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91 お前が獲物だ

 他の魔導士らも、怪物をてざわめき始める。


「まさかそんな……でも、そうとしか」


 心当たりでもあるのか、シャリエがごくりと息を呑んだ。


 以前から心配性な性格だとは感じていたが、ここまで深刻そうに目を張る師の姿を見るのは、ソフィアも初めてだった。


「先生?」

「ソフィ……“ステファニー”様! あれだけ魔核があるのです、簡単には倒せないでしょう。やはり私たちは、魔獣をここに引き留めるのが最善のようですね」


 シャリエはローブの袖をたくし上げ、大きく呼吸をする。


「膜を展開するまで、五分ほど時間をください。あの獣が一歩も動けなくなるような、強い魔術をかけますから」


 弟子の返事を待つことなく、シャリエは魔塔の魔導士らを集め、魔術を練り始めた。


 けれども術の展開は、怪物の到着には間に合わないだろう。あとは、あの魔獣を閉じ込めるまで、天幕がつかどうかにかかっている。


 こうしている間にも、化け物は着々と距離を詰めてきていた。

 周囲に唾液を撒き散らし、強引に植物を踏み潰しつつ、漆黒の鱗をぎらつかせている。


 ……本当に、これで大丈夫かしら? ソフィアは胸を押さえる。


 防戦一方となっている人間たちに対して、あちらは大量の魔核、つまりは魔力のストックを持っているのだ。


 あいつを捕まえるよりも前に、ここを破られてしまえば。丸腰の私たちは、きっと手も足も出せないだろう。


「ソフィア嬢」


 不安に苛まれるソフィアの耳元で、ぼそりとレオンが囁く。


「私にできることはありますか」


 赤茶の瞳は、ソフィアだけを見つめている。この危機的な状況で、彼は王后でもシャリエでもなく、私に問いかけてきた。


 この人は、“ソフィア”を信頼してくれているのね。鼻の奥がつんとみたことには、気づかないふりをして、ソフィアはそっと口を開いた。


「レオン。あの魔獣を弱らせるためには、魔核を大量に壊さねばなりません。魔核というのは、ええと……魔力の源です」


「あなたには、それが視えているのですね?」

「ええ」


 すると、二人の会話を見守っていたはずの王后が、早口で割り込んできた。


「では、こうするのはどうかしら?」


 王后はかがみ込み、迫りくる巨体に向けて猟銃を構える。普段の粛々とした様子に比べて、その流れるような動きは、水を得た魚のように輝いて見えた。


「防御膜の内側からは、攻撃ができないのでしたね。ですが、銃口をあらかじめ外に出しておけば、獣に弾を当てるくらいはできますでしょう!?」


 衛兵らが止める間もないほどに、彼女は素早く引き金を引く。


 放たれた弾丸は、標的の額へ吸い込まれていった。


「ウガアアアァアッ!」


 獣は叫びを上げたが、攻撃はあまり効いていないようだ。


 不快そうに首を振るった黒い生物は、天幕へ慎重に歩み寄りながら、顔を近づけてきた。無機質な瞳は、おそらく攻撃主を見つめている。


「確かに、このやり方であれば、最低限のリスクで戦えそうですね」


 レオンが動き出すと、それに続いて衛兵たちも、一斉に銃を構えた。


「ステファニー様! 魔核がどこにあるのか、私たちに教えてください!」


 兵らの真剣な目が、こちらに向けられる。


「そんな、ええっと……シャリエ先生!?」


 ソフィアは戸惑いつつ、後方で魔術を組んでいる師匠へ助けを求めた。どう考えても、魔術を習いたての自分では、役不足なのだから。


 けれども、魔塔の人間たちは一様に険しい表情を浮かべ、顔を向き合わせている。シャリエに至っては、こちらの会話すら耳に届いていないようだ。


 狼狽ろうばいするソフィアの腕に、とん、とレオンの体がぶつかる。


「お願いします。あなたが、指示を出してください」


