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84 一輪だけの赤薔薇

「では、部屋に入ってくるところからお見せいたしますね。リリー! 合図が聞こえたら、すぐこちらへくるのですよ!」


 クロエ・ラ・フリオンはリリーの手を引き、強引に部屋の外へ押し出した。


 今日はモンドヴォール邸に、クロエとリリーがやってきている。フリオン家で行っていた淑女教育の成果を、披露するのが目的だ。


 ジラール邸の面々は、ソフィアが“公爵令嬢ステファニー”の身代わりを務めていることを知らされていないため、サラやイザベラたちは、意図的にこの部屋から遠ざけられていた。


 ソフィアの前に置かれた丸テーブルには、すでにお茶会の準備が整っている。


 三人で流行りのお菓子を食べながら、マナーや細かい所作を確認する予定だ。


 男性陣には席が設けられておらず、マルクスは少し離れたソファ席に、レオンはソフィアのすぐ隣に、立ちっぱなしのままで控えている。


 真剣な顔で扉を見つめるレオンとは正反対に、マルクスはお菓子をつまみながら、ニタニタと薄気味悪く笑っていた。


 足早に戻ってきたクロエが手を叩くと、再びリリーが姿を現す。

 目の覚めるような深緑のドレスに、ホワイトブロンドの短い巻き毛が映えている。


 彼女は戸惑いつつも丁寧な挨拶をし、そこから椅子に腰掛けるまでの流れを、とどこおりなくやってのけたのだった。


「どうでしょうか? ステファニー様」


 顔色をうかがうように、クロエがか細い声で尋ねてくる。


「とてもよかったと思います。この短い期間で、よく頑張りましたね、リリーさん」


「「ありがとうございます!」」


 二人分の返事が重なった。なぜかクロエは、褒められた本人よりも誇らしげに胸を張っている。


「プフッ! あのやんちゃなリリーが、こんな風に猫をかぶるなんて」


「んもう、やめてよマルクスゥ!」

「んふふっ。ごめんよ、つい」


 小さな顔を真っ赤に染めて、少女がいきどおる。


 リリーを幼少の頃から知るマルクスは、どうしてもこらえきれないのか、口元を抑えながら震えていた。


「ではそろそろ、お茶にしましょうか? ムース・オ・カシスカシスのムースケーキが自信作だと、料理長が申していました」


「わぁ! 夏らしくていいですね!」


 ソフィアの声がけに、リリーは両手を広げて反応した。純粋無垢な瞳が、きらきらと輝いている。


 けれども、すぐさまクロエにたしなめられて、しょんぼりと肩を下げてしまう。


 この子は本当に、裏表のない素直な人なのね。ソフィアはじっとリリーを見つめる。


 今も、とがめられたことをマルクスにからかわれて、盛大に頬を膨らませた。まるで幼子のように、ころころと表情が変わっていく。


 きっと王太子は、背伸びをしない彼女の姿に惹かれていったのだろう。


 少女のあどけない笑みを見て、彼が夢中になった気持ちも分かるような気がした。


「リリーが大変失礼いたしました! 私もお手伝いいたしますね、ステファニー様!」


 ソフィアが手を伸ばそうとしていたティーポットを、クロエが素早くかすめとる。

 ちょうどそのタイミングで、扉を叩く音が響いた。


「失礼いたします、レオン様」


 やってきた家令は、レオンになにか耳打ちをしてから、すぐに部屋を後にする。


「マルクス。ちょっといいか?」

「んー?」


 レオンとマルクスはひざを突き合わせていたが、すぐに調子はずれの声が、ソフィアの耳を刺す。


「僕をこき使うだなんて、本当にいい性格してるよ、君は!」


 マルクスが指を鳴らすと、ソフィアとレオン以外の全員が、同時に部屋から姿を消した。


「えっ。なんで魔術を使ったの!?」


 辺りを見回すソフィアに、レオンは密やかに語りかける。


「ソフィア嬢、少し慌ただしくなるかもしれません。どうやら王太子殿下が、ジラール邸に向かっているところだそうです」


「王太子様が……今ですか!?」


 勢いよく振り返ったところ、すぐそばにいたレオンと、ばっちり目が合ってしまう。


「はい。ですからマルクスには、一旦クロエ嬢とリリー嬢を連れて、退室していただきました。面会の場に、ご同席いただけますか?」


「それは、もちろん……」


 ソフィアはぎこちなく視線を逸らしながら答える。


 先日の暗殺事件以降、ソフィアはレオンと二人きりになるのを極力避けていた。

 それは、一方的に気まずさを感じていたためである。


『彼女は礼儀正しく聡明で、努力を惜しまない人です』


 毒に苦しみながらも、護衛騎士が呟いた言葉の数々を思い返す。


『自分のことはいつも後回し。だから俺が、助けになりたいと思って』


 彼の発言には、いつも通り他意はない。


 けれども、おそらく私に聞かせるつもりではなかった本音から、“私自身ソフィア”を真っ直ぐに見ていることが伝わってきて、それがとても嬉しかった。


 ではなぜ、彼と一緒にいるのが落ち着かないのかというと、ソフィアがレオンのことを変に意識していたからだ。


 これまでも、護衛対象である私のそばにいたはずなのに。あの赤褐色の瞳が、今もこちらを見ているのだと思うと、なんだか照れくさくて仕方がない。


 ソフィアは余計な考えを振り払うように、声を張り上げた。


「それにしても、突然やってくるなんて! 王太子様はなんの用があって、ジラール邸を訪れるのでしょうか?」


「それはですね、大変申し訳ないのですが」


 レオンは息を漏らしながら、言いづらそうに告げる。


「私の見舞いだそうです」


 『お見舞い』という言葉通り、王太子は大ぶりな花束を携えて、二人の前に姿を現した。


「体調はどうだ、レオン?」


