93 雪解けの兆し
狩猟大会の騒動から、数日が経過した。ソフィアとレオンはというと、揃って王城へと招かれている。
空の王座を見つめながら、ソフィアは静かに息を吐く。王座の間を訪れたのは、ソフィアが転生してから初めてのことになる。
一度目の人生では、この場所で王族方から糾弾されたのだった。
不当に拘束され、身に覚えのない罪状を並べ立てられた、あの深い夜。
あの時は“公爵令嬢ステファニー”として訴えられたわけだが、思い返すだけでも身震いしてしまう。
隣に控えているレオンは、心配そうにこちらをうかがっていた。国王との謁見に、緊張していると思っているのだろう。
ソフィアは冷え切った手のひらをすり合わせながら、ぎこちない笑みを浮かべた。
そうこうしているうちに、国王と王后が姿を現し、ソフィアらは背をこごめる。君主は腰を下ろすやいなや、こう口火を切った。
「面をあげよ、二人とも。后からすべて聞いている。誠に大義であった」
驚くべきことに、国王は座したままでゆっくりと頭を下げる。
動揺するソフィアらとは異なり、隣席で控える王后は、間の抜けた声を挟んだ。
「まぁっ。まずはステファニーに謝ってくださいな、陛下! あのままこの子が戻らなかったら、私は一生、あなたのことを恨んでいたのですからね?」
「うむ……」
じろりと睨めつけられた国王は、決まりが悪そうに、ソフィアへ視線を向ける。
「そなたには、酷なことを命じてしまった。緊迫した状況下で、あのような発言をするべきではなかったと反省している。本当に申し訳ない」
それから先ほどよりもはっきりと、頭を下げてみせたのだった。
「そっ、そんな。もったいないお言葉にございます」
君主からの深謝に、ソフィアは尻込みしてしまう。
そもそも、あの森で魔獣からの攻撃を無効化できたのも、最後にとどめを刺したのも、全てはマルクスの功績だ。
この場に同席すべき魔導士長は、またしても王族からの招集を無視して、自室にこもりきっていた。
魔塔は国王の直属組織であるというのに、一番の責任者であるはずのマルクスは、なぜこうもいい加減なのか。心の中で、密かに悪態をつく。
そんなソフィアの左耳には、グレーダイヤの新しいピアスが輝いていた。
以前受け取っていたものは、防御術の起動とともに、自壊してしまったらしい。
あんなに小さな宝石が、魔道具としての機能を果たせるのか不安を覚えていたが、効果は想像以上だった。
あれがなければ、私たちは真っ黒な炭に変わっていたのだと思うと、本当に恐ろしい。
「剣術大会の件も片がついていないというのに、このような事件を防げなかったことは、遺憾であるが。当事者である二人には、現時点で分かっている情報を全て開示させてもらう」
肩をすぼめたソフィアらに向けて、国王がとつとつと語り始める。
遊猟地は、広範囲にわたって樹木が倒壊していることが確認されたが、幸いにも怪我人はそこまで多くないらしい。
王太子は城に戻ったあと、念のため公務を控えているとのことだ。今回の敵の狙いは、おそらく王族方だと考えられるため、きわめて適切な対応だろう。
「それと、これはここだけの話にしてほしいのだが」
国王の言葉で、后の顔がさっと陰った。
「真犯人かどうかまでは分からないが、少なくとも実行犯は判明している」
「……ステファニー。あの怪物を見た時、あなたはこう話していたわね? 『生きているはずなのに、魔力が体内を巡っていない』と」
深刻そうな面持ちで、王后が語りかけてくる。ソフィアは、あの奇っ怪な生物を思い浮かべた。
本来、生きとし生けるものは全て、体じゅうに魔力を巡らせていると言われている。それは体の隅々にまで、血管が通っているのと同じように。
けれども、あの巨体には魔核があるだけで、魔力の通り道さえ存在していないように視えた。頭のてっぺんから尻尾の先まで、何度も確認したにも関わらず、だ。
「王后陛下のおっしゃる通りでございます。全身を巡っているはずの魔力の流れが、私には視えませんでした」
「あれが生き物であれば、魔力を宿していないのは不自然なこと……なのですよね」
それから彼女は、口元を押さえてうつむいた。しばらくは躊躇いを見せていたが、すっかり血の気の引いた、白い顔で口を開く。
「私たちはみな、あれが生き物だと信じて疑いませんでした。ですが、その前提が大きく違っていたのです」
レオンとソフィアは顔を見合わせる。彼も王后の言葉が、いまいち理解できていないようだ。
確かにあの魔獣は、珍しい見た目をしていた。けれども唾液を垂らしたり、鳴き声を上げる様子は、正体不明の『生物』にしか見えなかったのに。
「あれはまるで、ドラゴンのように作り上げられた、人工物だったということだ」
国王が仏頂面で告げる。
「レオン。そなたは実際に、あの化け物と戦ったのであろう。なにか違和感はなかったか?」
「……体が大きいことが関係しているとはいえ、猟銃があそこまで効かないものかと、不思議には思いました」
魔獣を攻撃し始めた当初は、体内に弾が吸い込まれていくだけで、なんのダメージも与えられていないように見えた。
実際に攻撃が効きだしたのは、ソフィアの指示を受けた兵らが、一斉に魔核を狙い出してからだ。
「私は魔塔の魔導士たちに、現場に残された魔獣の残骸を調べるよう、命令を下していた。それで分かったのは、あの巨体を構成していたのが、様々な動物の死骸だった……ということになる」
ソフィアは耳を疑う。あの大きな化け物が、死んだ動物たちの集まりだったというの?
