔塔の魔導士たちが施した防御術が、防衛に大きく貢献していた。
それに、ソフィアの命が救われたのも、マルクスが用意してくれた魔導具のおかげだ。
「ソフィアさんが自分で、防御膜を張れるようになりたいということですか?」
よいしょ、と腰を下ろしたシャリエが、にこやかに問いかけてくる。
「それもですし、ええと……可能であれば、この魔道具が起動した時のように、激しい攻撃でさえも無効化できるようになりたいです」
耳たぶから外したピアスを突き出すと、シャリエはぎょっと目を見開いた。
「こっ、ここ、これはマルクス魔導士長が作ったものですか!?」
「ええ。レオンも一つ、受け取ったと聞いているわ」
「無理です!」
彼は勢いよく立ち上がりながら、そう言い切った。
「いいですか、ソフィアさん! これにかけられている防御術は、大会で使われていたものとは比べ物にならないほどに、高度な魔術なんです!」
シャリエの声は、心なしか震えているようだ。
「では先生! そのダイヤには、どのような魔術がかけられているのですか!?」
イザベラはらんらんとした目を、こちらに向けている。
生徒からの純粋な問いを受け、シャリエはなんとも気まずげに口を開いた。
「一般的な防御術は、術式を組んで起動させてしまえば、そこでおしまいです。防御膜がいくら攻撃を受けようと、術者に影響が及ぶことはありません」
ソフィアは二つの大会で目にした、防御結界を思い返す。
近くに術者と思しき魔導士も控えていたが、確かにあの激しい戦闘のなかでも、術をかけた本人には被害が及んでいないように見えた。
「それに比べて、このピアスにかけられているのは、術者が自身の魔力を代償にして、外部からの攻撃を防ぐ魔術です。だから……ほら! 全然違うでしょう!?」
「なるほどー。つまり……どういうことです?」
イザベラは首を傾げるが、ソフィアも同じ気持ちだった。
シャリエはいつも丁寧な講義を行っているだけに、具体性を欠く説明からは、彼の動揺が見てとれる。
「このピアスは、術者の魔力が尽きない限り、魔術が有効であり続けます。逆にいうと、術者は魔力がいつ奪われるかも分からない状況に、置かれてしまうということですね。そんなリスキーな魔道具を、普通は他人に託したりなんかしません!」
シャリエは鼻息荒く、手のひらを机に叩きつける。
「しかもこれを作ったのは、規格外な魔力量を誇る、あのマルクス魔導士長ですよ!? 間違いなくこれは、最強の防御力を誇る魔道具と言って、差し支えないでしょう!」
演説を終えると、彼は満足げに椅子へ座り込んだ。
「ではなぜ、あの時ピアスが壊れたのですか? 私はてっきり、魔道具が限界を迎えたのだと思っていたのですが」
「ああ。それはもう一つの魔術の影響でしょうね。術者自身を強制召喚する術が、重ねがけしてあります。おそらく、一定以上の力が加えられた場合にのみ、ピアスを媒介にして、ソフィアさんを助けに行けるようにしていたのではないかと」
「あの魔導士長様が、他人のためにそこまで慎重に、魔道具を作られていたというのですか? にわかには信じがたい話ですね」
「それはまあ、確かに」
サラの発言を受けて、全員がうなずく。
普段は気まぐれに、突拍子もないことばかりをしているのだから、誰からの信頼も得られていないのが、マルクスらしいというかなんというか。
「あれ? そういえば、レオン様はどちらに?」
辺りを見渡しながら、イザベラが呟く。いつからか護衛は、ジラール家に仕える騎士だけになっていたようだ。
「レオン様なら、しばらく前に魔導士長様からの呼び出しを受けて、ここを出て行かれました!」
サラは、魔術の訓練に戻ろうとしているのだろう。同僚を力強く引き寄せつつ、その疑問に答えた。
「子爵令息を気軽に呼び出すだなんて。あの人は怖いもの知らずですよね、本当に」
シャリエがごにょごにょと悪態をついている隣で、ソフィアはわずかに違和感を覚える。
いつものマルクスなら、きっと周りの都合などお構いなしに、ここへ突撃してきただろう。
