85 新たな手がかり
病み上がりだろう、とたしなめられながらも、レオンは王太子を見送るため、主君の後を追いかけていく。
ようやく解放されたソフィアは、安堵の吐息を漏らした。
「それにしても、その大げさな花はなんなのさ!?」
同じく部屋に残ったマルクスは、こちらをまじまじと見つめながら、間の抜けた声を放つ。ソフィアの手には、迫力のある花束が握られたままになっていた。
ここまで大量の花を生けるためには、いくつぐらい花瓶が必要になるだろう。サラとイザベラも、見たらきっと驚くわよね。
ソフィアは重みのあるブーケを、そっと机の上へ置き、マルクスに向き直った。
「これは王太子様がレオン様へ贈った、お見舞いの品よ」
「違うさ。僕が聞いてるのはそっちだ」
彼が指したのは、ソフィアの髪に添えられた、一輪の赤い薔薇のほうだった。
「これのこと? 王太子様が、私にも一つだけ、バラを分けてくださったのよ」
「ふーん……」
それ以上はなにも語らずに、マルクスはじっとりとこちらを見つめてくる。
「なにか問題でもある?」
「いやぁ、ソフィアは“薔薇”ってキャラじゃないよなーと思って」
「しっ仕方ないじゃない! 王太子様は私のことを、ステファニー様だと思ってるんだからっ!」
頬を赤らめつつ、小声で言い返す。王太子は公爵令嬢との思い出の花を贈りなおしただけで、私に似合うと思って、この花を選んだわけではないのだから。
それにしても。柄ではないとソフィア自身も分かってはいるものの、第三者からこうもはっきり言われてしまうと、あまり気分のいいものではなかった。
ソフィアは口を閉じたまま、鋭い目でマルクスを睨みつける。
「あのう。そろそろクロエ嬢たちを連れてこようと思っていたのですが、お待ちしたほうがよろしいでしょうか?」
いつのまに戻ってきたのだろう。扉のすぐそばに立っているレオンが、遠慮がちに尋ねてきた。
「わっ、わっ!? おかえりなさい、レオン様! 大丈夫です、すぐにお連れいただいて!」
「……本当ですか?」
動揺する少女を、護衛騎士は心配そうに見つめている。
「うん、別に大丈夫だよ。『ソフィアに薔薇は似合わない』って話をしてただけで」
「ちょっと、マルクスッ!?」
「そんなことはないだろう」
ソフィアの喚いた言葉に、レオンの冷静な声が重なる。
「なんだい。君の中のソフィアって、そんなイメージなの?」
「そもそも『花が似合わない』という表現が、不適切だと言ってるんだ、俺は!」
レオンも珍しく言葉を崩しながら、魔導士長に食ってかかっていく。
「いやいやっ。さすがに僕も、そこまで酷いことは言ってないよ!? ええと、そうだなあ」
マルクスは机に置かれた花束に顔を寄せ、花を見比べ始める。
しばらく唸っていた魔導士長が、勢いよく抜きとったのは、小ぶりな花をたくさん咲かせている、白のカスミソウだった。
「ほら! どっちかっていうと、こんな感じじゃないかな!?」
意外な選択に、ソフィアは目を瞬かせる。カスミソウは儚げでありながらも、可憐で華やかな印象を与える花だからだ。
「なんていうか、脇役? というか引き立て役!? 陰に隠れて、さりげなくそこにいるって感じ」
マルクスは口元を緩ませて、にへらと笑みを漏らす。
「やっぱり失礼じゃないか!」
「マルクスが私を馬鹿にしてるってことだけは、ちゃんと伝わってきたわよ」
悪気なくソフィアを貶した魔導士長に、二人は平手打ちを食らわせた。
この男が私のことを褒めてくれるだなんて、一瞬でも考えたのが馬鹿だったわ!