「お心遣いいただき、ありがとうございます。おかげさまでここまで回復いたしました」


 レオンは負傷していた右腕を大きく動かし、問題がないことを示してみせた。


「そうか。それはよかった」


 難しい顔をしていた王太子の口元が、ふっと緩んだような気がした。


 それから王太子は、ちらりとソフィアを見て、乱暴に花束を押しつける。


「わふっ!?」

「レオンへの見舞いの品だぞ。そなたに贈るわけではないからな」


「分かってますよ!?」


 色とりどりの花が集められた贈り物は、片手で持つのが大変なほどに、ずっしりと重たい。


「まったく。可愛げのある受け答えはできないのか?」


 なにげなく王太子がひとりごちる。


「王太子殿下は、そういったものを私にお求めなのですか?」


「まあ、それは……そのほうがいいんじゃないか?」


 不可解な面持ちで、彼は答えた。


 やはり王太子は、素直で愛くるしく、いかにも“女の子”然とした相手が好みなのだろう。

 それは例えば、リリーのような。


 ソフィアはこの世界に転生してからずっと、最悪の結末を避けるために努力してきた。


 ステファニーになりすまし、王太子と良好な関係を築く努力をしてきたのも、対策の一つだ。


 けれども、やはりこの人に必要な相手は、リリーではないだろうか。


 彼女が王太子妃になるためには、色々と問題もあったが、それでも王太子が愛を注いだ相手は、“聖女”ただ一人だったのだから。


 真面目な顔をしたソフィアを見て、王太子はそわそわと体を揺らす。


「……仕方ない! どうしてもって言うなら」


 王太子はこちらへ近づくと、一本の紅薔薇を手折り、ソフィアの髪に挿した。


「これだけだぞ」

「ありがとうございます、……?」


 なぜか王太子は、ソフィアを凝視したまま目を逸らそうとしない。


 どうしたのかしら。もしかして、ステファニー様らしい反応ができていなかったとか?


 戸惑うソフィアを横目に、レオンが口を開く。


「ルイス様。実は、王城に通う日を増やしたいと考えておりまして。その間、別の護衛を派遣していただけないでしょうか」


 突然の提案に、王太子とソフィアは目を丸くする。


 四六時中ソフィアのそばにいようとするレオンが、突拍子もないことを言い出したのだから、驚きもするだろう。


「もちろんいいが。どういう風の吹き回しだ?」


 怪訝そうに王太子が尋ねる。


「なまった体を鍛えなおしたいだけです。幸いなことに、マルクス魔導士長も力を貸してくれますから、大した問題はないでしょう。なにより」


 レオンは一呼吸おいて、静かに呟く。


「私は、もっと強くなろうと思います」


 迷いのない目が王太子を貫く。それは、なんの裏心も感じられない、澄んだ瞳だった。


「お前の気持ちはよく分かった。城に戻り次第、代わりの人材を選ぶことにしよう」


 固い決意に押されたのか、王太子はそれ以上の追究はせずに、近衛騎士からの申し出を承諾する。


「ところで、誰か来客の予定でもあったのか?」

「はい?」


 ソフィアが顔を上げると、茶菓子を眺める王太子の姿が映った。


「邪推する必要はないさ! フリオン侯爵令嬢と、そのおまけがここにきてるんだよ」


 突然聞こえた声の主のほうへ、全員が目を向ける。

 魔術で姿を現したマルクスは、へらへらと緩い笑顔を浮かべていた。


「ごきげんよう、王太子サマ。そろそろ女の子たちに、順番を変わってあげてくれないかな?」


 マルクスがティーポットに触れると、まるでお湯を注いだ直後のように、白い湯気が立ち始める。


「やめなさい、マルクス! 殿下になんて失礼なことを」


「まあいい。用は済んだのだし、そろそろ城へ帰るとするさ」


 王太子はこちらに背を向けたが、ふっとソフィアのほうへ向き直った。


「ステファニー。ハンカチの礼に、なにかほしいものはあるか?」

「え?」


 思いがけない提案に、ソフィアは目をぱちくりさせる。


 “ハンカチ”というのは、ソフィアが王太子に手渡した、刺繍入りのハンカチーフを指しているに違いない。


 剣術大会の機に乗じて、あえて大衆の前で贈り物を受け渡すことにより、ステファニーが王太子と親密であることを世間に知らしめたのだった。


「感謝しているのは、『伝統行事』のことだけではない。剣術大会では、そなたも力を尽くしたであろう。父上も、褒美を与えたいと話していた」


「そんな大袈裟おおげさな! たまたま上手くいっただけですから、お気遣いいただかなくとも」


「ええい、御託ごたくはいいから受けとっておけ!」


 くどくどともったいぶるソフィアを、王太子は容赦なく遮った。


「そなたの耳には、魔道具がついているからな。首飾りはどうだ?」


 ソフィアは反射的に胸元を押さえる。ペンダントトップを隠してはいるが、今もドレスの中に、兄からもらったネックレスを忍ばせていた。


「申し訳ございません。首元には、家族から贈られたクロスネックレスを、なるべくつけるようにしておりまして……」


 不敬な発言かとも思ったが、王太子は納得したように数回頷いた。


「では、別の品を探そう。家族との思い出を取り上げるのは、さすがに忍びないのでな」


 もしかすると、王太子はステファニーの亡き母親が遺した品だと思ったのかもしれない。


 前世のソフィアにとっては、口封じであやめられたエリアスの遺品でもあるのだから、あながち間違いではないが。


「お心遣い痛み入ります」

 

 ソフィアが深々と頭を下げると、彼はフン、と軽く鼻を鳴らしてから、部屋を後にしたのだった。

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