 彼は獣から目を逸らすことなく、ゆっくり呟く。低く、落ち着いた声だった。


 魔獣の腕は、あと少しで防御膜に届くだろう。


 ああ、もう! ソフィアは頭を強く振るい、覚悟を決めた。


「……っ分かりました! いいですか? 魔核の大きさは、握り拳程度です。まずは左目と、胸元の中央あたり。あとは右足の付け根の、少し上を狙ってください!」


 ソフィアが話すやいなや、鉄の雨が魔獣へと注がれていく。


「ギエェエ!?」


 獣は足を止め、短い手足で顔を掻きむしる。左目の奥の魔核は、完全に破壊されていた。


 どうやら核への攻撃は、あの怪物にとっても苦痛らしい。ソフィアは改めて瞳に魔力をまとわせ、ぎゅっと目を細める。


「攻撃は効いています。その調子で、順番に撃ち続けてください!」


 ソフィアの声がけに応じて、王后やレオンらが、正確に弾を浴びせていく。魔獣は防御膜を苦しげに引っ掻いてきたが、天幕に届くことはなかった。


 シャリエはこちらの奮闘を横目で捉えつつも、必死に準備を続けている。


 魔核を狙った攻撃は、徐々に本体にもダメージを与え始めたようで、怪物の左腕がぼとりと落ちた時には、リリーが甲高い悲鳴を上げたのだった。


「大丈夫ですか、ソフィア嬢?」


 レオンは“公爵令嬢”に寄り添いながら、射撃を続けている。


「はい、ありがとうございます。レオン様も、そろそろ弾切れになりますか?」


 護衛騎士は獲物を見つめながら、静かにうなずく。周囲にも、攻撃手段を失った者たちが現れ始めていた。


「幸いなことに、ここから見える魔核は、破壊し尽くしました。あとは先生たちの魔術が、完成するのを待つだけです」


 残している核もあるのだろうが、魔獣の様子は明らかに変わっていた。

 えぐれた表皮からはくすんだ体液がにじみ出し、体の一部とおぼしき肉塊が、辺りに散乱している。


 気を抜くことはできないものの、ある程度は相手の力を削ぎ落とせたのではないだろうか。


「これぐらいでいいでしょう。ステファニー、よく頑張りましたね」


 王后は銃口を下げつつ、臣下たちに体を向ける。


「総員、攻撃やめ! 残りの弾は、いざという時のために……!?」


 続く言葉が、不自然に断ち切られる。気がついた時には、王后の体が宙を舞っていた。


「「王后陛下っ!?」」


 どうやら魔獣は、一瞬の隙をつき、猟銃ごと彼女を掴み上げたらしい。わずかとはいえ、武器がまだ膜の外に出ていたのが、仇となってしまった。


 衛兵らは主人を救うべく、防御膜の外側へと駆け出していく。


「うっ……」


 地面に叩きつけられた王后は、鈍い声を上げる。目立った外傷はないものの、なにが起こったのか理解できていない様子だ。


 獲物を引っ張り上げた怪物は、後ろ足を踏み鳴らしつつ、けたたましい咆哮ほうこうを上げた。どす黒い体液が、防御膜を失った王后や衛兵たちに向かって、勢いよく飛んでいく。


「ヒッ! あ、あれはなんですの……!?」


 クロエが震えながら指を差したのは、王后の猟銃を奪いとった、魔獣の前足だった。目を凝らしたソフィアも、思わず叫びそうになってしまう。


 獣の左腕は、先ほど撃ち落としたはず。けれども、大きく削がれた胴体からは、生っ白い腕が新たに生えていた。


 破損した体が、なぜ再生しているのか。


 それだけでもじゅうぶん不気味だというのに、ソフィアたちが自分の目を疑うことになったのは、どう見てもそれが、爬虫類の持つひ弱な手指ではなかったからだ。


 傷だらけの体から伸びているのは、適度に筋肉のついた腕に、関節がはっきり見てとれる五本指──すなわち、人間の腕に酷似した何か・・だった。


 雄叫びを上げた魔獣の口元から、黒く濁った液体が飛び散る。次いで漏れ出た鳴き声は、驚くべきものだった。


「オウゾ……ク」


 背筋に悪寒が走る。聞き間違いでなければ、この生物は今、言葉を発したのではないか?


