83 ある青年の諦念Ⅱ ー 暁の願い
こちらは番外編で、レオン目線の過去編となります。
84話から本編に戻ります。
鳥の鳴く声が聞こえる。いつのまにか、朝が近づいてきたらしい。
マルクス・マーケル魔導士長が部屋を去ったあと、レオンはなにもすることなく、ただ床に座り込んでいた。
机の上では、すっかり小さくなった蝋燭が、不規則に揺らめいている。
それはまるで、レオンの波立つ心を表しているかのようだった。
マルクスの言い分では、ソフィア嬢とステファニーの入れ替わりを公にしてしまうと、今後の計画に支障をきたすらしい。
「ああ、もう……」
力なく頭を抱える。突如現れたマルクスが語り始めたのは、冤罪で捕えられているソフィア嬢の“魂”を救う計画だった。
彼の話によると、“流星の禁術”と呼ばれる秘術を使えば、“悪女”の処刑を避けられるだけでなく、身代わり自体もなかったことにできてしまうらしい。
ただし術を発動するには、いくつかの条件を満たす必要がある。
一つ目の条件は、術者であるマルクスが、ソフィア本人と接触できる距離まで近づかなければならないということ。
どうやら魔導士長という立場であっても、死刑囚との面会は難しいらしい。
話の途中で『魔塔で暴れたのは、さすがにやりすぎだったかなあ』とこぼしたのが気になるところだが、聞こえなかったことにしておいた。
魔導士たちの争いに、首を突っ込むべきではないのだから。
そんなマルクスは、術を行使する場をすでに決めていると続けた。
怪しげな笑みを浮かべていたのが印象的だったが、まさか死刑執行日に、刑場で再会することを目論んでいただなんて。
“魔塔の主”が立てた計画とはいえ、正気とは思えない提案だ。
しかも、処刑人を装って近づくというのだから、なんとも悪趣味な話に感じられた。
けれども、彼が警備兵やその他関係者になりすますのではなく、死刑執行人として刑場へ赴くことにこそ、意味がある。
「だからさ、僕が首を刎ねなくちゃいけないんだ」
暗い眼で、マルクスはささめく。
二つ目の条件。それは“流星の禁術”を施すために、ソフィア嬢の今世の生を、マルクス自身が断たねばならないというものだった。
当然ながら、彼女は処刑と同時に、この世での人生を終える。
けれども、余命と引き換えに術が発動し、ソフィア嬢の魂は時代を遡って、ステファニーと入れ替わる前の頃にまで戻ることができるそうだ。
“流星の禁術”は、いわゆる逆行転生を生じさせる魔術。過去へ戻ったソフィア嬢が、再び同じ道を辿るのか、それとも別の未来を切り開けるかは、本人の力量次第となる。
マルクスの計画を聞いたレオンは、開口一番にこう告げた。
「賛同できかねます。他のやり方はないのですか?」
ソフィア嬢を助けるために、彼女を殺さなければならないのなら、本末転倒も甚だしい。
そのうえ、転生後の後始末を、あの少女に全て委ねるのはいかがなものか。
悲恋に涙していた彼女の姿を思い返すと、胸の締め付けられる思いがした。
「簡単に言ってくれるね」
レオンの純粋な目を見ながら、魔導士長は盛大に舌打ちする。
「じゃあ逆に教えてくれないか、レオン・ジラール? 身代わりの事実を証明できるものは、どこにもない。さらに、ステファニーの所在も分からない現状で、君はどうやってソフィアを救い出すというんだ?」
「それは……」
レオンは返答に窮する。こちらでも色々な策を検討してきたが、やはりステファニー本人が現れない限り、真実を明らかにすることはできないからだ。
ほらね、と吐き捨てたマルクスは、苦々しげにこちらを睨みつける。
「ソフィアを牢獄から連れ出すだけなら、話は簡単さ。指を一つ鳴らせばおしまいだ。でも、それからどうする? 冤罪が晴れるまで、追われる身になるだけだぞ。ソフィアはなにも悪くないのに!」
魔導士長が大声で息巻くと同時に、荒い風が部屋の中を吹き抜けた。
魔術を操作する仕草は見せていなかったが、彼の強い想いが、そういった形で現れたのかもしれない。
重たく沈んだ瞳には、憤怒の影がちらついている。
「じゃあせめて、私も一緒に過去へ戻してくださいませんか? ステファニーのしでかしたことを、ソフィア嬢一人に背負わせるのは、あまりに酷です」
「あのさぁ、それは護衛騎士のプライド? それとも……まぁいいか。話を戻すけど、“流星の禁術”は、ただでさえ難易度の高い術なんだ。仮に大人二人を転生させられる力があるなら、真っ先に僕自身に使うだろうとは考えなかったのかい?」
