08 家族との別れ②
数ある近衛の制服の中でも、純白のジャケットに袖を通せる人間は、ごくわずかに限られている。
先ほどまで涙を浮かべていたはずのケビンは、不意に出くわした優秀な近衛兵に目を輝かせた。
「お初お目にかかります。私の名はレオン・ジラール。子爵家の跡目でもあります」
彼が素早く右腕を上げ、こめかみに手を当てると、弟はすぐさまそれに応える。ソフィアも慌てて会釈をしたところ、ジラールの視線がこちらへ移るのを感じた。
「初めまして。私がソフィアです、よろしくお願いします」
「モンドヴォール公爵令嬢から概要は聞いております。邸宅までは私がお送りしますので、よろしくお願いいたします」
あまりに深々と腰を折るので、こちらまでつられてお辞儀をしてしまう。するとジラールは、なぜだかもう一度、ぺこりと頭を下げてきた。
いつまでも互いに礼を繰り返す二人を、ケビンは怪訝そうに見つめていたが、しびれを切らして横から口を挟んだ。
「あのー。それ、いつまで続けるの!?」
その声がけに、ジラールはハッと身を正し、静やかに手を差し伸べた。
「失礼いたしました。では早速ですが、お荷物をお預かりいたしますね」
「はい。あっ、いくつかあるのですが、大丈夫でしょうか」
「問題ありせん」
ソフィアが大きめの布鞄を持ち上げている間に、弟はジラールの前へ歩を進めていた。
「ちょっとすみません、近衛のお兄さん。僕は弟のケビンです。いくつか質問させてもらってもよろしいでしょうか」
「どうぞ。なんなりと」
「姉さんはこれから、公爵様のお屋敷で奉公すると聞いてます。どうして子爵家のお兄さんが迎えにきたのですか?」
言われてみれば、確かに妙な話かもしれない。
入れ替わりの秘密を、ステファニー達が気軽に明かせないことは分かっている。たとえ、その相手が忠実な家臣であっても同じことだ。
ではなぜ、一見無関係に思える彼には、事情を打ち明けたのだろうか。
「しかも、制服を着ているということは、まだ職務中ですよね。よく考えれば、王城で働いている近衛兵がこんな辺鄙な町にいること自体、不自然です。あなたが本当に、姉さんを迎えにきた人だという証拠はありますか」
「やめなさい、ケビン!」
畳みかけての質問に、さっと血の気が引いた。
仮に弟の想像通り、彼が迎えの者ではなかったとしても、貴族と称する相手に対し、素性を疑う発言を口にしただけで侮辱罪に問われてもおかしくはない。
強引に体を引き寄せると、ケビンは腕を振って抵抗したが、力ずくで頭を押さえつける。
「なにするんだよ、姉さん!」
「大変申し訳ありません! ご事情がおありなはずなのに、一方的に失礼なことばかり。ですが弟は幼く、悪意があっての発言ではないのです。どうかお許しください」
じっと屈んでいる姉弟を、ジラールは黙って見つめていたが、しばらくしてから私たちの体を優しく引き起こした。
困ったように目を伏せる青年の顔が、眼前に飛び込んできて、思わずどきりとしてしまう。
「罪になど問いません。むしろ、私が謝らなければなりませんね。説明が足りず、混乱させてしまいました。申し訳ございません」
うなだれて謝辞を述べる姿は、思い描いていた高慢な貴族の印象とはかけ離れていて、なんだか拍子抜けしてしまった。
彼は、なおも警戒する弟の前に立ち、その目をまっすぐに見下ろした。
「君の質問に答えましょう。彼女がこれから向かう公爵領は、ジラール家の領地と隣接しています。そのこともあって、昔から公爵家とは家族同然の付き合いをさせてもらってきました。今回は、たまたま私に地方での仕事が入っていたので、そのついでにソフィア嬢を連れ帰ってもらえないかと頼まれただけです」
「えっ。なに、その程度の理由なの?」
「ええ。それと、私の身元が疑わしいとお思いなら、こちらを見てもらった方が早いかもしれませんね」
彼はごそごそと手を動かしたかと思うと、ベルトからサーベルを取り出し、胸元に掲げた。
「これは王から賜った、忠臣の証です。剣身には王室の紋章が彫られていますから、どうぞご確認ください」
その声がけで、ケビンが傍から見ても分かるくらいに、そわそわと体を揺らし始めた。
「それ、触ってもいいの?」
「もちろん。ですが気をつけてくださいね。見た目以上に重みがありますから」
差し出された剣を受け取ると、ケビンはそろりと鞘を動かす。こっそり覗き込むと、確かにジラールの言ったとおり、ブレイドには月桂樹に縁取られた一角獣の姿が刻印されているのが見えた。
「すげぇ……本物じゃん!」
「信じていただけましたでしょうか」
「もちろん! あ、あの、疑ってすみませんでした。これ、お返しします!」
あたふたと押し返された剣を手にして、ジラールはなにかを考えているようだ。
「ケビン、だったかな。君はもしかすると、近衛隊に憧れているのかい」
「そうです。どうして分かったんですか?」
弟が素っ頓狂な声を上げると、ジラールの表情がふわっと和らいだ。
「しいていうなら、君の敬礼が綺麗だったから。街中でも手を掲げてくれる方々はいるけれど、きちんと手のひらを相手に見せる人は、そう多くないからね」
そういえば、挨拶は基本だと騒ぎながら、敬礼の練習を繰り返していたこともあったっけ。
右手の甲を額に当てるのは、甲冑姿で戦っていたころの名残があるとかなんとか話していたが、家事の傍らに聞かされていたもので、あまりよく覚えていない。
「僕、近衛兵になるのが昔からの夢なんです。そのために一生懸命勉強もしてますし、頑張って体も鍛えています。白の隊服ということは、お兄さんは王族の守護を任された、とても優秀な近衛なんですよね。どうすれば、僕もそうなれますか」
真剣な眼差しを受け、ジラールは剣を元の位置に戻すと、ケビンに向かい合った。
「学力と体力。どちらも必要な要素です。ただ、身につけるだけでは意味がありません。どのように動けば、自身の能力を正しく使うことができるのか。常に正確な判断力が求められます。そのためには、確固たる理念を持ち続けることが肝要になる。まずは、自分の行動原理を明確にしておくと、先が見えやすくなるかもしれないね」
「『行動原理』というのは?」
「つまり、君が近衛兵になりたいと思った、根本の理由かな」
「それは、小さいころから目指していたから……いや、違う」
ケビンは小声でぶつぶつ呟いていたが、ばっと顔を上げると、はっきりとした声で答えた。
「僕は兄さんや姉さんのように、まともに生きている人間が、苦しい思いをしなければいけないことが許せないんだ。だから、この国を変えていきたい。頑張っている人がきちんと認められる国にしたい。正直、今の王様のことはよく分かんないけど、王太子様は真面目な方で、この国をもっと良くしてくれるはずだってみんな期待してる。だから、僕がその人を守りたいって、そう考えているんだ」
初めて聞く本音に、ソフィアは心底驚いた。
「あなた、そんな難しいこと考えてたの?」
「僕だって、ただ憧れてただけじゃないんだよ!」
照れ隠しなのか、ケビンは口をとがらせながらそう言い捨てた。
「君が試験を受けるまでに、できることはいくらでもあります。どのような人物が求められているのか、自分なりに考えて、必要だと思うことには全力で取り組んでください。それは必ず、君の力になるから」
「分かりました。ありがとうございます」
「一緒に働ける日を、心待ちにしているよ」
そう告げられたケビンの顔は、晴れやかにほころんでいた。