 もしも『王族』と分かったうえで、王后を引き寄せたのであれば、状況はかんばしくないかもしれない。


 悪い予想を裏付けるように、魔獣は言葉を続けた。


「コ……コロ、ス」


 その瞬間、レオンは王后の元へと駆け出していく。


「陛下! 天幕の中へ、急いでください!」


 剣を持たないレオンは、それでも主君の前に立ちはだかり、残弾の少ない猟銃を構えた。


 衛兵に肩を支えられながら、王后はこちらへ戻ろうとしている。けれども、あの獣が体当たりすれば、ひとたまりもないだろう。


 心臓の音がはっきり聞こえるほどに、胸が早鐘を打っている。ソフィアは震える指で、そっと耳たぶに触れた。そこにはマルクスから受け取った、魔導具のピアスが付いている。


 痛みを肩代わりしてくれる品だとは聞いているけれども、ちゃんと攻撃も防いでくれるのかしら?


 それとも苦痛を感じないだけで、怪我自体は避けられないのだろうか?


 正直に言うと、あの怪物と対峙するのはとても怖い。得体が知れないうえに、おそらく体の中には、まだいくつもの魔核を隠し持っているだろう。


 それでも私の護衛騎士は、その身一つで魔獣に立ち向かっていった。彼は自分の命を懸けてでも、王后を守る覚悟でいる。


 ふと、レオンの精悍せいかんな顔立ちに、暗殺未遂事件の際の表情が重なって見えた。


 生気のない瞳に、血色の悪い肌。あの時は少しでも気を抜くと、事切れてしまうのではと感じるほどに、死が彼の近くにまで迫っていた。


 ソフィアは必死に魔術訓練を重ねているが、他者を治療する術は、まだ身につけていない。


 仮に彼が傷を負ったとしても、魔力操作で毒を抜き出せた前回とは違い、今度は手助けすらできないのだ。


 自分の腕の中で、徐々に意識を失っていったレオンの姿を思い返すと、心がざわざわと波立ってくる。


 このまま、彼になにかあったとしたら。私はきっと、自分のことを一生許せないだろう。


 気づけばドレスが汚れることも忘れて、走り出していた。


「ソ……ステファニー!?」


 ソフィアがレオンを追い越したところで、驚きの声が飛んできたが、それを無視して敵の前まで進んでいく。


 間近に迫った魔獣は、だらしのない口元からよだれを垂らしたまま、その場に固まっている。もしかすると、すぐには攻撃するつもりがないのかしら?


 王后を標的にしていると思っていただけに、獣の反応は拍子抜けするものだった。


 足を引きずっていた王后だが、もう少しで防御膜の内側に入ることができそうだ。あとは、レオンと一緒にここを離れつつ、先生たちが化け物を捕まえられるまで、耐えきるしかない。


「レオン、私たちもそろそろ戻りましょう」


 ソフィアが後退あとずさろうとしたところで、異変が起きた。どこからか、鍋を煮込んでいる時に聞こえる沸騰音のようなものが、ごぽぽ、と鳴り始めたのだ。


 ソフィアは思わず、レオンと顔を見合わせる。どうやら、彼にも同じ音が聞こえているらしい。

 改めて獣に目を向けると、口をあんぐりと開けたまま、静かにこちらを捉えていた。


 魔獣が音の発生源なのか。それを確かめるよりも前に、えずきだした怪物の口元から、白い煙が溢れ出す。


「お逃げください、ステファニー様!」


 クロエの悲痛な叫びが、森に反響する。次の瞬間には、黒い獣の口元から火球が放たれていた。


 なにこれ。こんなのってあり?


 ソフィアは迫りくる熱気に圧倒されつつ、輝く炎に目を奪われる。


「ソフィアァッ!」


 レオンの絶叫が、後ろから飛んでくる。ぐいっと右手を引かれたが、すでに手遅れなのは分かっていた。


 これは、死んじゃうやつだわ。


 激しい熱風で、長い髪がかき上げられる。そっと目を閉じたソフィアのそばで、耳をつんざくような爆音が弾けた。

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