「イテッ!? じゃあさ。レオンはどの花が、ソフィアに似合うと思う!?」
マルクスは花束を掴み、ものすごい勢いで護衛騎士の鼻先に突きつけた。
「ふむ。そうですね」
レオンはゆっくりと、目の前の花束に手を差し込む。
「これなんか、どうでしょうか」
彼が取り出したのは、白い花びらが黄色の筒状花を囲っている、小ぶりなマーガレットだった。
「可愛らしい見た目ですが、芯があってしなやかで。意外とたくましいのも、魅力の一つですし。それに、見ているだけで明るい気持ちになれるところなんかは、ソフィア嬢にぴったりだと思うのですが」
「あーうん。それぐらいにしておこっか」
魔導士長は強引にマーガレットを奪いとると、にっこり微笑んだ。
「なんだよ、お前が聞いてきたん……」
レオンは続く言葉を止める。すぐそばでは、真っ赤な顔をしたソフィアが、ぷるぷると肩を振るわせながら立ち尽くしていた。
「すっすみません! ご不快な思いをさせてしまいましたか!?」
「いえ。大丈夫です」
目を伏せたまま、少女は呟く。
「あの、決して悪意があったわけではなく! 私はソフィア嬢のことを、素敵な女性だと思っていますから!」
「大丈夫です。本当に、それくらいにしておいてもらえませんか……」
ソフィアは片手で顔を覆いながら、なんとか必死に答える。
「あーもう。付き合いきれない! そろそろリリー達を迎えにいくね!?」
なんとも甘ったるい、二人のすれ違いを眺めていたマルクスは、握っている花たちを机に叩きつけた。
「よろしく頼む、マルクス」
護衛騎士は、こちらにちらちらと視線を向けながら返答した。
「なるべく早く戻ってきてね?」
ソフィアも声を振り絞る。この空気感で、レオンと二人っきりにされるのは、さすがに厳しいものがあった。
そうしてマルクスが、魔術を使うために片手を掲げたところで、レオンが不意に声を漏らす。
「あ、そういえば」
「ん?」「え?」
ソフィアとマルクスが、全く同じタイミングで反応した。
「大切にされているネックレスがあったことに、気がつけず申し訳ありませんでした。これからは身代わりの際に、首飾りは用意しないよう気をつけます」
なんともしおらしげに、護衛騎士が頭を下げる。
「ああ! いいんですよ、お守りがわりに持ち歩いているだけで、高価なものでもありませんし。さすがにこれを、“ステファニー様”が堂々とつけるわけにもいきませんから」
胸元からクロスペンダントを引き出した途端、ソフィアの手にマルクスが掴みかかった。
「痛っ!」
「なにをしている、マルクス!?」
けれども、間に割って入ろうとしたレオンを許さないほどに、彼は強い力を込めてくる。
「これさ。いつもらったの」
魔導士長はネックレスを凝視しながら、慎重に言葉を選んでいるようだ。
「それは……身代わりをするって決めて、家を出た時に、エリアス兄さんが……」
しどろもどろになるソフィアを、マルクスはキッと睨みつけた。
「だから! それはいつのことかって聞いてるんだ!」
そこでようやく、ソフィアは気がつく。
このネックレスを贈られたのは、転生する前の時間軸でのこと。
そしてこれは、“流星の禁術”によって蘇ったソフィアが、なぜか逆行転生の際に過去へ持ち帰ることのできた、唯一の品だった。
ソフィアは息を整え、静かに口を開く。
「マルクス。それは、ここにくる前のことだわ」
「やっぱりそうか」
「このネックレスに、なにか変なところがあるの?」
「ちょ、ちょっと待ってください! なんのお話をされているのですか?」
会話の意味が分からないレオンは、混乱しながら尋ねてくるが、魔導士長は耳を傾けようともしていない。
「これ自体は、普通のネックレスだ。でも、ここには凄まじい魔術の痕跡が残っている」
人差し指で十字架をなぞりつつ、マルクスは呻く。
「間違いない、これは“流星の禁術”を使った跡だろう。こんなものがあるなら、もっと早く出しておいてよ!?」
「ご、ごめん。すっかり忘れてたっていうか」
「いいから、早く外して!」
うろたえるソフィアに向かって、マルクスは手を突きつける。
「なにをするんだ。それはソフィア嬢にとって大切なものだと、ルイス様に話しているのを、お前も聞いていただろう!?」
「ちょっと、君は黙っててくれないか!」
レオンをぴしゃりとはねのけ、真剣な顔で彼は話し始めた。
「僕の勘が正しいとするなら、これは過去の僕が意図的に、ソフィアへ持たせたもののはずなんだ」
胸元を押さえるソフィアを見つめながら、マルクスは落ち着いた声で諭すように続ける。
「魔術の跡を解析すれば、どのように術をかけたのかが明らかになる。もしかすると、あの頃の僕は、すでに禁術の問題点を解き明かしていたのかもしれない」
厳しい表情のまま、マルクスはひとりごちるように話を進めていく。
「けれども、僕は術の行使によって記憶を失ってしまった。でも、記憶喪失が事前に分かっていたとすれば。あの頃の僕は、手がかりをソフィアに託すことで、“流星の禁術”の謎を解き明かせるという『希望』を残しておきたかったと、そう思えてならないんだ」
マルクスらしからぬ必死な様子に、ソフィアは心を揺さぶられていた。それはレオンも同じようで、口をつぐんだまま、こちらをまっすぐに見つめている。
「お願いだ、ソフィア。大切にするから、しばらくそれを僕に預けてくれないか」
澄んだ蜂蜜の瞳を向けられて、ソフィアは細い息を漏らした。
「分かったわ。マルクスのこと、信頼してるからね」
首から外したネックレスを手渡すと、マルクスは「ありがとう」とだけ呟き、固く目を閉じる。
「じゃあ、僕はしばらく研究室に籠るから」
「ちょっと待て、マルクス。リリー嬢たちはどうするつもりだ!」
レオンの問いかけを無視したまま、魔導士長は指を鳴らす。すると。
「きゃああぁ!?」
クロエが大声を上げながら、先ほどまでマルクスが突っ立っていた場所に、尻もちをついた。
「大丈夫ですか!?」
ソフィアが駆け寄ると、苦痛に歪んでいた令嬢の表情が、一気に華やぐ。
「あらぁ。ステファニー様、紅薔薇がよくお似合いで……! いたたたた」
腰をさするクロエに向かって、もう一人の少女も手を伸ばす。
「もう! マルクスはもっと、丁寧に術を使わないと。ステファニー様もそう思いますよね!?」
どうやらリリーは、魔術を用いての転移に慣れているらしい。この部屋までいきなり飛ばされてきたというのに、クロエの両脇に手を差し込むと、涼しい顔のまま、勢いよく侯爵令嬢を立ち上がらせたのだった。