「犯人はネズミや蛇、蝙蝠といった小動物の亡骸を大量に用意し、それぞれの体内に魔核を埋め込んでいたらしい。死骸の一つ一つが魔導具として、巨体を構築するパーツになっていたのだ」
あまりにもむごい話に、ソフィアは下を向いた。
あれほどまでに大きな体を作るため、一体どのくらいの動物たちが、犠牲になっていたというのか。
「そして、それらの魔導具を身にまとい、后を襲った人物を、私たちは実行犯と捉えている。もっとも、裏で別の人間が動いていた可能性も考えられるため、調査を進めているが」
「お待ちください、陛下。今、なんとおっしゃいましたか?」
レオンが掠れた声で尋ねた。
「魔獣を操っていた人物が、あの巨体の中に隠れていたのですか!?」
そこでソフィアは、はたと思い出す。王后を防御膜の中から引きずり出した怪物からは、まるで人間の腕にそっくりなモノが生えていたことに。
「そうだ。とはいえ、衛兵が捕らえた時には、犯人もすでに命を落としていたのだが」
「あの攻撃を受けても、犯人は姿形を保っていたのですか?」
レオンは驚いたように声を上げる。
「魔導士長は、器用な男だからな。魔核とそれを取り巻く死骸は破壊されていたが、魔獣の中心部に潜んでいた犯人の体には、傷一つ付いていなかったそうだ」
マルクスの一撃は、情け容赦のない無差別攻撃に見えていただけに、ソフィアも感心する。
あの状況下で、そこまで繊細に術を扱えるのは、やはりマルクスの魔術の才がずば抜けているからだろう。
ところで、無傷の状態で犯人が発見されたということは、すでに素性も明らかになっているのだろうか?
ソフィアの疑問に答えるように、国王は話を続けた。
「魔獣を操っていた男の名は、ジルベール・ダグラス。恥ずかしいことだが、王城に勤めていた医務官の一人だ」
思いがけない名前に、戦慄が走る。
ソフィアにとって、それは因縁深い名前だった。ジルベール・ダグラス──面識こそないものの、かつての世界では、先王の暗殺容疑をかけられていた男だ。
けれども彼は、先王が亡くなった後に投獄され、獄中で命を落としたと聞いている。
今世では、先王はまだ存命のはず。なぜジルベールは、先王を襲う前に、このような大事件を起こしたのだろう。
いや、それよりも。彼が亡くなったということは、先王の暗殺事件を未然に防げたのではないか?
難しい顔で話を続けているレオンらに向かって、ソフィアはおずおずと語りかけた。
「恐れ入りますが、発言をお許しいただけますでしょうか」
国王はぴくりと片眉を上げたが、王后はそのまま続けるようにと目配せしてくる。
「ジルベール・ダグラスは、王族を恨んでいるようでした。城仕えの医務官ということは、みなさまの治療行為にも関与されていたかと思います。現在も病床に伏せっておられる、先王陛下はご無事でしょうか?」
「そなたは……そうか。先王とは面識があったか」
質問の内容に驚いたのか、国王は体勢を整えてから、静かに口を開いた。
「結論からいうと、先王陛下はご無事であらせられる。ジルベール・ダグラスも、無差別に王族を狙っていたのであれば、狩猟大会で暴れる前に、先王にも手を掛けていたであろう」
ソフィアはほっと胸をなでおろす。先王の無事が確認できたのは、大きな成果だ。
「ただ、年も年だ。この夏の暑さに、体が耐えきれるかどうか……そなたと再び相見えることは、叶わないかもしれない」
「先王陛下が、ジルベール・ダグラスの魔の手にかからなかったことが知れただけでも、十二分にございます」
膝折礼をしたソフィアのことを、国王はまじまじと見つめ直す。
一体どうしたのかしら? ここまでは姿を見せただけでも、あからさまな敵意を向けられ続けてきただけに、ソフィアの顔もこわばってしまう。
「……懐かしい色だ」
低い声が、ぼそりと溢れる。シルバーグレーの眼は、ただまっすぐに少女の瞳を捉えていた。
「ステファニーの髪と目は、あのお方にそっくりですものね」
王后がにこやかに返したところで、国王は自分が言葉を発していたことに気がついたのか、ぎゅっと口をつぐんだ。
モンドヴォール公爵の髪と瞳は、ソフィアのそれとは全く違う色をしている。おそらく二人は、ステファニーの亡き母親のことを話しているのだろう。
そういえばレオンのお母様も、私の外見に懐かしさを覚えていたわね。
先王の妾を務めていた、亡きモンドヴォール公爵夫人の話題は、貴族社会でも公然の秘密となっている。
特に現国王は、父親に擦り寄った彼女のことを、酷く憎んでいたという噂だ。おそらく、この話題を広げるべきではないだろう。
すっかり萎縮したソフィアを見て、国王は深く息を吐く。
「そなたが気を揉む必要はない。親がなにをしようと、子どもには関係ないのだから」
「親といえば、今回はモンドヴォール公爵も、力を尽くしてくれたようですね?」
王后がさらりと口出しをする。
あとから聞いた話だが、混乱する森から貴族たちを逃すために、率先して行動したのがモンドヴォール公爵だったそうだ。
「……奴も人の親だ。本当なら、娘のいる場所へ急ぎたかっただろう」
それから、ソフィアにちろりと目を向け、こう呟いた。
「モンドヴォールとは長らく関係を絶っていたが、そろそろ歩み寄る時かもしれない」
まるで蚊の鳴くような、小さな小さな声だった。