自分の部屋に、礼儀正しく他人を招くなんて。やはり近ごろのマルクスは、少し様子がおかしい気がする。
おそらくレオンも、同じような疑問を抱いているはずだ。
マルクスは、肝心なところで話をはぐらかして、本心を明かそうとはしない。
もし、私には話しにくいのだとしても。せめてレオンの前では、気兼ねなく心の内をさらけ出せるといいのだけれど。
「では本日は、防御術の概要をお伝えしましょう。本格的な練習は、ジラール邸に戻られてからになると思いますが」
魔術書を素早く繰りながら、師は和やかに微笑んだ。
ソフィアも姿勢を正し、首を垂れる。
「分かりました。よろしくお願いいたします!」
ちょうどその頃の、マルクスとレオンはといえば。マルクスが研究室として使っている、ジラール邸の一室にて、ひざを突き合わせていた。
「前に頼まれてた、防御壁の件だけど。ちゃんと言われたところに張っておいたよ。これで安心して、避暑を楽しめるんじゃない?」
書類を魔術で動かしながら、マルクスは机の上を整えている。
「ありがとう。お前は、ここに残るんだよな?」
目の前を横切ろうとする紙束を避けながら、レオンは尋ねた。
「まあ、たまには魔塔にも顔を出さなきゃいけないしね」
「嘘をつけ。別邸にいたとしても、転移術を使えば、すぐ王都に戻ってこれるだろう? 気づいてるんだぞ。お前がソフィア嬢を避けていることには」
マルクスの動きが止まるとともに、たくさんの紙類も、宙に浮かんだまま静止する。
「一体なにがあったんだ? 話してくれ、マルクス」
魔導士長は黙ったまま、書類をばさばさと落としていく。片付き始めていた机も、雑多な状態に逆戻りだ。
「なにもないよ。ただ、長い間忘れていたことを、少し知ることができただけさ」
暗い面持ちで、マルクスはぽそりと呟いた。
「どういう意味だ?」
「なあ、レオン・ジラール。君は僕の仲間だと、そう話していたね?」
マルクスは、眉間にしわを寄せるレオンに向かって、丁寧に問いかけた。
「ああ」
「では、先に約束してくれ。いついかなる時も、ソフィアを第一に考えて動くと」
「なにを今さら。そうするに決まっているだろう」
訝しげな護衛騎士の表情を見て、マルクスは盛大に吹き出す。
「いやぁ、別に疑ってるわけじゃないさ。念のために確認しただけだよ!?」
「なにが言いたいんだ?」
「君に全てを教えようと思ってね。手始めにまず、“流星の禁術”の話をしようか。あれは記憶を保持したまま、過去の世界へ戻ることのできる、逆行転生術だ」
さらりと打ち明けられた重大な話に、レオンは目を見張った。
「どうしたんだ、レオン。禁術のことを、ずっと知りたがっていただろう?」
「それはそうだが……。これまで必死に隠していたくせに、どうしていきなり」
動揺している護衛騎士を眺めながら、マルクスは弱々しい笑みを浮かべる。
「一人で戦うのは、ちょっとばかし分が悪くてね。ええと、禁術の話をするには、ソフィアと出会ったところから教えたほうがいいかな」
「ちょっと待て」
レオンは一人うつむいて、ぶつぶつとなにかを呟き始める。
「なにさ?」
「すまない。やっぱり、その話は聞けない」
「はぁ!?」
声を荒げたマルクスに対し、レオンは冷静に首を振るう。
「いや、マルクスが俺を頼ってくれたことは、純粋に嬉しいよ。ただソフィア嬢の秘密を、彼女がいない場で聞いてしまうのは、忍びないと思って」
「……君ってやつは、本当に」
そこで言葉を止めたマルクスは、なぜか乾いた声で笑った。
「本っ当に、クソがつくほど真面目な男だな!?」
悪態をつきながらも、なぜだか穏やかな面持ちで、マルクスは肩を震わせている。
ようやく落ち着いたマルクスは、長い息を漏らしてから、すっと目を細めた。
「じゃあ僕のこれまでの話を、聞いてくれないか。ずいぶんと長い、自分語りになってしまうけれども」
レオンは返事をする代わりに、向かいに座す青年の眼を、じっと見つめ返した。
狩猟大会編は、こちらで完結となります。
次話は番外編の更新を予定しています。
 