長いため息が耳に届く。それは呆れの声というよりは、切なげな吐息だった。
彼とソフィア嬢の関係性は分からないままだが、二人が旧知の間柄だとすれば、目の前の魔導士は自分以上にもどかしい思いをしているのかもしれない。
「考えなしの発言でした。申し訳ございません」
「気にしなくていいよ。結局は、過去の自分たちが頑張ることを、期待するしかないんだしね!」
両腕を上に伸ばしながら、マルクスはさっぱりと言い切ったのだった。
「ですが、転生前の全ての記憶を保持しているのは、ソフィア嬢ただ一人なのですよね?」
「ん? そうだけど、それがどうしたのさ」
覚悟を決めているマルクスとは対照的に、レオンは割り切れなさを抱えていた。
秘術が成功し、ソフィア嬢が無事に過去へ戻れたとしても。
そこで彼女の苦しみが終わるわけではない。処刑された後も、自身の死を回避すべく、戦い続ける必要があるからだ。
言い方を変えれば、一度死んだとしても、ソフィア嬢は不幸な未来からは解放されないということになる。
ステファニーの呪縛に絡め取られてしまえば、そこで全てが終わってしまうのだから。
「ま、深く考えずに、その馬鹿正直さでソフィアを守ってくれればいいよ」
こちらの苦悩など知りようもない魔導士長が、淡々と告げる。
「……マーケル様は、記憶を失った私が、彼女のことを守れると思いますか?」
「はあ? なんだってまた、そんなことを」
まぬけ面のマルクス・マーケルは、そこで言葉を止めた。すぐ近くでは、思い詰めた様子のレオンが、ぐっと唇を噛みしめている。
「マーケル魔導士長様。私は私自身を、信じきることができません」
やっとの思いで、声を絞り出す。魔導士長の期待しているような働きができるとは、到底思えなかった。
この時代でも、護衛騎士らしいことはなに一つ行えなかったというのに。今よりも幼い自分は、ソフィア嬢のために、なにができるというのか。
さらに、ソフィア嬢を巻き込んでおいて、自分自身はこれから綺麗さっぱり、記憶を失ってしまうのだ。
孤独な戦いは彼女一人に押しつけて、後ろめたい後悔は忘れたまま、呑気に人生をやり直すのだろう。
そんな自分が、下町で和やかに暮らす少女と再び相見えたとしても、彼女は心を開いてくれないかもしれない。
思案に暮れていると、レオンの肩にふわりと手のひらが重ねられる。
「君なら大丈夫だよ、レオン・ジラール」
それまでとは打って変わって、柔らかな声色だった。
「どんな状況にあろうと、君は正義を貫く男だ。ステファニーが暴走したとしても、きっとまた、ソフィアの味方になってくれる。君のそういうところは、僕も信頼しているし、ソフィアもそうだと思うよ」
なぜだろう。これまでのレオンのことを、彼は大して知らないはずなのに、本心からの言葉のように感じられた。
「それにさ、ウジウジ悩んだところで意味がないだろ? 余計なことは考えないで、君は処刑の日を待つだけでいいよ。まあ、変な横槍が入らないように、力を貸してもらえると助かるけど」
マルクスはもう、くたびれた貧弱な男ではなかった。強い意志を宿した瞳で、まっすぐにレオンを見つめている。
琥珀のような美しい輝きに引き寄せられて、護衛騎士は共犯者の手を取ったのだった。
それから一刻ほどが経過した今。邸宅のあちらこちらで、人の動く気配がし始めた。
じきにイザベラやサラも、この部屋を訪れるだろう。
レオンはゆっくり立ち上がると、カーテンの閉じ目を思いきり開いた。
暗がりを照らすように、暁色の光が差し込んでくる。明時の陽は、目を覆いたくなるほどに眩い。
花壇の縁に降り立った一羽のロビンが、けたたましくさえずって、いつも通りの日常を始めるようにと急かしてくる。
レオンは己の無力さに、吐き気すら覚えていた。
誰が“最強の剣士”だって? たった一人の少女も救い出すことができないくせに!
けれども、超常的な力を借りて、ソフィア嬢を過去へ戻してあげられるのだとすれば。
同じことは決して繰り返さない。次こそは救ってみせるのだと、心の中で呟いた。
レオンは空に向かって、手を伸ばす。
もし、神が見てくださっているのであれば。あの無垢な少女にこそ、幸せをお与えください。
小さな願いに応えるかのように、オレンジ色の胸元を振るわせたロビンは、軽やかに羽ばたいていったのだった。
第三章完結までお読みいただき、誠にありがとうございます。心に残った話がありましたら、感想等いただけますと励みになります。
次回より、狩猟大会編が始まります。お楽しみに!




